即席彼女

筆入優

即席彼女

 即席彼女はポストに入っていた。ぺらぺらの紙に印刷されているのは、僕が造形した顔、形。同封されていたもう一枚は説明書で、即席彼女を膨らます方法が記されていた。


 手順は煩雑ではなかった。リビングの床(平らな場所ならどこでもよかった)に置き、愛を込めるだけ。たった二つの工程をこなすだけで、僕だけの彼女が、村上春樹で言うところの百パーセントの女の子が完成する。


 愛は念だ。彼女を触らずとも、彼女のことを想うだけで一枚の紙は一人の人間へと進化を遂げる。


 ソファに座って愛を送ると、一枚の紙は風船みたいに膨らみ、一般体型へと姿を変えた。ショートヘアに薄い唇。体は特にメイキングしなかったので、これといった特徴はない。ちゃんと服も着ているし、見えにくいというのもあった。


「こんにちは、宮村君」


 彼女は薄く微笑んだ。小さくて透き通った、小雨のような声も僕の理想と重なっている。本当に彼女は僕の彼女なのだ、と確信した。


「それとも、祐樹君とお呼びしたほうが?」


 あまりに高いクオリティに唖然とする。性格も設定した通りだった。適度にからかってくれる女の子は、まさに僕の理想像だった。即席彼女を開発した『ヒューマン・ナイス』のスローガン『お客様の理想を叶えます』に恥じない出来だった。


「私……何か悪いこと言いました?」


 彼女の人間性に驚くあまり一言も発していなかったことを思い出す。


「ああ、ごめん。あまりにも君が可愛かったから」


「名前で呼んで欲しいです」


「梨花」


「やっぱり恥ずかしい」


 耳をすましてようやく聞こえるぐらいの声だった。アニメの中の女の子みたいなリアクションだ。彼女が人間であることを時々忘れそうになる。鉄の塊でもなければ画面の向こう側の存在でもない、僕の愛情で動くヒト。穿った見方をすれば、それこそロボットだ、と主張することもできるが、恋している人々は総じてロボットだろ、と僕は思う。恋に、そして愛に人生を突き動かされるのは、もっとひどいワードを用いるならば『恋愛感情の奴隷』だ。だから、彼女——梨花は人間だ。


 人間であり、ロボットである。


  *


 家に帰ると毎日梨花がいて、今まで一人で過ごしていた時間は梨花といるようになって、ベッドが一回り大きくなった。僕らは互いに愛し合い、時には傷つけ合い、治療に愛を用いた。十分すぎる愛情を注ぎあった。順風満帆な同棲生活だった。


 だから、彼女の濃度が薄くなった時、僕はひどく混乱した。何が起こっているのかわからなかった。彼女の体は日を追うごとに透明度を増した。五年が経とうとしたとき、とうとう影がなくなってしまった。太陽が彼女を認識しなくなった。


「私、明日消えちゃうかも」


 梨花の敬語が抜けてきて寂しいと思う反面、そこまで親しくなったのにこんな形で別れることになるのは悔しかった。


「なあ、僕はどうすればいいんだ。梨花のために何ができる」


 ベッドの上ですすり泣く彼女を抱きしめたところで、事態は好転しない。むしろ、彼女の容態は悪化するばかりだ。


 彼女は震える声で言った。


「怒らないで聞いてほしいの」


「ああ、聞く。梨花の言葉なら、なんでも」


「私、初めからわかっていたの。体がどうしてこんなことになってしまったのか」


 声も出なかった。手が震えて、呼吸が浅くなった。


「どうして今まで、言ってくれなかったんだ」


 原因を知るのは後回しでいい。今は梨花の気持ちが知りたかった。


「ごめんなさい。私の体はどうやら、祐樹君の愛の量に耐えられなかったみたいなの。でも、量を調節してほしいってお願いもできなくて……本当に、ごめんなさい」


 まず頭に浮かんだのは、よくある別れ話だった。


 あなたの愛が重すぎたのよ。そう言って別れる男女。


 でも、愛が重すぎて体が透けるなんてことはあり得ない。


「まさか」


 今一度、梨花がただの女性ではなく即席彼女だということを思い出す。彼女を人間だと思いたくて長年蓋をしてきたその事実に、今は触れなければならなかった。


 即席彼女。即席カップ麺。


 どちらも、注ぎすぎると薄まるのだ。

 

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即席彼女 筆入優 @i_sunnyman

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