彼女がぶーちゃんになった理由
黒作
彼女がぶーちゃんになった理由
::ノーサンクス。NOSANKS。電脳世界。
@電脳世界。対人乙女ゲームなる、ヤクザな遊びに興じている者です。
私が恋をしたのは、彼の文字。
*
仕事を終えてウチに帰って、ノーサンクスにレッツどぼん。仕事全部ノーサンクスで完結できたらいいのに、リアルは一生ついてまわるんだぜ。仕方ないね貢ぐためには働かねば。当方こんな感じの女子です。
目を開けば、古き良き日本の風景。鮮やかな自然のパノラマ、古式ゆかしい日本家屋。遠くからうっすらと聴こえる雅楽はBGMで、ON/OFFを選べる。普段はOFFが好きだけど(感情移入できるから)、私はこのゲームの音楽が好きなので、よく聴いている。邪魔じゃないBGMってすごいよなあ。
『またその格好?_』
彼の言葉は基本、短い。あとこのご時勢にテキストチャット。そこが良い。
目の前のイケメン(二次元イケメンですから。二次元イケメンを三次元に完璧にモデリングしてますから!)は、あんまり笑わない。彼の感情表現はいつも一呼吸かニ呼吸分くらい空く。直結はしてないんだろう。だから彼が笑うときは、彼が自分のアバターに「笑う」とコマンドしたのだと予想している。良い。
「昨日もカエルのアバター見つけて、衝動買」
『カエルは入室させません_』
「かぶせて来るほどいやか! リアルなのじゃないよ、かわいいやつだって」
『ふうん_』
ふーん、じゃなくて、ふうん、って書く。良い。
私のアバターがご機嫌に笑う。
彼と会う時、私は直結してるから、現実の私も笑っている。
**
バーチャル世界でできることなんてそれこそ何から何まであるけど、私がよく行くのは「世界散歩」と「恋愛ゲーム」だ。
私がやる恋愛ゲームは、対人タイプ。攻略対象のキャラに中身がいるやつ。プログラムタイプより断然料金が高い。リアルホストクラブで間違ってない。
キャラの中の人、アクターが、そのゲームの世界設定とキャラ設定にもとづいて会話してくれるのだ。ツンデレとかヘタレとか演じながらね。何度も会って会話を重ねていって、そのキャラの攻略条件を満たすとデレてくれる。攻略条件やデレモード突入は特定ワードが多い。特定ワードはそのゲーム世界の中で用意されたクエストや、日々の会話とかにヒントが隠されていて、ゲームによってアホほど難しかったり、ベタなキャラなら簡単すぎたり。色々あって大変楽しい。
もちろん判定は全部リアルタイム、中の人次第だから、どんなに鈍いヒロインさん(私どものことですよ)でも、通いつめてれば人情でちょろっとヒント出してくれたりする。そういうがうれしかったりして、またつぎ込んじゃうわけです。
彼らはプロだから、ヒロインを本当に傷つけることは言わない。キャラ表現の一環としてキツい言葉、罵倒を使ったりすることはあるけど、ヒロインの中の人格を攻撃することはない。アクターは会社によっては、相当難しい試験があるのだとか。実際のところ、乙女系のアクターは女性も多いんだそうだ。女性の喜ぶ言葉を知ってるのはやっぱり女性なんだろう。キャラの声はアバターに設定されているから中身なんて関係ない。
私がお気に入りの彼も、中の性別なんてものに思いを馳せてはいけないのである。
「そういえばこの前、エンパラのぞいて来たんだけどね」
『エンパラ? エンジェリック・パラダイム?_』
彼は通話ではなくテキストで会話するので、いつも最後に_がつく。点滅はしない。
「うん。知らないの? 自分の業界のことじゃん」
正式名称を確認されるとは思わなかった程度には、大人気の対人恋愛ゲーム。攻略対象はみんなアイドルである。ややヤン率が高いのが特徴なのかな。シナリオもそういう内容が多いらしいし。
彼は少し考えたようだった。普段、声とテキストでもほとんどラグなく会話できてるから、反応がない=言葉を考えてる、だと思う。
『僕は大正時代の書生だから、そういうことを知ってちゃいけないんです_』
「今思い出したろ自分の設定」
つーんってそっぽを向きよる。正座の膝に置かれた手がぐーで、落ち着いた青年キャラの
「遼政君って、そんなポーズあったんだ」
『これは組み合わせただけ_』
「なんだ。ねえ、私がまだ見てない特殊ってまだあるの?」
『んー_』
デレモードや攻略次第で普段は見られない特殊ポーズや特殊表情が見られるんだけど、私は長いこと遼政君に通いつめているので、てっきりコンプしてると思ってた。今のポーズは初めてだったから、驚いた。
