第23話

 学院の少しお高めな酒場のカウンターで琥珀色の蒸留酒をストレートで呑んでいたところ、隣の席にエリザ女史が腰を下ろした。

 おれと同じ酒を、ロックで頼んでいる。


「この蒸留酒を氷で割ったもの、うん、面白いね。上の方々は、このような呑み方は邪道だと言うのだが」

「ご老人の時代は気軽に氷を頼めなかったからでは?」

「そうかもしれないね。氷の魔法に長けた魔術師がいつも近くにいるならともかく、魔道具で安価な氷がいつでも手に入るようになったのは、ここ二十年少々のことだそうだから」

「加えて言えば、このような蒸留酒が一般的になったのも、ここ三十年くらいですね。前々から、製法は大賢者さまが教えていたのですが、魔術師以外がつくるのは少々難しかったとのことで」


 おれは、以前に調べた酒の歴史を思い出しながら語る。

 ちなみにこれは、冒険者時代に酔っ払った老魔術師から聞いた話だ。


 その魔術師は貴族のお抱えの醸造所をつくって財をなし……。

 その酒の飲み過ぎで職を失った、と自慢げに語っていた。


 現在、一流の魔術師にとって、自らの手で酒をつくるような仕事は、あまり実入りがよくない部類に入る。

 しかし蒸留酒の製造に特殊な魔法が用いられていた時代、酒造魔術師という言葉すらあったほどに稼げていた者もいたのだと。


 しかし時代は下り、現在、蒸留は魔道具の仕事となった。

 この学院でも、蒸留酒の研究が極めて盛んだ。


 で、優秀な魔術師の仕事は、もっと別の、魔道具ではなかなかできないようなものが主流となった。

 ごく一部、物好きな王侯貴族が、現在も酒造魔術師を雇って、ヒトの手で蒸留酒をつくっているという話もあったりはするのだが……。


「饒舌に語るね」


 魔法と酒の歴史について語りながらちびちびとグラスを傾けていると、エリザ女史は少し驚いたようにそう言った。


「前からあちこちの酒場に通っているのは知っていたが、きみがそこまで、酒が好きだったとは」

「冒険者なんて、みんな酒呑みなんですよ」


 偏見に満ちた断言をする。

 エリザ女史は、「それは偏見だと、わたしでもわかる」と笑った。


「ところが、八割くらいは事実なんです。切った張ったが日常の一部になると、どこかで気持ちの帳尻を合わせる必要がある」

「そういうものかね」

「長くやっていればいるほど、心が荒むのを感じる。だから、大半は数年で財を築いたら辞めていく」

「死ななければ、だね」

「その上で、ずっと冒険者をやっているヤツもいる。皆、心を平常に保つ術を心得ていて、だからこそ酒を浴びることを好む者も多い」


 そのぶん身体が、特に胃がぼろぼろになるわけだが。

 どのみち冒険者なんて激しい仕事、どうごまかしても四十代あたりが限界である。


 五十代以上ともなれば、後進に道を譲る……と言えば聞こえはいいが、一線を退き指導側や管理側にまわることが多い。

 それができずにずるずると続けるヤツもいるっちゃいるが、己の衰えと向き合えない者から死んでいくのだ。


 中には、いるけどね。

 四十過ぎても現役バリバリ第一線の化け物みたいな偵察兵とか。


 単騎で王宮に侵入して王の首を刈れる、と豪語する偵察兵とか。

 まわりが全員引退したか行方不明になった後もひとりだけ現役の偵察兵とか。


 全部約一名だな?

 まあ、そういう規格外もいるっちゃいるってことで。


 エリザ女史は氷が半分も溶けないうちに琥珀色の液体を呑み干した後、二杯目は水割りを頼んだ。

 子どもみたいな見た目だから、彼女の存在にバーテンダーが慣れているこういう酒場でなければ落ち着いて呑めないのだ、と自虐を始める。


「世の中、大人のレディに対して失礼な者ばかりだよ」

「うーん、まあ、ええ、そっすね」


 恨みがましい目で睨まれた。


「ずいぶんと失礼なひとりが、ここにいるね」

「おれにだって語彙力の限界があります」

「酔った勢いで殴っても許される気がしてきたよ」

「まあ、呑むことは否定しませんがね。呑まなきゃやってられないこともあるでしょう」

「わかっているじゃないか」


 水割りだから実質ノンアルコール、と呟いて、エリザ女史は二杯目を一息で呑み干した。

 ヒトの最先端、若手の中でも特に優れたひとりと言われる彼女が言うんだから、きっと論理的に正しいのだろう。


 おれはゆるゆると自分の一杯を楽しみながら、「部下に当たり散らすよりはいいですがね」と呟く。

 はたして、その言葉は耳ざとく捉えていたようで、「同僚の研究者に当たるならいい、ということかね」と返された。


「今度は何を揉めているんですか」

「教授会で、森の奥の霊草利権について議論が起きている」


 それ、ひょっとしておれが関わった一件か?

