「春」最終話
Side—美惑
体育祭による振り替え休日を経て、登校した火曜日の事。
佐伯さんという運転手に送ってもらい、いつも通りの時間に登校すると、一大事だった。
教室に入るなり、雨音が尋常じゃない汗をかきながら、足早に近づいて来てこう言った。
「大変な事になったぞ」
「何が?」
「保健室の桃地先生」
「先生が? どうしたの?」
「朝から校長室に呼ばれてる」
「ふぅん。それで?」
「お前、何も知らないの? 双渡瀬に聞いてない?」
ふるふると頭を横に振る。
良太との連絡は絶っている。
電話は着信拒否設定。SNSは全てブロック。
「あ、そう言えば……。いのりちゃんから不在着信入ってたっけ。何があったの?」
雨音は手にしたスマホを何やら操作してこちらに向けた。
「何? これ」
「こっちが双渡瀬で、こっちの犬みたいになってるのが桃地先生」
「げ! 変態じゃん!」
「この画像がNexで拡散されてたんだよ。幸い、この画像自体は俺たちが通報してすぐに削除されたんだけど、一部の保護者の目に留まってしまったらしくて」
「それで?」
「3年の保護者間のグループラインで共有されてしまったんだ」
「ヤバいじゃん」
「そう、それで、学校に苦情が殺到してるみたい。今朝、保健室に行ったら桃地先生の代わりに事務の先生がいて。もう、桃地先生は保健室には戻らないかもって」
「問題になっちゃったの?」
「たぶんな」
「大変!」
美惑はカバンを机に放り投げると、すぐに校長室に向かった。
何やってるのよ、一体。
あんなの保護者に見られたら、クビになるに決まってるじゃない!
あたしなら、これは絶対にあたしじゃありませんって嘘吐きとおすけど、桃地先生にそのスキルはないだろうな。
全部本当の事言っちゃうんだろうな。
校長室の前には、いのりちゃんと良太がドアの前に耳を寄せていた。
「いのりちゃん、良太!」
「美惑……」
二人に合流して、美惑もドアに耳を寄せる。
ドア越しに聴こえたのはキンと脳にまで響きそうな教頭のヒステリックな声だ。
「教諭として、いや、大人としての責任を、どうお考えですか? ごめんなさいではすみませんよ」
「はい。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。どんな処分もお受けいたします」
「な、なんと?」
「覚悟の上なのです。本日限り、退職致します」
「ちょっと待ったーーー!」
そう叫びながら、ドアを開けたのは良太だ。
正面には、偉そうな椅子に座った校長、その横に教頭。
その前に立たされていた桃地先生はこちらに振り返った。
「良太君」
「なんだ、君たちは。出て行きなさい! 出て行けー!」
「先生。なんで辞めちゃうの? 保健の先生になるために頑張って来たんだろう。先生が辞めるなら、俺も辞めます。俺の責任ですから」
「ちょ、ちょっと双渡瀬君!」
慌てた様子の教頭がそう声を上げた。
「桃地先生と双渡瀬君が辞めるなら私も辞めます」
今度はいのりが、泣きそうな声でそう言った。
「桃地先生が辞めるなら、事務所の社長に、本校への寄付をやめるように提言します」
「ちょ、ちょっとー! 君は黒羽さんか……」
校長が汗を拭き拭き立ち上がった。
「まぁ、ちょっと落ち着いて」
「生徒が立ち入る話ではありません。双渡瀬君。君は被害者なのですよ」
「は? 被害者?」
「これは、教諭による生徒への淫行。性被害ですよ」
「違います! 僕たちは恋人同士だ。お互いに望んで付き合ってるだけです。先生は何も悪い事してません」
「しかしですねぇ。教師と生徒である以上——」
そう言いかけた校長の眼前に、雨音がスマホの画面を突きつけた。
そこに何が写ってるのか、ここからは見えない。
「校長先生。この画像に見覚えありますよね?」
ズレたメガネをグイっと持ち上げて、校長は画面に顔を近づけた。
「こ、これは……」
校長の顔は、一瞬にして土色になった。
「この男性は校長先生でまちがいないですか? 女の子は、確か1年C組の赤坂比奈ですよね」
「そ、それは……」
雨音はいのりと何やら目を合わせて、ニヤリと笑った気がした。
「赤坂比奈は、中学の時からパパ活していたそうです。まさかそれに引っかかったって話じゃないですよね? もしかして、彼女がこの学校に入学できたのは校長先生の力添えがあったとか?」
「うっ……ううう……、いや、あの……そんな事はは……」
「何かの間違いなら、そう言ってください。人違いですか? もしこれが人違いなら、桃地先生と双渡瀬の件も人違いだと思うんですよ。他人のそら似ってよくありますからね」
「あ、ああ。そういう事も、あるかも、知れません……」
尻すぼみにそう言って、校長は椅子に吸い込まれるように腰掛けた。
あたふたとあちらこちらに視線を走らせていた教頭も、もう何も言わなかった。
「と、とにかく、教室に戻りなさい。桃地先生も、保健室に戻って業務を再開してください」
「え? それって」
「これは、何かの間違い。フェイク! そうフェイク画像です。生徒がふざけて、いたずらで、こんな画像をSNSに流したのです。そう、そういう事です。ねぇ、教頭先生」
教頭は一人憤慨した様子で、下唇を噛みしめていた。
あたしには、何がどうなってそうなったのか、よく分からなかったけれど、とにかく雨音のお陰で、この件は丸く収まったようだ。
窓の外には新緑を深めた桜の木が、南風に揺れて、夏の訪れを知らせていた。
「春章」完結
・・・・・・・・・
更新、滞りがちですいません。
長かった「春」が終わりました。
引き続き、「夏」をお楽しみください。
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