日和の国の中瀬さん

小箱甘味

【第一章】日和の国の一幕

【第一節】簡単なお使い

沈黙からの生還

 生者か、死者か。

 まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。

 こうして生きている事が大事じゃあないか?

 過去を捨て、今を生き、未来へ行く。

 それの何が悪いってんだい。

――――――よくある最期の言葉。








 何処までも、何処までも落ちていく。

 底無き深海の世界を落ちていく。

 生暖かい何かに包まれ、けれども鋭い冷たさが絶えず私を襲っている。


 一度目は苦痛。

 唖然とした表情を浮かべた――――は、目の前にいる――――を見つめた。

 ――――は一言「――――」と言うと、――――の突き刺さったナイフを抜き差し、一歩二歩後ろに下がり、そして背を向け何処かへ行った。

 それに向けて――――が怨嗟の言葉を投げかけると、意識を失った。

 私はそれを見ていたが、過去の怨嗟に――――という存在は要らなかった。



 二度目は静寂。

 ――――と共に杯を交わす――――は、杯の酒を飲み干す。

 そして会話をしていくと眠気に襲われる。まだ話していたいから目を開けようとしたが、どうしても眠い。

 「――――」と声を掛けられ、――――は静かに眠りについた。

 私はそれを見ていたが、慈悲の殺意に――――という存在は要らなかった。



 そして、現在。

 確かに深海の様な暗き世界を漂っていた。

 永く微睡んでいた私は、一気に覚醒する。




 始まりは冒涜。

 ――――の体を暴き、神秘を冒涜した者は、確かに居た。

 深海様な世界を漂っていた――――を叩き起こした誰かが。

 しかし、気づいた時、――――にその記憶すら無かった。

 自らが一体何者であったのか、何があったのか。

 それすら忘れた――――は、日和の国で確かに目覚めた。

 そして、封じられ、この国の民として人の体を得たのだ。

 これこそ、原初の日和国議会が選んだ一手。

 手遅れも手遅れであったが、辛うじて人類は存続を許される事になった。

 その下に、確かに――を降臨させる為の崇拝の証が積みあがる事になったが。






「こんにちは」


 それはもう胡散臭いという言葉を体現したような、けれども爽やかな声が耳を打つ。


「こんにちは?」


 何となくだが。挨拶を交わした方が良い、と思った。

 正直な話、人間如きに何かされる程弱い訳ではない。

 まぁ、強い訳でもないが。


「何をしているんですか」


 何をしているのか?

 何を?

 何、何か。

 別に。


「分からない」


 何も。

 だって立っているだけだから。

 それだけだから。

 どうせ、いつかは消えるだけだから。

 それが私だから。


「貴方の名前は」

「分からない」


 もっと厳密に言うならば、無い・・

 と、いうか……有ってはならない・・・・・・・・

 矮小な存在が私の事をなんと呼ぼうが別に構わないが、私が、私であるという何かを手に入れてはならない。例え何であろうと、何かが有るという事は、それ即ち私にとっては不純・・であり……ああ、いや、そういう意味では、今の私は正常ではない。そもそも、こういう考え方自体が。


「そうですか」


 再び耳を打つ。

 けれど、それは落胆したような、喜んでいるような……。

 どちらとでも取れる声だった。


「では、貴方は中瀬なかぜ七氏ななしと名乗りなさい」


 なかぜななし?

 何故?

 だが、問いかけた所で意味はないだろう。

 きっとこの文字列に意味はない。

 そういう感じのもの。特に深い意味は無い。

 呼吸した時に出る音のようなもの、指をパッチンした時の音のようなもの、手を叩く叩き方のようなもの、爪の色を赤く塗るようなもの。

 そういう意味だ。きっと、その程度の意味だ。


「私の名前?」


 だから問うべきは意味ではなく、用途である。


「貴方がそうだと思うのならば」


 返ってきたのは、ご自由に。


「そうですか」


 そうですか。そうですか。

 では、そのように。


「ついてきなさい。此処ではすぐさま殺されるでしょう。幾らここが、生と死が曖昧であれども、死ぬことは些か気分が良くない。そういう風・・・・・になっていますから」


 差し伸べられた手を一旦見つめる。

 どうすればよいのか。

 私の様子を見た彼は己を蛇頼だよりと名乗ると、強引に手を取り引いた。


「では、初めからそうすれば良かったのでは?」

「おや、覚えているので?」


 何をだ。

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