北條家の贖罪

@momochi1029

00 夢


 小さな女の子が丸くなってしゃがんでいる。

 泣いているのだろうか。

 白いワンピースを着ているその女の子は、小さな肩を震わせている。


 なぜだか、ここにいるのは僕と小さな女の子しかいないみたいだ。

 それ以外は真っ暗で何も見えない。

 まるで舞台の上にいるみたいに、僕とその小さな女の子にだけスポットライトが当てられている。

 二人だけの世界。

 

「......大丈夫?」


 心配になったからというか、子どもが泣いているからというか、とにかく僕はその女の子に声をかけなくちゃならない気がした。


「................」


 けれど、無視されてしまった。聞こえなかったのかもともう一度、「どうして泣いてるの?」と言ってみたものの、反応がまるでなく、相変わらず小さな腕の中に顔を埋めているままだ。

 さらにもう二、三回ほど続けて声を出してみたけれど、結果は同じ。

 どうやら女の子は僕の存在に気づいてすらいないみたいだ。


 この女の子は一体何者なんだ?


 細くて小さい腕の中に顔を埋めているもんだから顔はみえない。

 そもそも僕に、小学生くらいの女の子の親戚や友達(僕は高校生だから年齢の差がありすぎる)はいないから、誰だか思い当たる節がまったく思いつかない。


 というより、僕とは何の関係もないように思える。

 人を見た目で判断するのは良くないけど、小さな後ろ姿からでも何か普通ではないような印象を受ける。

 肩まで伸びている黒髪は艶やかで透き通っていて、精巧な日本人形みたいに横一直線にそろえられている。小学生くらいの背格好にしては、どこか令嬢の娘みたいな品の良さを感じる。

 ごく普通の家庭で育った僕にはとてもじゃないが共通点なるものが見当たらない。

 強いていうなら、同じということくらいだろう。


 すると、ようやく腕の中から顔を出した女の子は、横一線線の黒髪を撫でさせながら僕の方に視線を向けた。


「.......え?」


 見返り美人って言葉があるように、その小さな女の子の後ろ姿からして、予想通りの大人びた品のある顔であったり、逆に可愛げの子どもみたいなものを想像していたが、彼女と視線が合った瞬間から掻き消されてしまう。


 赤い瞳。


 鮮血のようなに赤くて透き通った2つのまなこ。

 泣いていたから充血していたわけでもなく、擦っていたから赤く腫れていたようなものではない。

 黒目ではなく、赤目をした少女。


 その2つの赤い瞳で少女は真っ直ぐと僕のことを視ている。

 あるいは睨んでいるのかもしれない。

 どちらなのかその瞳からは想像もつかない。

 少女は常に無表情、無感情で瞬きすら一度もしていない。それこそ比喩ではなく本当に日本人形なのではないかと思ってしまう。


 無言。

 無音。

 無心。


 乾いた自分の心臓の音だけが聞こえる。

 二つの赤い瞳を前にして、自分の中身を覗かれているような、あるいは瞳の中に吸い込まれるような、とにかく目を伏せることができないでいた。


「......助けて」


 霞のような小さな声だった。

 絞った雑巾をさらに絞って出したようなそんな弱々しい小さな声。

 それに泣いていた。

 相変わらず無表情のままなのだが、その少女は泣いていた。

 瞳から、血のような赤い瞳から、涙をこぼして頬を沿って落ちていくのが見える。


「今助けてやるからな!......ッ⁉︎」


 差し伸ばされた小さな手を掴もうと、その小さな女の子に近づこうとするもなぜだか近づけない。

 距離が一向にも縮まらないのだ。

 床と呼んでいいかもわからないがこの真っ暗な足下。でも確かに床を踏んでいる感触はあるし、前へとその少女に向かって進んでいる。

 けれど。

 どれだけで前へと進もうとも。

 その女の子に辿り着くことができない。

 助けを求めているその小さな手を掴むことができない。

 

「どうして、どうして、私を助けてくれないの?」


 無表情で抑揚のないトーンで少女は訴えかけるように言う。何に困っているのか分からない。

 けれど。

 少女はそれは僕に向けて、言っているようには感じなかった。

 僕のことを見ているようで、見えていない。

 そんな違和感みたいなものを感じる。

 じゃあ僕以外の誰かに助けを求めていたのだろうけれど、少女を助ける者は現れなかった。それが分かるとその小さな女の子は再び背を向けてしゃがみ込んでしまった。


 それからだった。

 渦に巻き込まれるみたいに、その少女から僕はみるみると引き離されていく。


 それから映像が切り替わるように、今度は神社の前になぜだか僕は立っていた。

 すると、空を切った音が耳元を擦するようにして飛んでいくのを感じる。

 目で追った瞬間には、胸を矢で貫かれた女が口から血を流している。だけど、それ以上に、胸から背まで貫かれた矢傷でもなく、口から溢れる赤い血でもなく、彼女の瞳を見て声が出なかった。


 それは、赤い瞳だったから。

 鮮血のように赤く透き通った二つ赤い瞳。

 先ほどまで背を丸くして無表情のまま泣いていた小さな女の子と同じ赤い瞳の持ち主。背中まで伸びていたが艶のある美しい黒髪も同じだった。変わっているとしたら僕と同い年くらいに見えるほどの背格好に変化していたことくらい。

 

 死ぬ寸前だというのに、その女の人は無表情のままだった。

 誰かに殺された人間が死ぬ寸前にどんな表情をしているかなんて、僕は見たことがない。けれども、怒りや恨み、憎悪といった悲しい表情をして死ぬのだろうと思っていた。

 この女の人の表情はもう生きていない。

 生きようとすらしていない。

 赤く透き通っていた二つの瞳は既に光を失い、白い石材で作られた参道を赤く染めたまま倒れている。


 僕はこの光景を目の前にして。

 

「......ごめんなさい」


 ごめんさない。ごめんなさい。ごめんなさい。

 と、どうしてか何度も誤ってしまっていた。

 彼女と僕との関係が何なのか未だに分からないけれど、黒くて重い物体が身体の中に絡み落ちるみたいに、彼女を失ってしまったことをひどく後悔している自分がいる。


 すると、また僕だけが渦に巻き込まれるみたいに彼女から、この神社の場所から引き離され始める。でも完全に引き離される前に彼女に対して僕は言わなくてはならない。背中を推されたかのように使命感や義務感みたいな感情が僕を乗せていくのが分かる。

 これは、僕の記憶じゃなくて記憶だ。

 −−わかった。

 誰かはわからないけど、僕はこの思いを引き継ぐ。

 そして、僕は叫んだ。


「生きろ! 生きろ! 生きろ! 僕が君の手を掴んでみせるから!」


 光をなくした赤色の瞳が、微かに動いたように見えた。


 


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