『それはご自分で見つけて下さい、ぶーちゃんさん_』
「あら、商売上手ぅー」
『時々こっそり追加されるからね_』
「いくら搾り取れば気が済むの!」
遼政君が笑った。笑う、って入れたんだと思うから、彼は次の言葉を笑った顔と一緒に聞いてほしいということだ。
『ぶーちゃんはとっくにコンプしてる。僕に追加が来ることはまずないから、特殊探したりはもうしなくていいよ_』
とっさに眉間にしわをよせ、口をへの字にする。不満げな顔を作るのが得意です。
「不人気キャラめ」
『すみませんねえ_』
「だいたい、そういうこと言うのって自分とこの営業妨害じゃん」
『そう。コンプ状況なんか教えちゃいけないし、あと世界観から外れたことは言っちゃいけないんです。それに、客だって自分から振っちゃいけない_』
「すーみーまーせーんー」
ゲームによってルールは違うけど、今のはほぼすべてのゲームに共通。当たり前っちゃ当たり前すぎる。わかってらい。
私はもう、何周も遼政ルートをやっている。今いるこのシーンは、シナリオのほぼ最終。心を開いてくれたはずの遼政君から突然別れを告げられて、納得できないヒロインが遼政君の家に押しかけるシーンである。ベタである。正直物語としてもあんまり面白くない。ボリュームもないし、影薄キャラってネタにいじってもらえる位置すら他のキャラにとられている。
天井の高い日本家屋、本棚と、そこに入りきらなくて山積みの本。でも生真面目な遼政君によって綺麗に磨きこまれた床(そういう設定)と、同じ色の飾り気のない文机。文机には和紙、筆、墨と墨の匂い。
このゲーム世界で私が一番好きなのが、この遼政君の家。だから遼政君と会うときは、いつもこの場所を指定する。クリア後は好きなシーンでキャラとお話ができるのだ。
でも話の内容が規約違反なのだと改めて言われて、わかっているけど不満なのである。
沈黙に折れてくれたのは、遼政君のほう。
『エンパラが、どうしたの?_』
ふてくされていた顔を上げて、にやっと笑う。いや、女の子らしくにこっと行きたいところなんですけどね、中の人の笑い方がそのまま再現されてるはずだからしかたない。そもそも私のアバター、ぶーちゃんの名に相応しくブタである。書生姿の遼政君の前に、160cmくらいのピンクのブタ(二足歩行)がいるわけで、つまり世界観なんかとっくにだね。
「そうそう、この間珍しく遼政君のところ、お客さん入ってたじゃん!」
『うん、珍しく入ってたね_』
「どれくらいぶり? っていうか、今私以外にお客さんっていたの?」
『ここ半年くらいは君だけだった気がするなあ_』
予想以上にひどい。
『このタイトルも結構長いから、他もそう振るったものでもないよ。それでも僕が一番成績が低いと思うけど_』
「そのお客さん、初見さん?」
遼政君が笑う。
『他のお客さんの話はできないよ_』
「あ、ごめん」
『気にしてくれたの?_』
「うーん」
行儀悪くあぐらの足をつかみ、ごろんごろんと木の床に転がって天井を眺める。
「遼政君にはもうちょっとお客さんがついてくれないと、心配って方が強い気がする……」
『妬く段階にもいかない?_』
見上げる逆さまの遼政君、くすくす笑っている。
「でも妬くのはいやだ!」
『ありがとう_』
遼政君の笑顔も、お礼も、こののんびりした空気も好き。ぴょこっと起き上がって、今度は正座。
「そうだった、それで待ってる間にエンパラをのぞいてきたんだよ」
『ああ、なるほど_』
「料金表見たら」
『待って、そのアバターで行ったの?_』
「いやさすがに普通ので行ったよ。人気ゲームこわいし。それでね」
あれ。なんか遼政君から笑顔が消えているんだけど。
『それ、着ぐるみじゃなかったの? 着ぐるみなのに表情再現できるっておかしいよね_』
笑顔も一時的なものと、笑顔モードと色々ある。最近では普通に雑談するときは、にこにこ笑顔モード入れてくれるのに消えてるってことは、消したってことなのかな。
「……そういう細かいこと気にするから、人気ないんじゃないの!」
『でもピンクのブタを入室許可してるあたりは、度量見せてると思うんだけど_』
「いやアバター制限かかってなかったからさ、じゃあこれでもいいのかよって思って試してみたらいけちゃったから」
『断ろうと思ったけど、ID見たらぶーちゃんだったから_』
遼政君が不満顔を見せた。私はもちろん内心喜んでいる。
『何周もしてくれたお得意さんだったからしょうがなく_』
「あ、あー、しょうがなくって言った!」
『そりゃ言うよ。大体ぶーちゃん、最初は名前もアバターも違ったでしょ。まともだったのに_』
