第37話

 学院での日々に、クルンカへの授業が加わった。

 といっても、まだ彼女は十二歳だ、いまはまだ基礎を磨く段階で、学院の講義に出るだけで充分といえる。


 この学院の講義は充分にレベルが高いし、学生の意識も高い。

 そんな彼らに混じって引けを取らないどころかけっこう優秀な成績を収めているらしいクルンカは、現状でも初年度でやれることはおおむねやり尽くしているのだ。


 まあ姫さまはカリキュラムをスキップして三年で卒業したんだけどね。

 クルンカはおれの研究室を掃除したり資料を整理したりおれのために料理をつくったりと細かい仕事も多いし、一概には比べられないけど。


 姫さまの場合はさっさと政治の方に専念したいとかいろいろ理由があったんだろうし、クルンカは逆に研究にも興味がありそうだ。

 学院の使い方は人それぞれなのだ。


 そういうわけで、おれがクルンカに教えることにした内容は、持久性の高い肉体強化魔法の習得である。

 ここでいう持久性というのは同じような魔法であっても魔力の消費が少なく、長い時間使っていられる、ということだ。


 大賢者さまがまとめあげた標準魔法は、習得しやすく使いやすいように機能をダウングレードさせているのだけれど、それの本来のバージョンにあたるものである。

 何でこんなものを覚える必要があるのかといえば、肉体強化魔法という基礎も基礎の魔法を通じて精密な魔力の扱いを学ぶのがひとつ。


 もうひとつの理由は、魔法というものがどういう理論でできていて、どこをいじればどう変化するのか、ということを学ぶためだ。

 コツを覚えれば即興で術式の一部をいじって活用する、なんてこともできる。


 たとえば軍では短時間の部分的な強化に適した肉体強化魔法なんかも使われている。

 特に、重いものを持つための強化魔法とかね。


 基本的には、そんなに重いものを持つなら道具を使え、なんだけど。

 でも戦場では何が起こるかわからないということで、そういうニッチを埋める魔法があるのだ。


「ほへえ」


 クルンカはおれの説明を、目を丸くしながら聞いていた。

 軍の魔法については彼女も詳しいのかうんうんうなずいていたものの、それを自分でも造り出せる、という話になると俄然、食いつきがいい。


「わたしがつくった魔法を、父や母が使ってくれたら……それは、とても嬉しいことです」

「まあ、そこまでひとつの魔法の専門家になる必要はないんだが」

「そうですねえ。肉体強化魔法は、もうずっと昔に、やれることだいたいやっちゃってる感じですし」


 うん、さすがに基礎の基礎だけあって、便利系は出尽くした感じがある。

 知り合いの研究者が片腕だけ異様に強化する魔法、というのをつくっていたけれど、パンチ一発で肩が外れて結局、使いものにならなかったと言っていた。


 肉体強化って一部分だけ強化してもだいたいはバランスが悪くなるし、使用者に負担がかかりすぎる。

 長年、使われ続けてきた魔法というのは、だからきっちりとそのへんのバランスを考慮されているものだ。


「というわけで、自分でいじれるようになっても、実験するときは必ずおれの目の届く範囲でやるように」

「はい、先生! やっちゃ駄目、じゃないんですね」

「腕が取れるくらいなら、すぐくっつけてやるから、ガンガン腕を飛ばしていけ」

「嫌です、腕が飛ぶの! もう少しマシな例えにしてください!」


 いやー、誰しも最初はやらかすもんなんだよ。

 あ、これくらいなら死なないな、と身体で理解するようになってからが本番である。


 みたいなことを自信満々に語ったところ、クルンカはジト目になっておれを睨んだ。


「先生、死んだらもう研究できないってこと、忘れてませんか? どうかご自愛くださいね」

「もちろんだ。こっちに戻ってからもクルンカが飯を用意してくれるから、身体の調子がいい。温かい朝飯を食べるだけで不思議と元気が湧くんだ」

「不思議じゃありません! 普通はみんなそうなんです!」


 酒場がまだ開かない時間帯に学院内の酒場の調理室を借りたりしているらしい。

 この子、なんかおれの知らないところで妙なコネをつくりまくってる気がする。


「この件については姫さまにお話を通してあるんですよ」

「あ、姫さまが酒場を使うようにって?」

「ええ。それで先生が健康になるなら、学院のひとたちの食生活も改善していけないかって」

「もしかしておれ、実験台にされてる?」


 別にいいけどさあ。

 ちなみに学院の研究者はだいたい朝は食べないし、昼も手軽に食べられるものをかき込むだけで、仕事が終わった後に酒とつまみで一日を終える感じである。


 不健康だね?

