第12話 映画撮影を終えて
「改めておめでとう。霞」
「ありがとう。君に褒めてもらえると嬉しいよ」
いつもの車の中は、普段とは少し異なる祝福ムード。
その理由は明白だ。霞がついに、映画主演の座を掴み取ったのである。
遥の方もバラエティ番組のレギュラーが決まったらしく、双方メディア展開は順調。マネージャーをしている俺の視点から見ても鼻が高い。
今日はその撮影メンバーとの顔合わせ兼本読みのため、現場へと向かっていた。
「遥と別のお仕事も随分増えてきたね」
「そうだな。寂しいか?」
「少しね……でも、代わりにいつも誠が居てくれているから、僕は安心してお仕事に集中できるよ」
「そっか。俺が少しでも霞の安心材料になれているなら、嬉しい」
「少しどころじゃないよ」
霞はミラー越しに俺を見つめ、ふわりとした笑顔を向けてくれる。いつも通りのその表情にこちらも微笑み返し、到着した現場に間違いがないかを地図と照らし合わせて確認した。
「よし、ここだな」
「今回は、本読みの後に打ち入りがあるそうなんだ。だからお迎えはその後にお願いしてもいいかな?」
「了解。終わり次第連絡くれよ、近くで待機しているから」
「うん。ありがとう。……あ、ちょっとこっちに顔、近づけて?」
「ん?」
後部座席から降りかけた霞が、ちょいちょいと俺を手招きする。シートベルトを外した俺が後部座席側に身を乗り出すと――
「……ん」
――霞の悪戯が、炸裂した。
「……!」
反射的に唇を抑える俺。くすくすと愉しげに笑う霞。こんなところで何してるんだ! と本当は叱るべき場面かもしれないが、動悸が酷すぎてそれどころではなかった。
「それじゃあ、行ってきます」
にこっとご機嫌に笑って車を降りていく霞。火照った身体で取り残された俺は、しばらく駐車場内で悶々とする羽目になるのだった。
霞から連絡があったのは、それから数時間後。夕方に差し掛かろうとしていた頃だった。
教えられた店に向かい近くで車を停めて待っていると、順番に関係者らしき人が出てくる。中には共演者なのだろう、俺もよく知る大物俳優もちらほら見受けられ、所属アイドルを待っているだけだというのに途方もない後ろめたさが襲ってくるくらいだった。
そうして更に待つこと数分、お目当ての人物は、すぐに現れた――のだが。
「……あれ、って……」
――その光景に、俺は呆然とした。
仲良さげに腕を組んでいる、一人の女性。顔はどこかで見覚えがあった。おそらく、今回の映画のメインヒロイン役だろう。打ち入りでそんなに仲良くなったのか、と腑に落ちない気持ちでいた俺の方を見た霞――迎えの車に気づいたのだろう――は、女性と二言三言言葉を交わして手を振り合う。
そうして真っ直ぐこちらへ来た霞は、滑り込むように後部座席へ乗り込んだ。
「お待たせ。お迎えありがとう」
「お、おう。……あの人、共演の?」
「うん、そうだよ。僕のことを気に入ってくれたみたいだ」
「そっか……良かったな」
――そう告げる俺の声音は、どことなく――ひんやりとしていた気がする。
「?」
霞が首を傾げてこちらを見た。俺はその視線に応えず、ギアをドライブに入れて発進する。
胸がざわざわと蠢くようなこの感情の正体が、何なのか分からない。いつもだったら気軽に交わせる雑談が、今日は何故だか一言も思い浮かばない。
「……ねぇ、誠」
故に、先に口火を切ったのは霞だった。俺は流石に無視することも出来ず、「なんだ」と短く相槌を打つ。
「僕の気のせいだったら申し訳ないんだけど」
「……なんだよ」
「もしかして……嫉妬、してる?」
いつもならば滑らかに踏むブレーキが荒くなり、俺と霞は揃って前のめりになった。
嫉妬――嫉妬?
言われた言葉を反芻する。
俺が、嫉妬?
誰に? どうして?
脳内を疑問符が埋めつくした。混乱のあまり後続車からクラクションを鳴らされる。「ごめんごめん、そんなに動揺すると思わなくて」と霞に笑われるが、正直笑い事ではない。
「……だって、君は僕のことが大好きじゃないか」
「それは勿論、そうだけど」
「だから嫉妬したんだろう? 僕と彼女の関係に」
言っておくけど、お付き合いとかは絶対にないよ、と霞は堂々と告げる。「僕が好きなのは君と遥だから」という余計な一言まで付けて。
「う、うるさい。そこまで聞いてない!」
「あはははっ」
霞の笑い声が響く中、車は結城宅を目指してまっすぐに進んでいく。
――悔しいことに、胸のざわつきはすっかり消え失せていた。
霞の映画撮影は順調に進んだ。
持ち前の器用さで着々とシーンを熟し、気がつけば数ヶ月。あっという間にクランクアップの日が訪れる。
「お疲れ様。霞」
その撮影のほとんどに同行していた俺としても、感慨深いものだった。申し訳程度の小さな花束を俺からも差し出せば、霞は照れくさそうに笑う。
「ありがとう。すごく嬉しい」
「もっとでっかい花束貰ってたろ?」
「君が選んでくれたんだろう? これが一番嬉しいよ」
すん、と鼻を鳴らして花束の香りを楽しむ霞のその姿がやけに様になっていて、俺は堪らず目を逸らす。二人きりの楽屋でこんなにも格好いい推しを見ていたら、何がとは言わないが、どうにかなってしまいそうだった。
「……誠?」
その異変に気がついたのだろう。俺の顔を覗き込むようにして、霞が俺の名を呼ぶ。俺はますます視線を明後日へ向けながら、「なんだよ」と短く告げた。
「……キス、していい?」
「ばっ……」
「いいじゃないか、お願い。クランクアップのご褒美に……ね?」
「……う、むぅ……」
花束を片手で持ち直し、もう片方の手が俺の腰へと回る。ドクドクと早まっていく鼓動は、この狭い部屋の中ではきっと聞かれてしまっているだろう。俺は視線をしばらく彷徨わせてから、観念したようにそっと目を瞑る。
くす、と声なく空気を震わせる霞の吐息。甘い香りがゆっくりと近づいて――ふわりと、重なり合う。
「ん……」
角度を変え、何度も落とされる口付け。砕けそうになる腰を支える彼の片手でも足りず、霞の胸にきゅっと刻まれる皺。
――こんなにも幸せで濃厚な時間が、あっていいのだろうか。
「ふ……ぁ」
「……ふふ、可愛い」
「お前のキスは……しつこいんだよ……」
「君が可愛い反応をするのが悪いんじゃないか」
「うるさい……っ」
くすくすと笑い続ける彼に堪らず悪態を吐いて、俺はふいと顔を逸らす。時計にちらりと視線を送れば、そろそろ打ち上げの集合時間が近付いていた。「ほら、行かなきゃならないんだろ」と霞の肩を押し、俺たちは共に楽屋から出ていく。
「君と離れるのは惜しいけど……貴重な時間でもあるからね。楽しんでくるよ」
「おう、行ってらっしゃい。また迎えに行くからな」
「うん、ありがとう」
行ってきます、とひらりと手を振って撮影スタッフに紛れていく霞。
俺は静かにそれを見送ってから、撮影現場を後にした。
この時の俺はまだ、何も知らない。
打ち上げの帰り道に起きる、あの大きな事件のことを――。
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