そうだ。最初は世界観に合わせて、黒髪みつ編み、袴姿のハイカラさんでこのゲームを始めた。赤いリボンのお姉さん縛りもちょっと心惹かれたけど、そこは話が進んで目当てのキャラが決まったら、「とっておきのおしゃれ」をするときに使おうと思って。こういうゲームを楽しむとき、自分自身で演出するのもすごく重要だと思います。初めて遼政君とデートってなったとき、髪形変えていったもんね。そういうのがよいのだ。
「遼政君を驚かしてやろうと思いついたらいてもたってもいられず」
『そりゃ驚いたよ_』
継続して不満顔。ブタで入ったら、さすがに『どうしてその格好なんですか?_』って聞いてくれた(遼政君は本来敬語キャラである)。ヒロインの格好に反応するのは基本の反応だ。そのまま強引にシナリオ進めて(彼は判定厳しくしようとしてたけど、ツボはわかってるからね! 伊達に何周もしてないぜ!)、もうすぐキスシーンってところで遼政君が『運営に言いたくないから_』って、初めて中の人の言葉で話してくれたのだ。
『いくら君でも、ブタの姿のままそういうことするのは、キャラを馬鹿にされているみたいでいやなんだ_』
まあつまり、私はマジガチで遼政君を困らせていた。お得意さんだから断れない断りたくない、でも世界観の規約は守れていないし、うんぬん。いくら君でもとかの下りはリップサービスだとわかってるけども。
すごく嬉しかった。本当に困った客です。あのときから遼政君は、ぽろぽろと中の人の言葉で話すようになってくれたのだ。
遼政君は、ほんと人気ない。書生ってそれなりに人気あると思うのに、このゲーム攻略可能な書生が3人もいる。売る気あんの! 遼政君はちゃんと、他2名の下に埋もれています。名状しがたい地味さのせい、あれだ、地方の名物食べてコメントに困る感じに似てる。攻略ポイントもわかりづらい。低価格キャラはわかりやすさ萌えやすさが売りだってのに、私も何度途中で投げ出そうと思ったか。
テキストチャットってとこも不利。っていうかそんなキャラいねーよ。なんでテキストチャットなのかって、書生だから文字を愛しているって設定かららしいが、いやそれズレてるよね? テキストチャットウィンドウ開いてるとか、この正統派な世界観でそれやっちゃ質の悪いギャグでは? せめてウィンドウ使わず、しゃべれない筆談キャラとかにでもしたらもっとおいしかったかもしれないのに、って言い過ぎかごめんね遼政君。
回想にひたって遼政君をガン見してたら、遼政君が文机に向かいだした。無言が続くと遼政君は文字書きや本読みを始めるんだけど、これはその設定を遵守したというよりは。
「ごめんぼっとしてた」
『よく会話の途中でそこまでぼーっとできるよね_』
うん、やっぱり、おいおまえ起きてるかって意味でしたよね。
「時々目開いたまま寝てる」
『簡単に想像できていやだな_』
ため息つかれた。遼政君のため息モーションも好きだ。
『寝落ちするくらい疲れてるなら、来ちゃだめだよ_』
にゃあ!
「そういうの、リアルのホストクラブでも言うんだって。ほら、心配されると客、うれしいから。なんて罪深い職業でしょうか」
『次に寝落ちしたら、出入り禁止にするけどね_』
「またまたー遼政君そういうところうまいよね、もっと押し出していったら少しはお客増えるのに」
うれしかったもんでくねくねしながら(ブタが。)言ってたら、遼政君がすっくと立ち上がって家の外へ行ってしまった。
「あれちょっと、お客置いてどこ行くの」
『不愉快なので散歩してきます_』
「なんでキレモードなの!?」
『寝落ちしたら出入り禁止は本気だから_』
「ちょま」
すぱーんって小気味よく木戸を閉めて、遼政君の姿が消える。エリア移動だ。ええ、まじでか。遼政君を怒らせると散歩モードになって移動可能エリアをぐるぐるする。怒り度が高いほど1エリアにいる時間が短くて、見つけにくい。時間が経つごとに怒りが収まっていって見つけやすくなるんだけど、遼政君の移動は完全ランダムなので非常に見つけづらい。序盤は怒りポイントも多くてしょっちゅう怒らせてた。そのうえ探すのも大変で、これも挫折ポイント。しかもこの野郎、ほっといても一日置けば怒りがおさまるんだけど、そこまで放置した場合稼いであった好感度が0近くまで下がるんだよ。
ひーんと半泣きでエリアを巡る。好感度ほぼMAXだから、見つけやすくなる「運命の予感」がついてる状態なのに見つかりゃしない。ってことはあの野郎、手動で逃げてやがるな!?