 冒険者時代はおれもけっこうよく食べた気がするから、単純に研究者としての生活が駄目なだけである。


「軍では最低でも一日三回、できれば四回食べさせるって、父が言ってました。子どものころちゃんと食べた人の方が身体がおおきい、ってデータが出てるそうですよ」

「それは、そうだろうなあ」

「あとは食事の内容ですね。野菜と肉をバランスよく。パンをかじるのがいちばん早いからパンばかり、とかじゃ駄目ですからね!」

「わかったよ、お母さん!」

「誰がお母さんですか、誰が!」


 ピカピカ光って怒るクルンカお母さん。

 うーん、今日もよく輝いてるね!


 クルンカの出す料理は、そのへんがしっかりしてるのはわかっている。

 軍人の親や祖父母から、健康のための料理という概念をしっかり教わっているようであった。


「これも、軍から学院へのフィードバックか。そもそも学院から軍に成果を吸われるばかり、って言ってる研究者は多かったからなあ」

「そんな話があるんですか? 軍は学院にとても感謝していると思いますけど。いまのうちの国の軍があるのは学院のおかげって」

「そのへん、腹を割って話し合う機会もないからなあ。きみの祖父が来たのも、交流を通じて相互理解を促すキャンペーンの一環なのかもしれないな」


 もちろん、クルカニウム関係の研究が軍にとっても重要な課題になりそう、というのもあるんだろうけど。

 姫さまのことだ、一手でふたつ、みっつの成果をあげようとしていてもおかしくはない。



        ◇ ※ ◇



 クルカニウムについては、おれたちが旅行をしている間に進展があった。

 正確には、向こうから進展がやってきた、というか……。


 学院の研究者のひとり、クルカニウムの研究には従事していないがその話は聞いていた程度の者が、クルカニウム鉱石を買ってきたのである。

 闇市で。


 とあるみすぼらしい行商人から手に入れたもので、珍しい鉱石だなと思って念のためメイス教授に鑑定を依頼したところ判明した、という次第である。

 鉱石のサイズは、成人男性の握りこぶしより、さらにひとまわりおおきなくらい。


 うん、ファーストが置いていったものよりずっと大型なのだ。

 闇市においてブツの出どころを探るのはご法度だが、これには研究者側も軍人側も色めきだった。


 よし闇市の一斉検挙だ、乗り込んで行って何としても出どころを突き止めるぞ、と準備していたところで、それを耳に挟んだ姫さまがストップをかけて、たいへんな騒動であったらしい。

 闇市の存在は王国も黙認しているもので、学院と軍がタッグを組んでこれに突入するのは、あまりにも秩序を乱す行為である、と王さまじきじきの説教が飛んだのだとか。


「うわー、たいへんでしたねえ」


 帰還の数日後の夕方。

 学院でもだいぶお高めの酒場にて、学生のメリアちゃんとふたりきりで呑みながら。


 メリアちゃん、もとい姫さまからそんな説明があったのに対して、他人事のような返事をした。

 姫さまは、ジト目でおれを睨んだあと、おおきなため息をついて、度のきつい蒸留酒を一気に呑み干す。


 顔色ひとつ変わらない。

 王族はパーティで酒を呑むことがほぼ義務みたいなものだから鍛えられている、みたいな話は聞いたことがあるなあ。


「調整役として、どれほど頭を悩ませたか。何故あなたがたは、いつもいつも世の秩序というものを考慮しないのです」

「あえて誤解を招く言い方をするなら、世の秩序に疑問を持って真理を探究するのが我々の使命だから、ですかね。おおむね学院の理念もそんな感じじゃないですか」

「くっ、なまじわかってしまうから反論できませんっ」


 だん、と拳で木の机を叩く姫さま。

 この酒場、もう少し遅い時間にならないと客が入らないから、いまの客はおれたちだけである。


 メリアちゃんモードの姫さまはいちおう髪と目の色を変えて顔立ちを少し変化させているけれど、これがどこまで変装として機能しているのかは、さだかではない。

 たぶん、去年まで学生だった姫さまを見ていた人なら、あれって思うくらいにはわかる感じ。


 まあそういう人は、黙ってスルーしてくれるわけだけども……。


「姫さま、軍人の気持ちも、学問の徒の気持ちもわかる系の為政者ですからねえ」

「両者の考え方がわからなくては我が国の未来は預けられぬ、と父もおっしゃっておりました。その点に関して、父には感謝しております。それと同時に恨めしくも思っています。わたくしだって、もっと上から目線で軍人と研究者あいつらの無茶振りを却下したかった! 適当に成果だけを収奪したかった!」