 あれは結局、姫さまが「森の奥からやってきた軍勢は壊滅、しかし更に奥に巨獣の影あり、森の調査は慎重に進めるべき」と声明を出したはずだけど。


「きみが犬亜人と話ができた、という報告があがっている。犬亜人と交渉して霊草を安全に、定期的に仕入れられないか、と言いだした教授がいてね」

「待ってください、おれは他人に亜人の言葉を教えるとか、そんな面倒なこと……」

「耳長族の知り合いを招聘するそうだ」


 まさかファーストじゃないだろうか。

 いや、たぶん他の耳長族だろう。


 故郷を出ていく耳長族は、数が少ないとはいえ、いないことはない。

 だからこそ、耳長族という種族がヒトに認知されている。


 普段は面倒だからと身体的特徴である長い耳を隠す者も多いけどね。

 ファーストは気まぐれに耳を隠す帽子をかぶったり、認識阻害の魔法を使ったり、幻影の魔法を使ったりと対策を講じている。


 それでも酔っ払うときは魔法を取っ払っていたりするから、割と王都の耳長族の話って実はファーストだったりするんだよなあ。

 いまのところ、たいした問題は起こしていないっぽいから、まあいいっちゃいいんだけど。


「おれに仕事がまわってこないなら、それでいいですよ」

「最近のきみは王族のお気に入りだからね。迂闊に触りたくない、という空気があるんだよ」

「別に気に入られているわけじゃないんですが……」


 便利に使われているだけである。

 姫さまも、遠慮しなくなってきた。


 頼むから、研究者としての本分に立ち返らせて欲しい。

 面倒ごとは、これ以上持ってこないで欲しい。


「安心したまえ。きみにこれ以上、手柄を立てて欲しくない者は多いようだ」

「素晴らしいですね」

「きみの予算を減らしたいという者も多いようだ」

「最悪ですね。いまのところ契約金でかなり稼げているからいいですけど」


 ちなみに研究室の維持にも予算がかかっている。

 予算を減らされて、研究室が小さくなるのだけは勘弁して欲しい。


 別に、どこかの誰かがふらっと入ってきて寝床にしているから、というわけじゃないぞ。

 純粋に、秘密を保ったまま実験するスペースが必要という話である。


「あと、きみに派閥に入って欲しい、という者もいるな。いくつか接触が来ているだろう?」

「当然、全部お断りしてますよ」

「そんなことだから、嫌がらせで予算を削られるんだよ」

「おれはただ研究をしたいだけなんですけどねえ」

「ヒトが集まれば派閥が生まれるのは自然なことだ。何者とて、そこから逃れることはできんよ。大賢者さまとて、ヒトに知識を広める過程で無数の派閥にそれを阻まれ、苦労したと伝えられている」


 それは事実だ。

 なにせ師は、いつも誰がどうして邪魔をしてきた、ああして成果を無にした、と愚痴っていたから。


 おれは深く深くため息をつく。

 結局のところ、ヒトのもめ事から逃れたい、というのはただの現実逃避、わがままに過ぎないというのは頭では理解しているのである。


「なんかこう、ゆるくて何していてもいい派閥とかないんですかね。会合とか拘束とか全部ナシで」

「それは派閥の意味があるのかね」


 はい、言ってみただけです。

 ちなみに彼女は大手派閥の下っ端として、雑用で研究の時間が削られていることを日々愚痴っている。


 そりゃあ、酒を呑む速度も上がろうというものだ。

 あ、三杯目にさっそく口をつけて……。


 一気にぐいといったな、大丈夫か?


「ペース早くないですか」

「きみが派閥のことなんて言い出すから、派閥の会合で言われた嫌味を思い出しただけだ。なにが『きみは若く見えていいね』だ! 学生に子ども扱いされて傷つかないとでも思っているのか!」

「あ、はい、スンマセン……以後気をつけます……」


 これ狩人の格言で、藪をつついたら蛇猫が出てきたってヤツだ。

 エリザ女史は、四杯目の水割りも一気に半分ほど減らした。


 女史の頭が前後にふらふら揺れている。

 疲れもあるのか、だいぶまわっているなあ。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ、全然まだ酔ってないよ」

「酔っ払いはみんなそう言うんです」


 バーテンダーに合図をして、水のグラスを出してもらい、五杯目と偽って呑ませる。

 女史は一気に中身を空けて、酒臭い息を吐いた。


「これは水だね」


 あ、気づいちゃった。

 というか一気に酔いが醒めてる。


「おかげで目が覚めた。醜態を晒さずに済んだことに感謝するよ」

「酔うのも早ければ醒めるのも早いのか……」

「それはそれとして、考えておきたまえ。派閥に入るかどうかはともかく、どこかの派閥と交渉するなら、考える余地はあるだろう?」

「具体的には?」

「きみに向いたところだと、魔道具の研究と生産を共同でやる、といったあたりだろうね」


 魔道具の研究と生産を共同で、か……。

 うーん、それに何のメリットがあるんだ?


「派閥と言ったってヒトの集まりで、利益にはなびくものだ」

「ああ、そういう意味ですか。利権を分けろ、と」

「それだけじゃないよ。きみ、学院に提出する書類が多いことを面倒がっているのだろう?」


 ちっ、バレたか。

 そりゃ、この地に居場所を確保するのに書類が不可欠なのはわかっちゃいるんだが……。


「書類に詳しい助手がいると、なにかと便利だよ。そういうのも、派閥から紹介して貰える。金のない学生は、いるところにはいるからね」

「あ、そういうツテは本当に助かるかも……」


 学院にいるとはいえ、学生との接点がほとんどないからなあ。

 講義を持てばいいんだろうしそういう誘いも来てはいたんだけど、単純に時間を取られるのが嫌なのだ。


 しっかし、助手を雇うとなると、ファーストの残していった寝具は片づけないといけない。

 部屋の掃除、しないとなあ……。


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