なんだよおまえなんかな、おまえなんか私が追わなかったらなあ。
「ぶひー」
このブタの着ぐるみ、涙はついてなくて、中の人が泣くとぶひーと鳴くようになっている。そんなアホなとこがかわいくて気に入っているんだけど、今の私は間違いなくギャグだ。
追っかけなかったら、二度と会うこともない。
帰ろうかな。もう忘れちゃおっかな。対人手ぇ出すとまじやばいよ、先輩達の笑いは同病を憐れむ。つまり私達はばかである。
ヒロインが泣いてたら追いかけてくるキャラって結構多い。好感度高ければほとんどついてるんじゃないかな。遼政君にもついてるはずなのに、今は来ない。あっちは私の動きを把握できるわけだから、ぶひーと鳴いてるブタの前に出てこないのは彼の意志なわけだ。
帰れって言ってんだろ。困った客だと思ってんだろ。遼政君は私の気持ちにきっと気づいている。
「遼政のブタ野郎―――――っ!!」
思いきり怒鳴っても、ブタはおまえだろって突っ込みは来てくれず。私は更に通報されたら一発レッドな罵倒を繰り返して、残り時間を放棄してログアウトした。うーん最低の客である。
***
『……平然とまた来るよね_』
「こんばんは遼政君!」
あはははは。翌晩も予約入れてやった。すかすかだからあっさり受理。キャラクター側は、正当な理由なしには断れない。遼政君は正当な理由をあるけど、彼は優しいのでまだそこまで踏み切っていないようだ。助かります。
『好感度1だからね_』
「ばかだな遼政君。我々には好感度低い状態もごちそうなのだよ」
『……ありがとうございます?_』
「でもどうせだから、今日はまた最初からやり直そうかなーって思って」
『ん、そうなの?_』
そうなの。にこにこうなずく。
「だめ?」
『いや、いいけど_』
「嫌そうですな」
『ブタはいやだって言ってるでしょ……なんで前のアバターにしたくないの?_』
「別に。飽きちゃったし。今はこっち気に入ってるだけ」
くるくるその場で回る。ちょっと嫌がる遼政君を見たいなんて言えませんよう、ぐへへ。ま、わがまま聞いてもらえるのがうれしいのだ。
『言っとくけどブタのままだったら絶対抱かないからね_』
「抱・く! きゃー! 遼政君のえっちー!」
『抱擁のシーンの話だよ!_』
「えーでも普通そこ抱くとか言わないしぃー」
『この鼻もぐよ_』
「あごめんごめんなさい」
いやさすがにもげないけど、つかまれるとこわい。真顔ですものね、表情くらい入れてよ!
ちなみに対人は18歳以上からで学生はできません。そんで、18歳以上でもさらに性描写に関しては細かく区分されていて、これは『ピュア』区分。抱きしめるのとやらしくないキスまで。別名全年齢、18歳以上対象ですけどね。もうちょい進むとロマンチック、背徳要素が入るとインモラル、それ以上はオーバー20ってくくられた20歳以上からとなって、はい割愛。
「なしでいいから」
ね。へらへら揉み手。でもなかなか返事は来ない。
『ならいいけど_』
「わーい」
遼政君が手を出してくる。この手を握れば、物語の最初に飛ばしてもらえる。エリアアウトしてロビーに戻ってもいいんだけど、クリアしたらこういう風にキャラに案内してもらえるようになる。私が出したブタのひづめ(物は握れないしジャンケンはチョキしか出せない)を見て遼政君は私をじろりと睨んだけど、結局握ってくれた。
感触はない。ノーサンクスは視覚、聴覚、嗅覚の再現はあるけど、触覚と味覚はない。禁じられている。だから私は遼政君の手の温度を知らない。
『やあ、ぶーちゃんさん。紹介しますよ、こいつが加賀遼政です』
「はじめまして、ぶーちゃんと申します」
NPCの遼政君の先輩が大きな声で言う。遼政君は、親しくないうちは敬語で丁寧に話すことが大事。でも正解の態度でも、遼政君は最初はろくに話してくれない。
『こら加賀、きちんと挨拶せんか! 我々のような本の虫と話して下さる女性、しかも女学生なんて、滅多にいやしないんだぞ!』
