魔道具士は便利屋じゃないですっ! 魔道具士イーリスと異世界人の徒然
相模茄子
第1話 イーリスとアイシャ
夜空に一条の光が飛び、山間に落ちていくのを多くの人が見たのは、まだ寒さの残る春の月の頃だった。
光は流星のようにも、輝く生物のようにも見えた。ただ一様にみな不気味なものを感じ、口々に不安を口にした。
人間の国の新国王の時代への不安、差別や軋轢、不和からくる戦争の不安などで、皆が一様に抱えている不満の表れだった。
大陸にある神聖国では預言者の存在が噂になり、どの国にもそれは届いている。
預言は広く伝わり、民草だけではなく政治にかかわる貴族たちの間でも囁かれるようになった。
近く魔王が蘇り、世界は変革の時を迎える。
預言には信憑性がなく、いたずらに不安を煽るものだとして、神聖国以外の各国はこれに緘口令を敷くことになる。だがそれにより更に不安は根付いてしまう。不安は払拭されず、今でも国民の心に影を落としている。
――――
そうした不安とは関係なく、世界はまた朝を迎え夜の帳を上げていく。
東のオーランド山脈から太陽が昇り、魔術学校の貴族寮にも朝日が届く。
すでに学校の使用人は清掃や調理、薪割に放牧、餌やりなど仕事に取り掛かっている。この時間から起き上がってくるのは、貴族寮に住む学生たちくらいのものだろう。
貴族寮の3階、一番東の角にある部屋でも、薄青いカーテンを突き抜けて部屋の中には日が差し込んでいた。
窓辺に置いている実験用のフラスコが光を反射し、部屋の主の目元に光が当たると、眩しそうに手でそれを遮る。
「ん……。まぶし……ぃ……。」
まだ幼さの残る声だ。中性的で幼い少年のようにも、少女のようにも聞こえた。
部屋の主、カプリコーン家の末子であるイーリスは、身じろぎしてうつ伏せになっていた机からのそりと身を上げる。
青い瞳、うっすらと光を反射して眠たげな目元にはうっすらと隈が浮かんでいる。
机から上体を起こしたことによって何枚かの羊皮紙がパラパラと床に広がり、ぼーっとした視線でそれらを追っている。
整った目鼻立ちに、ボサボサになった白にも青くも見える髪。寝間着にも着替えずに没頭していたのだろう、頬や額にはインクの跡がついている。
ぱちぱちと数度瞬きをして、机の端に辛うじて引っかかっている眼鏡を手に取り、それを掛ける。
イーリスはそうして周りに散らばった紙片を拾い集めると、きれいに綴じて机の上にあるいくつかの綴じられた紙の束と同じように立てかけた。
着のみ着のままの学生服に、学生寮に相応しくない、しかし本人には非常に似合った白衣を上に着ている。
しばらくぼうっとそのままにしていると、部屋の扉を2度叩く音が聞こえる。
扉越しにくぐもった声で、部屋の主の起床を確認する声が続き、イーリスがそれに答えずいるとやがてガチャリと音を立てて扉は開かれた。
部屋を覗き込んだ音の主はイーリスがすでに起きて机に座っている様子を見て、驚いたように息を飲む。
「驚きました。イーリス様、もう起きていらしたのですね。おはようございます。」
感情の感じづらい平坦な声だ。
頭に白いキャップ、動きやすそうな軽い素材の黒いワンピースに白いエプロンを付けた女性はそう声をかける。
鋭さを感じる目つきの赤色の瞳、きっちりと後ろで縛られた金の髪。
まだ年は若そうだが、少女とは呼べない年頃の女性が木桶を手に無遠慮に部屋へ入り込んでいく。
「……おはよう、アイシャ。」
イーリスもまた、感情の感じづらい声でかすかに声をかける。
アイシャがちらりと昨晩から使われた形跡のない、きれいに整えられたベッドに目をやって声をかける。
「……また夜更かしされたのでしょうか。研究に没頭されるのもよろしいのですが、ご自身の健康にもお気を遣いください。これ以上はご実家に報告し、無理にでもお休みいただくしか。」
「ああ……夜が短すぎたみたい。明日は気を付ける、ちゃんと寝るよ。」
何度もやり取りしているようになぞり、相変わらず表情はわかりづらい中だが、わざとらしくアイシャはひとつため息をこぼした。
「既に何度もお伝えしておりますが、これ以上イーリス様の目元の隈が濃くなるようであれば私の首が飛んでしまいます。私を路頭に迷わせたくなければ、どうか夜はごゆっくりお休みください。」
言いながらアイシャは手に持っていた木桶をベッドサイドのチェストに置く。
木桶の中にはうっすらと湯気を立てるあたたかな湯が張っており、アイシャは入口扉の横にあるチェストから白い布を取り出すとそれを湯につけ、軽く絞ってイーリスの傍に向かった。
部屋の主は黙ってそれを見て、アイシャにされるがまま眼鏡を外され顔を拭われる。
「イーリス様になにかあっては一大事です。旦那様方が見たら、何と言うか。」
「この学校の中での生活には干渉してこない筈だよ。それにアイシャが路頭に迷うことなんで絶対にないから。」
されるがままに顔のインクを落とされ、手を引かれて鏡台の前に座らされるといつの間にか手に持っていた櫛でボサボサだった髪を梳かれていく。
終止されるがままに身支度を整えられ、着替えも済ましてしまえばあっという間に身綺麗な姿で鏡台の前に立たされていた。
女性としては高いほうではないが、アイシャの方がイーリスよりも身長が高く、二人が並び立つとしっかり者の姉と世話をされている末子のようにも見える。
「お食事はどうされますか? お部屋にお持ちしましょうか。」
「いや、いいよ。食堂にいこう。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます