〝特殊進化〟




 位階ⅨからⅩへの上がり方は、ハッキリ言って異常だと御神は思う。


 これまでの位階の上昇とは全く違う、圧倒的な上昇率。

 今ならなんでもできそうな程の万能感とでも言うようなものが、滾々と身体の内側から溢れ出てくるせいで、自然と口角が上がり、自制心という名の箍が弛んでいることに気が付いて、咄嗟に御神は頭を振り、瞑目して深く深呼吸を繰り返す。


 ――落ち着きなさい。今、私は何を考えた?

 改めて自分に問う。


 何もかもを支配してやりたいという暴力的な欲求。

 己を律することもなく、ただただ思うがままに振る舞ってしまえばいい、

 自分を捨て、のうのうと仮初の平和を味わって生きているであろう両親への復讐もいいだろうという、普段の自分がこれっぽっちも思わないような奇妙な欲求が芽生え、改めて自分で自分を律する。


 ――家族に対する恨みはなかった。

 自分は完璧な人間ではないが、それ以上に冷淡な人間だと御神はそう評している。


 特区で暮らすようになり、まったく知らない世界に放り込まれる形になったものの、だからと言って両親を恨み、復讐してやろうとは考えたこともない。

 ただ、「あの人たちはそういう人間だった」という感想を抱く程度というところが現実的なところだ。


 とは言え、それは恨みを呑み込んだという訳でもない。

 至極単純な話、「今の自分にとっては関係のない話」でしかないからだ。


 魔力犯罪対策課の特別部隊には入ったが、かと言って無辜の民を守るという使命感に燃えている訳でもなければ、逆に一般人を恨んでいる訳でもないというのが、どうしようもない御神の本音だ。


 そんな自分の中に渦巻いた黒い感情は、あくまでも一例に過ぎない。

 ただ、「そういうこともできそうだな」という極端過ぎる例を思考しただけに過ぎず、自分がそこに入り込むようなものでもない。


 深呼吸しながら、見失いかけた自分に言い聞かせ、自分と極端な例との線引きを明確にした、その時だった。



《――人間種、御神 凍架の位階がⅩ段階に達したことを確認しました。これより、〝進化〟を開始します》



 突如として響いてきた『天の声』に、思わず御神は目を見開いた。



《――『管理者』〝繝ィ繧ー〟の干渉を確認しました。承認します。魂の選択により、〝特殊進化〟対象にすることを決定しました。改めて〝特殊進化〟を開始します》



 ――え、ちょっと待って、なにそれ聞いてない!

 頭の中に響く声に慌てて否定の声が脳内に響くものの、すでに肉体は御神自身の管理を外れたかのように全く動いてくれなかった。



《人間種、御神 凍架の否定を確認――『管理者』により拒絶されました。以降、この情報は確認いたしません。〝特殊進化〟を実行します》



 意識だけが身体から引き剥がされたかのように、世界が暗転する。

 そうして水中に落とされたかのように揺蕩う中、御神の眼の前には幾つかのカードが現れた。


 ――……あぁ、捨てずに拾い上げたいと思うものを選べばいいのね。

 何を説明されなくても理解できた。


 現れた最初の選択、『家族』、『仲間』、『他人』、『自分』。

 それらの中から守るべきものを選び、最低でも一つは捨てなくてはならないと悟り、迷うことなく御神は『家族』を捨てた。


 質問は多岐に亘った。

 お金と名誉であったり、名声と地位であったりと、あるいは友情と恋愛であったりと多種多様なものになる。


 選ぶ度に、「自分はこういう人間なのか」と改めて発見することも多い。

 自分自身をあまり理解していなかったような、そんな気もした。


 そうして体感としては30分程度はそれを続けていたが、どれだけの時間が経過しているのかは判然としない。


 ――私の身体、大丈夫なのかしら。

 ふと、意識を失ったのが奈落の内部だったと思い出して不安が過ぎるものの、『天の声』があっさりと答えた。



《――質問を確認しました。回答します。現在、御神 凍架の身体は〝進化〟プロセスを実行しているため、魔物の排除対象からは除外されています》



 ――あ、そっか。ダンジョンを創ったあなたが言うのなら、それぐらいはできるのでしょうね。

 短くそんなことを考えながら淡々とカードを選び続けていく。


 不思議な感覚だな、と御神は思う。


 たとえば何かを選ぶ時、人は「感情のままに選べ」と言われても、どうしても良い方向に進むようにと耳障りの良い言葉であったり、『自分に適したもの』を意識しつつも、より模範解答に近い選択肢を選ぼうとしてしまう。

 けれど、今の御神にそういった感情は一切湧いてこなかった。


 たとえば、『みずしらずの確実に助けられる他人』と『急げば助けられるかもしれない仲間』というカードが出てきた時も、立場的には前者を選ばなければならないと御神も感じている。が、そういったものを無視して後者を選択することに抵抗感も一切なかった。


 ただただ目の前のカードで選び取るもの、自分が拾い上げたいと考えるものだけを素直に選び、捨ててしまっても良いと思うものについては躊躇いなく選ばずにいられる。


 ――魂の選択というものは、その言葉通りに自分自身のありのままの選択なのね。

 納得しながらもカードを選び続け、ついに出てこなくなった。



《――魂の選択が終了しました。『管理者』〝繝ィ繧ー〟も納得しています。魂の選定が完了しました。人間種、御神 凍架は『上位人ハイ・ヒューマン氷華ひょうか』に〝特殊進化〟しました。以後、御神 凍架の子孫には『氷華ひょうか』の因子が休眠状態で受け継がれていきます》