出会いはいつも同じ。このあと遼政君は自分の名前だけを名乗る。無表情のまんま。
『加賀遼政です_』
こうしてまた、遼政君とのお話が始まる。
時間は25分か、50分から取れる。初回や新人なら25分が選べたりするけど、人気が出てくるとそもそも選べなくなってくる。取る側としては長時間のほうがおいしいからなんだろう。私はいつも50分を選ぶ。疲れてて早く帰る時もあるけど、必ず50分を選ぶのはお布施で貢ぎで応援だ。自己満足も大きい。
やっぱね、下らないって言う人もいる。それもわかる、ええ、親には言えない、言ってない。私がしようとしてできなかった世間話、エンパラ一番人気の歌織君(カオル君と読むのだ)は、50分でごにょごにょ万だって。しかも2枠からしか受け付けないってんだから実質その2倍、それで即埋まりなわけで、そんだけ稼げる人ってなにやってんだろう。
ID管理されている私達は、申告している所得から貢いでいい金額上限が定められていて、薄給の私には歌織君の時間を買うことはできない。貯金から払うことも禁じられた時は結構話題になった。家がお金持ちで優雅な家事手伝いだった友達が急に働き出して、どうしたのって聞いたら愛のためだって言われて、類友すぎてげらげら笑い合った。
呆れる人はいる。でも、好きでやってんだから、放っとけって。そういう意味の、電脳世界ノーサンクス。日本人だった開発者はひねくれ者で、英語どころか半端な当て字をこの偽物の世界の名前にした。
『おつかれさま_』
「おつかれさまっ」
普通は時間ギリギリまでシナリオモードやデートモードで遊ぶものだけど、遼政君と中の人モードでお話できるようになってからは、時間終了前には必ず雑談をする。重ねて言うけど違反です。でも多分、いつまでもゲームキャラで話し続けるのも限界がある気がするし、どっぷり同じキャラと遊び続けてる人達は意外とこんな風になってるんじゃないかな? 外に言うと問題だから言わないだけで。問題を起こさない限り運営も見逃してくれる気がする。
『シナリオでは真面目だよね、ぶーちゃんは_』
「え、もっと遊んでいい? ものすっごいツンヒロインで遼政君にわがまま言いまくってもいい?」
『えー_』
攻略条件はあるけど、ヒロインの性格が全部同じじゃなきゃいけないってわけじゃない。うまいアクターは、主人公が強気だろうが弱気だろうが対応を変えてうまいことカップルに仕上げてくれる。そういうアクターさんだと、何周もする固定客がつく。
『好感度低いうちは無理な気がする。僕は好きじゃない子のわがままはかわいいと思えないから、遼政の好感度も上げる気になれない_』
「それじゃ中の人の好みじゃん!」
『じゃあぶーちゃんがかわいいと思えるようなわがままヒロインやればいいでしょ_』
「こっちに振る! 仕事して!」
『遼政のキャラを曲げてでも人気を得ようとは思いません_』
「稼げないやつの鉄板の言い訳キタコレ」
『そう? 僕が媚びたらぶーちゃん僕に飽きるんじゃない?_』
う。お。
「な、中の人を攻撃したらいけないんだよ……」
思ってなかった切り込み。思いっきり動揺してしまった。
『じゃ、通報すればいい。両者にペナついて、僕は解雇、ぶーちゃんにも違反歴ついて参加できるゲーム激減しますよ_』
黙りたくなかったけど、黙らされる。遼政君、怒ると敬語混じる。やっぱり、ブタになってから冷たく怒るようになった。いやそりゃ、嫌がってるからこそ、この格好で来てる私が悪い。ただ、いつも優しいから、違う顔が見たくて。きつい言葉に親しくなれたって勘違いして喜びながら傷ついて、この客うざーい。
「通報なんてするわけないよ」
わかっているよ、バカなのは私だよ。
「眠くなったので、ぶーちゃん帰ります」
敬礼して、ログアウトした。
****
それからしばらく、遼政君に会えなくなった。スネて行かなかったとかじゃなくて、いつも通りに行くんだけど、いつも他のお客さんで埋まっていたからだ。なんだなにがあった、遅すぎるブレイクか!?
