こけし

神楽堂

こけし

お盆になると里帰りしたくなるのは、やはり私が日本人だからなのか。

そのような帰巣本能が刷り込まれているのだろうか。


八月になり、私は実家に向かう。

人とすれ違うときは、ついつい自分の頬を手で隠してしまう。

大きなあざを隠すためだ。

昔に比べれば、痣は目立たなくなっているというのに……

一度ついた習慣はなかなか消えないもの。

学生時代、本当はポニーテールやツインテールなどの髪型にしたかった。

けれども、私はいつも下ろした髪型をしていた。

痣を髪で隠すためだ。


そんなことを思い出しながら実家に向かう。

お盆に里帰りするなんて当たり前のこと、と思う人もいるかも知れない。

しかし、私の過去を知っている者からすれば、こうして律儀に里帰りしている姿など、おそらくは想像できないだろう。


私は社会のはみ出し者だった。


若い頃は一日も早く家を出たいと思っていた。

空を飛ぶ鳥のように、私は自由になりたかった。

この家に生まれてきたことを呪っていた。


* * *


あれこれ考えているうちに実家が見えてきた。

見ればやはり思い出してしまう、子供の頃のことを。

周りには誰もいないのに、また頬を押さえてしまった。


私の体は吸い寄せられるように実家へと向かう。

なんでこんな家に……


思いと正反対の行動をしている自分に苦笑した。


* * *


家に入った。

また殴られるのだろうか。

ついつい身構えてしまう。


恐る恐る、室内を見渡してみる。

母の姿は……ない。



この家での記憶が思い起こされていく。

蘇るトラウマの数々……

気分が悪くなってくる。

頬の痣がうずく。

やっぱり、帰ってくるんじゃなかった……


私は仏壇に向かった。

普通の家では供えられていないものが、我が家の仏壇には供えられている。


それは、こけし。


大きなこけしが仏壇に飾られている。

母の手作りだ。


そのこけしをじっと見つめていると、まるで昨日のことのように母がこれを作っていた頃のことが思い出された。


私は目を閉じ、回想にふけった。


* * * * *


私はいつも母から冷たい扱いを受けていた。


我が家は母子家庭で、父は離婚してどこかに行ってしまっていた。

私も家を出たかったが、行く場所がなかった。

生き延びることだけを考え、耐えていた。


「あんたなんて産まなきゃよかった」


母から何度言われたことか。


母は再婚しようと、いろいろな男性と交際していた。

しかし、子持ちということで始めから相手にされないことも多かったようだ。

私がいるせいで再婚できない、そのようなことを何度も言われた。


「あんたさえいなければ、私はもっと……」


じゃあ、私はどうしたらいいの?

いてはいけないということ?


* * *


中には、母と仲良くなり、家に上がり込むようになった男性もいた。


私が学校から帰ると、見知らぬ男性が家にいた。

怖いし、気持ち悪い。

この男性が母とどんなことをしているのか、考えるだけでも吐き気がした。


そういう態度は伝わってしまうもの。


連れ子と仲良くなれないみたいだから、と母は交際を打ち切られることもあった。

当然、怒りの矛先は私に向かう。


「あんたさえいなければ……」


私がいてもいなくても、母の性格では長くお付き合いするのは難しいのでは?

とも思ったが、そんなことは絶対に口に出せない。


「あんたなんて産まなきゃよかった」


そんなことを私に言われても……


もっと愛想よくしなさいとも言われた。

知らない男性に愛想よくしないといけないの?