 頭の中に響いてくる『天の声』をぼんやりと聞き流しつつ、御神は己の魂と肉体が繋がっていくことを感じながら、ゆっくりと深呼吸を数回繰り返してから目を開けた。

 ゆっくりと己の身体を確認するように、自分の手を、身体を見下ろしてみるが、見た目という意味での変化は存在していなかった。


 しかし――それにしても、と、己の内側に眠っている力に身体を震わせた。


 位階Ⅹになり、滾々と湧き出る力に口角をつり上げ、万能感すら感じ取れたものであったが、今はそれ以上と言うべきか。いっそ、自らの内側にある力を十全に扱うことに恐怖を感じるほどだ。

 試しに僅かに魔力を巡らせ、魔法を発動させようとしたところで、あっという間に魔力が周囲に広がり、周辺の地面から壁面、天井までもを氷が塗り潰していく。


 御神自身としては、ほんの少し魔力を周辺に広げただけのつもりだったのだが、制御が甘すぎたようだと悟る。


 ――これは……必要がありそうね。


 もともと位階の上昇に合わせて身体の扱い方を馴染ませ、最高のパフォーマンスを発揮できるよう訓練するのは常だったが、今回はその逆だ。

 あまりにも強大な力を暴走させてしまわぬよう、十全にコントロールできるようにならなければ、とても誰かと共に行動することなどできそうもない。


 そう考えて、一度御神は奈落探索から深層の上部へと狩り場を移し、力の扱い方を模索していったのであった。






 ◆






 一通りの説明を黙って聞いていた水都、そして丹波の二人は、眉間に皺を寄せながら険しい表情を浮かべていた。

 一方で、長嶺はそういった話をダンジョン内を上がってくる最中に聞いていたのか、今更ながらに驚くつもりもないようだ。



「――つまり、その〝特殊進化〟とやらで御神は『上位人:氷華』とやらになったのだな」


「らしいですね。一通り試してみましたが、氷の魔法に特化したようです。魔力そのものが氷の属性を纏ってしまっているせいか、他の属性に変換する類の魔法が使えなくなっているようです」


「ふむ。長嶺、おまえは『上位人ハイ・ヒューマン』だったな。何か属性に縛りのようなものが発生していないのか?」


「ん。こっちはみかみんみたいにカードを選んだりっていうのもない。それに全体の能力が跳ね上がった感じ。多分、みかみんは特化型。全体的に強化される力の方向性が氷の属性に特化してる代わりに、他の能力を失った。生物の進化によくあること」


「……確かに、そう言われてみればしっくりくるな」



 名称からしても、十中八九は長嶺の〝進化〟した先こそが人間の一般的な進化先なのだろう、と水都は頭の中で整理する。

 まだまだ〝進化〟というものが人間にとってどのような影響を与えるか、また、御神のような〝特殊進化〟がどのような頻度で起こり得るものなのかは定かではないが、その辺りは〝進化〟を経験する人間が増えてくれば判明していくだろう。



「しかし、管理者の干渉ですか……。御神さん、何か思い当たる節はありますか?」


「いえ、私も考えてはいましたが、これと言って特には……」


「ふむ……。水都さん」


「あぁ、これも『クラン同盟』、それに探索者ギルドに共有してもらって構わない。探索者ギルドの方から何か確認できるかもしれないしな。情報を共有してもらっても?」


「ありがとうございます。もちろんです。何かこちらでも判明したものがあれば、その時は随時共有いたします」


「助かる。そういう訳だが、二人とも、何か希望はあるか?」


「いえ、大丈夫です」


「ん、こっちも」



 特に情報を秘匿するつもりも、その情報を商売道具にしようとも考えていない二人にとってみれば、むしろ公開され、情報が手に入る方が望ましいというのが本音であった。



「さて、あとは藤間と木下だが……――あぁ、タイミングが良かったみたいだな」



 水都がちょうど声をあげたところで、深層から上ってきた藤間と木下の姿が目に入った。


 先日の護衛任務の際、腕を侵食されかけた結果、斬り落とすことになった藤間ではあるが、今ではその腕もしっかりと回復しており、特に違和感なく日常を過ごせている。

 もっとも、戦闘で十全に機能してくれるかを確認する意味でも今回のダンジョン鍛錬に参加したのだが、その表情が明るいことからも、想定していたよりも影響はないようであった。



「あらら、最下位かー。遅れてすんません」


「構わない。急ぎではないからな。とりあえず全員が揃ったようなので、改めて上野から連絡が入った。我々はこれから地上に帰還し、明日は休息。明後日より、護衛任務を担当するようにとの命令が入った」


「護衛……」



 苦い記憶を思い出したのは水都だけではなかったようであった。

 水都はそんな部隊の面々を一瞥し、努めて何もなかったかのように表情を変えずに続けた。



「任務の詳細はここでは言えないが、にはいい機会になりそうだ」


「っ、それって……」


「そうだ。まあともかく、1時間の休息後、地上へ戻るべく出発する。以上、解散」



 この場所には『大自然の雫』の丹波という部外者もいるため濁した指示となったが、その言葉が何を指しているのかなど、いちいち言葉にせずとも分かるというものだ。


 そうして、それから4時間後。

 御神らは、『誤作動カード』所有者たちを護衛するための施設へ向かう移送車両の護衛任務を通達されることになったのであった。







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