先に予約を入れておくこともできるけど、でも私以外にも遼政君にお客がつくならそれも応援したくて、くそう悩ましい。
じゃあ人のいない時間に、って思っても、遼政君は夜の2-3時間しか受け付けていない。土日もない。多分彼は他に仕事を持っていて、それがメインなんだと思う。
おかげで空いていても申し込みづらくなってしまった。だって少し待っていればお客が来るのだ。ラスト一時間になって空いてたら申し込もう、そう思っててれてれ待ってて、結局一ヶ月くらい会えなかった。
でもそんなことやってたら死ぬほど後悔した。
*****
「遼政君!」
『久しぶり_』
胸倉つかむ勢いで詰め寄ってしまった。いやだって。
「さ、サービス終了って」
『うん。うちの一番人気のアクター君が引き抜き決まったから、もう全体に下火だし閉店セールで最後に稼いで綺麗に終わりましょうってことで_』
「なんにも言わなかったじゃんー!」
『もう告知でてから1ヶ月なんだけど_』
「じゃなくて! 遼政君メールくれなかったでしょ!」
『運営から行かなかった?_』
詰まる。見てない。私はゲーム用アドレスでは遼政君のメールマガジンだけピックアップできるようにしている(ええ、個人メールではありません……)。だって運営からだと遼政君と全然関係ない勧誘メールが大量にまざる。でもお気に入りキャラのメルマガに入れば、そのキャラが関連するお知らせだけをメールで教えてくれるから。
『それに、ロビーでファイナルフェスティバルは大きく扱ってるでしょ_』
それも見てない。私はゲームロビーにも、このゲームのタイトルロビーにも行かない。いつも直接遼政君の予約ができる部屋に飛んできてしまう。
「……だから、あんなにお客さんが来てたんだね」
下火ゲームでも、最後だからとなるとそれなりに盛り上がる。今の常連さんはもちろん、かつての常連さん、気になるけど放っていた初見さん、攻略途中で挫折さん、スペシャル価格に惹かれるお得好きさんなどなど。
私も前は色々チェックしてたけど、今は仕事も忙しいし遼政君にだけ会えればそれでよかったので、余分な情報としてシャットアウトしてしまっていた。
でも言えたよね。遼政君、私に言うことできたよね。私が来てたのは告知前だったし、そこで伝えるのは違反だけど。
思い上がりを思い知るのはやっぱり辛いのう。
「メールマガジン発行しなかったのは、やっぱり私以外のお客さんにもちゃんとサービスするため、とか?」
顔が見れない。こういうときの地面からの引力すごい。
「私、優先持ってるもんね。遼政君は枠少ないから、私がいつもみたいに埋めちゃって他のお客さんと挨拶できないのは困るよね」
恨み言である。
「でも、でもさ、私だって最後ならそれくらい気を遣えるよ。遼政君ってキャラを好きなのは自分だけじゃないってわかってるよ。こんな突然じゃなくて、みんなと同じように、遼政君とのお別れタイムしたかったよ」
普通、キャラの攻略は話さない。禁止されているからっていうのもあるし、いつでも誰でも遊べるゲームじゃないから攻略対象は基本取り合いで、つまり攻略を人に話せば自分が不利になるからだ。でも最後は別。ゲームのサービス自体が終わるとき、ライバルは同じキャラを好きな同志に変わる。あのキャラの隠しはこれだったよ、ほんとにじゃあ終わる前にやってみる、いいよ次予約とったけどよかったら譲るよ、とか、楽しい楽しいネタバレ解禁、後夜祭。そんな会話を私もこれまでにやってきた。安いゲームは終わるのも早くて、私には安いゲームしかできなかったからね! 前述の理由から!
フェスティバルは全部で三ヶ月、あと二ヶ月続く。でも情報を見たら遼政君は早めに終了するみたいで、半月後が最後ってあった。終了を知って、今日はすでに入ってた誰かの予約を優先使って蹴飛ばしてねじこんだ。
優先、初めて使ってしまった。ルール破ってるわけじゃないけど、なんとなく使わないのが仁義みたいなのがある。私も優先で飛ばされたら泣けるし、最後の最後で嫌な思いをさせるのはその子にも遼政君にも申し訳ない。そう思ってて使ったんだから、やっぱこういうわがままなところがだめなんだな。遼政君はもう終了まで全部予約が入っていて、つまり私が会えるのは今日が最後。優先はまだ残ってるけど、でも1度使うと16日間使えない。
「まあ」
そう、恨み言だけ言いに来たわけではないのだ。花束を出す。
「今まで、楽しかったです。ずっと遊んでくれてありがとう」
買えるので一番高いのにした。電子の花束は本物じゃないけど、それでもすごく綺麗だと思う。これは送られたキャラが好きなところに飾れて、花束代の何割かがアクターの収入になる。引き抜かれたっていう人気キャラ君の部屋はきっと、花束だらけになっていることだろう。
「遼政君、最初ほんと変なキャラって思ったけど、遼政君の文字すごく好きだったよ。えっと」