不器用な私には無理だった。

私は自分に正直過ぎた。

嫌なものは嫌だった。


* * *


母がまた別の男性を連れてきた。

やはり、私は愛想よくすることはできなかった。

ところが、その男性の方は私と仲良くなろうと必死になっていた。

でも、申し訳ないけど、生理的に無理。

私のご機嫌を取ろうと、かわいいとか変に褒めてくるのも嫌だった。


ある日、母がいなくて、その男性と二人きりになったことがあった。


私はその男性に襲われそうになった。

必死で抵抗し、私はその場にあったものをつかんで殴りつけた。

その男性は怪我をした。


怪我の件は母の知るところとなり、私はその男性の前に連れ出された。

そして、母は私の顔を殴ってこう言った。


「怪我をさせるなんてとんでもない子ね! ほら、土下座して謝りなさい!」


私が何をされそうになったのか、母は知っているのだろうか。

ここで本当のことを言ったところで、さらに殴られるだけだろう。

私は土下座をさせられ、無理やり謝罪させられた。


そして、いつものようにこう言われた。


「あんたなんて産まなきゃよかった」

「あんたさえいなければ私はもっと……」

「あんたなんて消えてしまえ!」


こんな日々を過ごしていた。


* * *


ある日の夜中。

目を覚ました私は、居間で母が何かを作っているのを目撃した。


母はどこから借りてきたのか、ろくろのような機械で木を削っていた。


何を作っているのだろう。

声をかけることはできなかった。

どんな罵声が返ってくるか、それを想像しただけで、もう声を出すことができなくなる。

母に下手に話しかけると痛い目に遭う。

それは、身に沁みて分かっていたことだった。

余計なことは聞かない、話しかけない。それに限る。

二十四時間、私は母の機嫌が悪くならないことを祈りつつ過ごしていた。


* * *


数日経つと、ろくろを回す音は聞こえなくなったが、母はまだ何かの作業をしているようだった。

毎晩毎晩、こんな遅い時間に何を作っているのか気になった。


見つからないよう、こっそり覗いてみた。

母はまるで取り憑かれているかのように、一心不乱に作っていた。

円柱状の木をカンナで削ったり、ヤスリをかけたり……

その姿は狂気そのものだった。


母が削っているものが見えた。



こけしだ。

母はこけしを作っていた。



趣味で作っているのだろうか。

それとも、仕事なのだろうか。


聞きたくても私には聞けなかった。

藪をつついて蛇を出すようなまねはできなかった。


* * *


学校で友達に相談してみた。

母が夜中にこけしを作っていると。


すると、友達は言った。


「いい趣味じゃん。あんたへのサプライズプレゼントなんじゃないの?」


はぁ……

私が母からどんな仕打ちを受けているかを知らないのだろう。


私は言った。


「ところでさ、こけしってなんか怖くない?」


友達は答える。


「え? そうかな? かわいいじゃん」


「だってさ、こけしじゃなくても、人形ってさ、かわいいけど、なんか怖いっていうか……」


「あぁ、それ、分かるかも。人形って捨てたらバチが当たりそうっていうか、そういう怖さはあるよね」


「うん。人形ってさ、魂が入っているみたいで、なんか怖い」


「でも、考えすぎだよ」


「それはそうかもだけど……」


私は幼い頃、人形遊びをした記憶がない。

母が買ってくれなかったのだ。


お友達はみんなかわいい人形を持っていた。

お母さんに買ってもらったと自慢されて、それが辛かった。


私もねだってみたことがあるが、母は鬼になるだけだった。

なので、人形が欲しいという思いは押し込めるしかなかった。

人形なんて興味がない、という暗示を自分自身にかけ続けた。

私がこけしを見ると怖いと思うのは、こういうことも理由なのかもしれない。


母のこけし作りは続いた。

仕事も交際相手もコロコロ変わるくせに、こけし作りだけは飽きずに続いていた。


ついには塗料まで調達して、顔を描き始めた。


* * *


私は学校で、別の友達にこけしの話をしてみた。

すると、こんな言葉が返ってきた。


「こけし? なんか怖いよな」


私と同意見の人がいるとは。


「こけしってさぁ、なんかホラーじゃん」


私は気になった。


「ホラー? どうして?」


「だってさ、こけしって、子供を消すって意味なんじゃないの?」


「そうなの?!」


「こんな話、聞いたことないか? 昔、口減らしのために子供の間引きが行われていたんだよ。でさ、やっぱ子供を殺すのって罪悪感あるじゃん? で、こけしを作ってから殺すんだよ。子供の魂をこけしに移すって名目でさ。ま、結局は人殺しの罪悪感を少しでも減らすための儀式なんだろうけど」


