5・中庭の幽霊(エピローグ)

 女性が天へ上がっていく時に見えた記憶の断片。

 30年前、俺の通う学校の教師を務めていた女性はある日学校の屋上に上がり外の空気を吸っていた。

 新婚だった彼女は旦那からもらった指輪を手に取り、じっくりと眺めていた所、手を滑らせてしまって指輪を落としてしまう。


 幸い指輪は木の枝に引っかかったため、地面に落ちる事はなかったけど、屋上に張り巡らされている柵を乗り越えて、木の枝に引っかかっている指輪を女性は手に取ろうとした。

 彼女が冷静であれば、きっと柵を乗り越えよう何て思いもしなかっただろう。

 しかし、彼女は危険な行動をとってしった。

 女性は体勢を崩し、屋上から中庭に真っ逆さまに落ちてしまう。

 頭から地面に打ち付けられた女性は即死だった。


 それから、30年が経過した時。

 女性は霊を見る事は出来ないけど、霊を引き寄せてしまう体質を持つ兄に助けを求めようとした。

 しかし、声をかけてみるけど反応を示さない兄を見て、彼には自分の姿が見えていない事をさとる。


 兄が朝方、学校の屋上に移動して、木の枝に引っかかっている指輪を見つけたのはたまたまだった。

 そして、兄も女性と同じように柵を乗り越えて指輪を手に取ろうとした。

 手を伸ばせば届く距離にあるように見えたのだろう。

 もしかしたら、途中で体のバランスを崩さなければ、届いていたのかもしれない。


 しかし、兄は足を滑らせた。

 


 


 閉じていた目蓋を開けると、白い壁に四方八方を囲まれていた。


「九条君!」

 ドスッと腹部に両肘を置き、身を乗り出した妙子の体重が俺の腹部にのしかかる。


 グエッと声を上げると、深々と頭を下げた妙子が

「ごめんなさい。突然目の前に血だらけの女性が現れたから驚いちゃって、逃げちゃって」

 女性に取り付かれた時に、俺を置いて逃げた事を気にしていたらしい。


「あぁ。もの凄い形相だったよな。見事な男走りに関心した」

 素直な感想を述べた所、顔を真っ赤にした妙子にぐりぐりと腹部を攻撃される。


「痛い! 痛い!」

 じたばたと体を動かしている俺を近くで見ている人物がいた。


 クスクスと笑い声が聞こえて、視線を向けるとベッドの上に肘をつき、何とか上半身を起こそうとしている兄の姿があった。

 しかし、体に力が入らず、上半身を起こしきれずに今の中途半端な姿勢をキープしているって所だろうか。


 一年間意識不明だった兄の意識が戻っていた。


「いつの間にかお友達が出来たんだね」

 俺が妙子と出会ったのは、兄が屋上から飛び降りた……いや、故意に落ちたわけではないから転落したと言うべきかな。

 転落した後だった。


「九条先生って本当に美人さんだよね。男の人とは思えない。それに比べて、あんたは……」

 ニヤニヤと表情に笑みを張り付ける妙子に、さらっと馬鹿にされる。

 兄貴を指さして、男の人とは思えないと呟いた妙子は気づいているだろうか。

 兄貴がガクッと肩を落とした事に。


「こう見えても兄貴は男だから、美人って言われても嬉しくないだろう。ましてや男の人とは思えないって……お前なぁ。そう言うのは思っても本人の前では口にしない方がいいぜ。言うなら本人のいない所でだな……」


「酷い」

 俺の言葉でとどめをさしてしまったようで、兄貴がベッドの上に横たわる。

 顔を伏せてしまった兄は、数秒間の沈黙後クスクスと腹を抱えて笑い出す。



「看護師さんの前で、はしゃぎすぎたかな。ごめんなさい、うるさくしてしまって」

 ゆっくりと顔を上げると兄は、部屋の片隅に佇んでいる女性に声をかけた。



「は……」

 思わず間の抜けた声が出た。

「え……」

 妙子の反応も俺と全く同じだ。

 呆然と兄貴を見つめている。


 深々と頭を下げた兄貴は

「看護師さん、機嫌が悪いみたいだね」

 何て呑気に呟いているけど、何故兄貴にそれが見えているのだろうか。

 

 一度生死の境をさまよったからか、兄貴の目にはこの世のものではない女性が映し出されるよになっていた。

 それも、生きている人と見わけがつかないほどはっきりと……。

 

 スーッと看護師が消えると、彼女がこの世のものではない事に気づいた兄貴が顔を真っ青にして俺達に視線を向ける。


 あんぐりと口を開き、ガクガクと体を震わせ始めた兄貴は今まで見えなかったものが突然見えるようになったんだ。

 怯えるのも無理はない。


 強引に自分のベッドから抜け出して俺の元へ移動しようとした。

 しかし、足に思ったように力が入らなかったようで、ガクッと床の上に頽れる。

 咄嗟に妙子が兄貴の体を支えたから良かったものの、あのまま地面に倒れこんでいたら顔面を強打していただろう。

 体を引きずりながら俺のベッドにたどり着いた兄貴が強引にベッドの上に移動。布団の上に腰を下ろす。




 俺の意識が戻った事により、部屋にやってきた医師と看護師は驚いたそうだ。

 ずっと寝たきりだった、兄が自分のベッドから俺のベッドまで移動。真っ青な顔をしてベッドの上に座り込んでいたから。


 自分のベッドに戻るようにと兄貴を移動させようとする医師達と、嫌々と首を左右に振りこの場に居座ろうとする兄貴の攻防はしばらく続いた。

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