自分用のテキストチャットウィンドウを開く。音声が不調になったときの代替や、声だけじゃ伝えづらいことなんかに使うことが多い。
小生、って打つ。
「最初は自分のことこう呼ぶよね。声で聞いたらわかんなかったかも。あとね、言葉遣いすごく綺麗だよね。漢字の間違い絶対ないし」
思い出し笑い。
「だからあわてて誤字脱字するとちょっとかわいいよね。レアだと思ってSSとっちゃったもん」
『そんなことしてたの……_』
「してた。見せようか」
『いりません_』
う。やっぱり冷たい。優しい遼政君に会いたい。
もっと自重すればよかった。調子こくんじゃなかった。最後くらいおだやかになんて都合いいか。自分でぶち壊してしまった。
「……じゃ、まあ、私は帰りますですよ」
違和感がした。きん、って聞こえないのに高い音が聞こえた気がして、なんだっけこれ。
「待って」
耳を疑う。思わず片手で耳に当てた。リアルの耳押さえても、こっちでブタの耳押さえてもどっちも意味はないんだけど。
「あと45分残ってるよ」
遼政君がしゃべってる。最適化されてない、これキャラ声じゃない。動きも違う。呼吸を表現する動きじゃなくて、本物の。そう思ったらばかみたいに顔が熱くなって。
「ぶひー」
ブタが! 鳴いた! 夢中でリアル右耳からイヤープラグを引っこ抜く。直結切れて、ブタ黙る。大急ぎでアバター指示を手動に切り替える。
「最後までブタで来るんだから」
「いや、その、ごめん」
いやよかったよブタで。ほんとよかったよ。
「時間ないわけじゃないんでしょ?」
答えづらかったので、うなずくコマンドを入れる。急げ、声の調子をととのえろ。
「少し散歩しようよ」
「……え、遼政君、怒ってるの?」
「普通の散歩です。……いや、怒ってるかもだけど」
ちょっと眉をひそめる。そんな小さな、微妙な表情は見たことない。
私を見ながら、遼政君がエリアを変える。
******
桜の終わった河川敷。季節は夏を目指しはじめている。遼政君の隣を歩くブタは、正直もじもじしています。
「あ、あのさー、ごめんね調子こいたことは謝るんで……」
「だから、だったらアバター戻して下さい。ブタやだって何度も伝えてるんですが」
「いえ、それは」
くそ、だったら牛の着ぐるみにしてやろうか! いやがったのはカエルだったか!? でもそれにしたらぶちキレられる予感がひしひしと。
「あとなんで接続切ったんですか」
「ああああのさあ」
耐えられなくて早口の、なんともみっともない声になる。
「そのこわい敬語、やめてほしいなー、うん、そういうの遼政君じゃないよね!」
心臓痛い。遼政君の中の人をつつこうとしてたのは私だからなー!
遼政君の顔が見れない。呼吸の難易度が上がっている。絞り出せたのはやっぱり謝罪の言葉だった。
「ごめん」
ピンクのブタは棒立ち。ごめんなさいのポーズ、あるけど、わざとらしすぎてさせられない。馬鹿にしてるみたいで。
「
リアル肩跳ねた。
「ごめん。僕はただ、ちゃんと話をしたかったんだ」
やわらかくなった声に、ようやく目を開ける勇気が出る。
「僕は普段、シナリオをメインにやってる。名前の出ないシナリオならジャンルは問わずに。色々経験してみたくて友人のところでアクターに雇ってもらって、でも声を使って演じる自信がなかったのと、文字フェチだったのとでテキストウィンドウにした」
「……文字フェチ」
「うん。友人には頼むからやめろって言われたけど、ゴリ押した」
おかしそうに笑う遼政君の笑顔は、遼政君ぽかった。
「そんなに人気がでないほうが都合はよかった。僕の仕事から考えると負け惜しみだね。でも、人を喜ばせる言葉は難しいな。結構色々書いてきたつもりだったのに、そもそも自分の視点から言わせるのがこんなに抵抗あると思わなかったし。目の前で反応返されるし、お客さんだから目は厳しいし」
「私、は」
喉を何度も飲む。落ち着けよう。
「遼政君ルート、好きだよ」
「でも澪さん、レビューに『微妙』って書いてくれたよね」
「う、ウソはつけない! 乙女ゲーとしてちゃんと見たら、絶対微妙! でも、私がそれを好きってことは、別だから」
笑ってくれたから、少し調子が戻る。
「遼政君のシナリオって、遼政君が書いてたの?」
「シナリオは友人なんだ。キャラは僕をイメージしたと言ってた。僕は一応、用意されたキャラクターを演じただけだよ」
そうだったんだ。
「澪さん」
今の私の名前はぶーちゃんだ。前の名前を呼ぶのはアクターのNGだ。
「つなげて。”こっち”に来て」
感情表現をアバターと直接つなげる、イヤープラグ。友達と会う時は必ず入れてる。ホラーゲームやるときは外してる。仕事の時は結構外してる。感情で失敗することも多いから。
「ありがとう」
なにも言ってないのに、すぐわかるようだ。思った以上に見透かされている。