私の頭から血が引いていった。


「こけしって、手も足もないじゃん。親に殺された子供が仕返しをしてこないように、こけしには手も足もないんだよ」


手も足もない……

だから親に逆らえない……


* * *


思えば、こけしを作り始めてからは、母は私にきつく当たらなくなっていた。

痛い思いをしないで済むのはよかったけど、母の様子がいつもと違うというのは、それはそれでなんだか怖かった。

しかし、今、答えが分かった気がした。


私を消すつもりなんだ。

だから、最近は機嫌がいいんだ。


いつもだったら、


「あんたなんて産まなきゃよかった」

「あんたさえいなければ私はもっと……」

「あんたなんて消えてしまえ!」


そんな言葉を浴びせてくるはず。


私なんて、いてはいけない存在。

そう考えて、私はずっと惨めな思いをして過ごしてきた。

そんな言葉を言われませんように……

そればかりを願って過ごしてきた。


子消し……


そういえば、ちょっと前から、夜中に母が私の部屋に入ってくる気配を感じていた。

寝ている私の部屋で、母が何をしているのかは分からなかった。

何か関係があるのかも知れない。


私は、母がいないときに、こっそりと作りかけのこけしを見てみた。


顔は完成していた。

その顔は……私にそっくりだった!!


恐怖のあまり、全身の血が凍ったように思えた。



私は……消される……



* * *



その夜、いつも以上に怯えながら布団に入っていた。


「あんたなんて産まなきゃよかった」

「あんたさえいなければ私はもっと……」

「あんたなんて消えてしまえ!」


これまでに母に言われてきた罵声が脳内に蘇ってくる。


「あんたなんて産まなきゃよかった」

「あんたさえいなければ私はもっと……」

「あんたなんて消えてしまえ!」


その母の声はだんだんと大きくなり、私の頭の中いっぱいに響き渡る。


「あんたなんて消えてしまえ! あんたなんて消えてしまえ! 消えてしまえ! 消えてしまえ! 消えてしまえ!」


やめて……

もう許して……

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………


布団の中で必死につぶやき続けた。


だめだ……


怖い……怖い……怖い……怖い……

消される……消される……消される……消される……



その時、居間の方から

「できた」

とつぶやく声が聞こえた。

完成したらしい。


カシャッという音も聞こえてきた。

作品を撮影したのだろう。


こけしを作っている間は殺されない。

しかし、今、こけしは完成した。



これから私は消されてしまう!

こんなところで寝ていたら危ない。

私は居間に飛び出した。

母は携帯電話をいじっていた。

おもむろに顔を上げ、私を見た。

また怒鳴りつけるのだろうか。私は身構える。


しかし、母が見せた表情は意外だった。


ニヤリ


母は微笑んだ。


そんな顔、今まで見たこともなかった。

いつも見せていた表情は仏頂面か、あるいは鬼のような顔か、そのどちらかだった。


笑う母の顔はとても怖かった。


机の上には完成したばかりのこけしが置かれている。

こけしと目が合う。

私とそっくりな顔のこけし……

そのこけしが、私を見て


ニヤリ


と笑った……



この瞬間、私の精神は崩壊した。


台所に走り、包丁を見つけて手に取ると、それを持って母へと突進した。



! ! ! !