 机を、だん、だん、と叩いている。

 そんなに無茶ぶりされているんだ……たいへんだね、と他人事のように考える。


 まあ、そういうところが、この国のいいところなんだよ。

 王家が無茶振りに乗ってくれて必要な責任を取ってくれるから、おれたちは自由に技術の発展のため打ち込めるわけで。


 彼女もそれがわかっているのだろうし、だからといって愚痴くらい聞いて欲しいとおれにある意味、甘えている。

 いいんだけどね、こちらとしてもおれがいない間の情報は欲しかったし。


 国のためとか正義のためで頼られるのは苦手だが、友として頼られるならそれは嬉しいことだ。


「軍はともかく、メイス教授は、なまじ予算が手に入っちゃっただけあって、研究に妥協ができないのでしょうねえ」

「暗にわたくしが研究費を増やしたから、とおっしゃりたいのですか」

「姫さま的には、水質の研究の方で使いきっちゃっても問題ない、程度なんでしょうけど。そこはきっちり説明するべきでしたね」


 姫さま、おれといっしょに水質調査に行ったから、そのへんの解像度が高くなっているっぽいんだよな……。

 村のそばの水源にどんな物質が混ざっていると飲めるとか、どれだとどう濾過すればいいとかの説明、めちゃくちゃ真剣に聞いてくれたし。


 今回のプロジェクトで国のあちこちからデータが集まって、そのあたりの集積ができるようになった。

 その過程で、別グループが病気の元になりそうな寄生虫も発見してて……あ、このへんの話はまだ秘密にしておこう、たぶん話すと長くなるし食事中にする話題じゃない。


 ちょうど店員が頼んでいた川魚の揚げ物を持ってきたので、分けて食べることにする。

 身がぷりっとしててうまいな。


「うん、上手く骨切りされている」

「骨切り、ですか」

「この魚、小骨がちょっとね。だからここの店主が、皮を切らないギリギリのところまで細かく刃を入れて、骨がわからないくらい細かくしているんです。この前、山登りのときにチャッケナって研究者の護衛が教えてくれた技術をここの店主に教えてみたんだけど、上手くいったみたいですね」

「チャッケナ……海の民の王女ですか。なるほど、あちらの技術……。まだまだ、知らないことばかりです」

「かなり手間がかかるって愚痴られたけど、メリアって学生に出すって言ったら張り切ってくれた」

「それは上々。店主には、後でお礼を言っておいてください」


 姫さまがじきじきにお礼を言うと、向こうもさすがに恐縮するだろう、という配慮だ。

 そこまで気になくても、とこの国の民じゃないうえに姫さまの母親と知り合いだったおれとしては思ってしまうのだが……まあ、この国の民にはこの国の民の考え方がある。


「手間を考えたら、学院の酒場向きの料理としてはかなり割高になるでしょうね。この店以上のランクじゃないと出せないかもしれません」

「それはそれで、結構なこと、なのですよ。貴族の集まりで出す料理には相応の格が必要です。他国のお客さまに出す品目として、ふさわしいものも」


 あー、そういう考え方になるか。

 貴族のパーティとか出たことないし、絶対に出たくないもんな……。


 いや、わが師が、そういうパーティの悪口ばっかり言うからね……。

 それでもそういうパーティに出なきゃいけなくて、身代わり人形をつくったくらいだから……。


「話を戻しましょう。わたくしとしては、鉱石や水質調査を含めた全体に予算をつけたつもりです。こちらからも再度、先方に話はいたしますが……」

「ええ、メイス教授には、姫さまがそうおっしゃっていた、と改めて話をしておきます。それで、闇市を襲う計画が消えるかどうかはわかりませんが」


 表だって襲えないならこっそり襲ってしまえ、という裏の計画が進んでいるのだとか。

 後始末をさせられる姫さまとしては、絶対に勘弁して欲しい、とのことである。


「鉱石がどこから流れて来たか、わかればいいわけですよね」

「そうですが、腹案がおありですか? 闇市の裏には我々でも少し面倒な者たちがついております。正攻法では難しい」


 一部の高位貴族と古くからの暗殺組織が結託して闇市を取り仕切っている、という話がある。

 おそらく、姫さまはもっと正確な情報を掴んでいるのだろう。


「ちょっと知り合いを当たってみるか」

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