「座ろう。ずっと聞きたかったことがあるんだ」
ふたり、川を臨む形で隣に並んで座る。
「どうしてそのブタになったの?」
「……前のアバター飽きたから」
無言。無言。
「その着ぐるみってちゃんと着ぐるみなんだって?」
「へ?」
「姿を変えてるんじゃなくて、アバターの上に着てるんだって」
その通りだけどなんか返事できない。
「でも、ちゃんと表情や感情に反応するからあんまりそう見えないよね。君が笑えば笑うし、君が泣くと鳴くんでしょ? ぶひーって」
再び耳からプラグ引っこ抜こうとしたら、その前に手を握られてフリーズする。
「だからそれ、外さないで。……お願いだから」
ブタに赤面の表情設定はない。そこが一番気に入った。
「……遼政君、そんなに早く動けたんだ」
「今は手動じゃないし。それにそんな全力で『いつでもプラグ抜く準備』されてれば」
じと目。不満目。
「澪さん。ブタ脱いで下さい」
押しの強いキャラは好きなんだよ。俺様も好きなんだよ(ショタがいい)。そういうのに遊んでもらってきたし、きゃーきゃー喜んでお互い楽しく遊んで、あとからレビューで感謝をこめて鼻血度をつけてたんだよ。
脱げない。だって脱いだってしかたない。
「ぶひー」
ブタが鳴く。止めたいけど止められない。
「……ブタ、鳴いてるよ。澪さん、今すごく間抜けだよ」
「……わかってらい」
ぶひ。沈黙。ぶひ。沈黙。
肩をつかまれた。見ると、なんとも苦悩に満ちた顔。
遼政君が私にキスをした。
「……もうブタでもいいや」
「ぶ、ぶ、ブタにしたぁ」
「澪さんのせいでしょ!」
あわあわしてる間に両手ともつかまれて、もう一度。くちびるが離れても遼政君は離れていかないで、頬の触れ合うような位置に留まる。ぶひーぶひーぶひー。ぶひぶひぶ。
握られていた腕が、さらにぎゅっと力を強められて。
「……ブタ、うるっせええぇ!」
「ごめ、ごめっ、あははっ!」
遼政君の渾身の突っ込みに噴き出してしまった。遼政君がブタマスクを脱がせても、拒もうとは思わなかった。
「澪さんが笑わないでよ!」
「あはは、あはははは、すごいねすごいアレな画面だね!」
怒りながら遼政君がごしごし私の涙を拭く。笑いがゆっくりおさまって、つり上がってた遼政君の眉も下がる。
「久しぶり、澪さん」
「……よくある標準フェイスだよ。一番安いやつ」
長い指の背が、頬をなでる。感触はないけど、錯覚はあるんだ。実際の感触ではなくて、「そういうことをしている」と思い込んでいる。
「それ、気にしてたの?」
まさか今のでわかっちゃったんだろうか。もちろん、値段じゃなくてさ。
この世界にはこれと同じ顔がいっぱいいて。私は遼政君の温度も、やわらかさも、本当には知らなくて。遼政君も、私のことを知らない。
「でも僕は、この澪さんに会いたかったよ」
ふわふわ、やさしくなでてくれてうれしい。
「初めて会ったのが、この澪さんだし。ちゃんと表情見えるし。……ぶひーって言わないし」
すみません。笑いながら遼政君の胸に顔を寄せる。
「あとはできれば、そっちのブタボディも脱いで欲しいんだけど」
「いやーでもなんか、今更脱ぎづらいと言うか……」
「じゃ、ジャンケンで決めよう」
「チョキしか出せないよ!」
「あれ、気づいたか」
笑いながら、遼政君が立ち上がる。私に手を貸そうとしてくれる。その手を見て、ブタボディを脱いだ。遼政君がはにかむ。
「河川敷に、書生と女学生。やっぱりこれが正しいよね」
「……ひょっとして遼政君、袴好きだったりする?」
「好きだよ? どうせ参加するなら、自分の好みの方がいいし」
しれっと言われてしまった。いや、うん、いいんだけど。
遠く、小さく鐘の音が鳴る。終了5分前を知らせてくる。
「遼政君」
「はい」
色々言おうとして、言える言葉はひとつだと結論。
「ありがとう。ずっとずっと、楽しかった」
手を握り合ったまま、でもやっぱり温度はなくて。悲しくないって言い聞かせる。
「僕も、とても楽しかった。本当に」
その言葉を聞けて、よかった。
*******
二ヵ月後、今日も私はゲーム用メールアドレスの受信箱を確認する。迷惑メールも、フィルタも全部解除したから、膨大すぎる量。ぽいぽいぽーいって削除しながら、時々目についたメールを開く。そんなことを繰り返す。始めた頃は気が狂うかと思ったけど、結構慣れてきた。頭をからっぽにすればいいのだ。今の私は機械である。件名が英語は論外、☆とか記号使ってあるのも削除。削除削除。だって他に繋がりがない。
宛先が私の名前で、差出人が知らない日本人男性からのメールがあった。開く。
『知らない男からのメールを開くのはどうかと思うけど、お久しぶりです_』
彼女がぶーちゃんになった理由 黒作 @kurosuck
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