これが、私が母を消した理由。


私は警察に捕まった。


* * * *


家庭裁判所での審理の中で、私は母のこけし作りの真相を知ることとなる。



母はSNSで日記を書いており、こけしの写真も上げていたとのこと。

そんなこと、私はまったく知らなかった。

日記には次のように書かれていた。


──────────


娘には今までつらい思いばかりさせてしまって、私は母親失格だと思っています。

嫌なことがあって、娘に八つ当たりをしたことも何度もありました。

ある晩、眠っている娘の顔をまじまじと見てみました。

顔を合わせるとつい、きついことを言ってしまうのですが、寝ている娘はなんだかかわいいと思いました。

そう気づいたときから、私は寝ている娘の顔を見に行くのが毎晩の楽しみになりました。

自分が産んだ娘が、今、こうしてすやすやと眠っている。

なんだか不思議な気がしてきました。

娘に「消えろ!」と何度も言ってきました。

けれど、本当に娘が消えてしまったら、と考えてみると、私はなんてひどいことを言ってきたのか、この歳になってやっと気づきました。

娘に優しくしたい。

けれど、なかなか自分の心に正直になれませんでした。

言葉ではつい、冷たいことを言ってしまうのです。

そんな自分に悩んでいたある日、「こけし」について書かれた文章を偶然、目にしました。それは、

「こけしは子供の健やかな成長を願って贈るもの」

という一文でした。

小さい頃、お人形も買ってあげなかった私。

なんだか申し訳なく思えてきました。

口ではうまくいえない私ですが、物を作って贈ることならできるかも。

そう思って、こけしを作ってみることにしました。

これで許してほしいなんて、都合のいいことは言えませんよね。

これからは心を入れ替えて、我が子を愛し、大切に育てていきたいと思います。


──────────


SNSには、製作途中のこけしの写真が何枚も上がっていた。

最終日には、次のコメントが残されていた。


──────────


ついにこけしが完成しました。

我ながらよくできたと思っています。

娘の顔そっくりにできました。

このこけしは娘の誕生日にプレゼントしようと思います。


──────────


これが、生前の母の最期の言葉となった。



私は女子少年院へ送致された。


女子少年院では勉学に励んだ。

伝統工芸である「こけし」についても、図書室で本を借りて調べてみた。


こけしに、子を消すなんて意味はなかった。

子消しの話は、怪談が好きな友人の作り話だった。


こけしは江戸時代から作られてきているが、もともとはこけしという名前ではなくて、「きぼっこ」「きでこ」など呼ばれていたらしい。

だから、「子消し」という意味で発祥したものではなかった。

「こけし」という名前になったのは昭和時代になってからのこと。

芥子けしの実に形が似ているからなど、由来には諸説あるようだ。


それを、私は自分が消されるのだと勘違いしてしまい、母を殺してしまったのだった。


* * *


少年院では木材加工の技術を習得し、作業に真剣に取り組んだ。

私には、出所してからの夢があった。

その夢に向かって作業を頑張り続けた。


少年院を出た私は、希望していた木工所に就職した。

こけしを作る工場だ。


工場長さんはとても理解のある人で、訳ありの私なのに、他の労働者と平等に扱ってくれた。


こけしの作り方を習得した私は、今は張り切って仕事に取り組む毎日を過ごしている。


* * *


お盆休みをもらった。


嫌な思い出ばかりの実家だったけど、なぜか自然と足が向いた。

それが私には不思議だった。


私は、仏壇に供えてあるこけしと母の遺影に手を合わせた。


そのとき、私の周りで風が吹いたような気がした。

窓は開けていないのに。


母もお盆だから帰ってきたのかもしれない。


「お母さん、おかえりなさい。そして、ごめんなさい……」


母が作ったこけしを見つめる。

こけしは無表情。

けれど、心なしか微笑んでいるようにも見えた。


「私も作ったんだよ、こけし」


持参したこけしを、母が作ったこけしの横に供えた。

並んだこけしは親子のように見えた。


こんな親子になりたかったな……


「これからも頑張るからね」


私はもう一度、仏壇に手を合わせた。



< 了 >



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