︎︎

 頼まれ事の次の日、いつもよりスッキリ目覚めることができた。ここで寝た日は大抵変な夢を見て、何度も起きて顔色も最悪になる。


「おはよー.....?」


 下に降りて、食卓へ。辺りを見回しても、母さんの姿はなかった。


「あー.....いつものか」


 今は母さんと私の二人で生活しているけど、中学生くらいの頃までは弟二人と両親とばあちゃんの仲のいい家族だった。


「もう見つからないと思うけどな」


 父は、私が高校に上がる年の春休みに行方不明になった。そこから、母はおかしくなった。周りから見れば、普通に生活できているように見える。けれど家族からすると、性格がまるで変わってしまったように思う。笑わなくなったし、私と話している最中に急に涙を流し始めたりもするようになった。

 外にいる時に普通に見えるのは、きっと気を張っているからだ。


「無理もないか、ラブラブだったし」


 本気で好きだった相手を失うと、人はこうも簡単に崩れてしまうものなのか。と、当時はよく考えていた。そんな私だけれど時間が経つにつれ、この雰囲気にも慣れてしまった。そして、だんだんと『何かおかしい』という感覚も薄れていった。


「いただきます」




 昨日食べなかった夕食の残りを、温め直して食べる。ふと、違和感に気づく。


「え.....」


 普段この場所ではしないはずの、あの音がする。気のせいかと思って食事を続けている間も、音が止まる気配はなかった。自分では気づかなかっただけで、もう随分と前から私もおかしくなってしまったのかもしれない。でも今のところは、身体にもなんの異常もないし食欲もある。もし何かあれば病院に行けばいい話だ。


「いってきまーす」


 戸締まりをして家を出る。母さんは結局、私が家を出るまでに戻って来なかった。けれど合鍵は持っているし、いざとなれば私のケータイに連絡するように伝えてある。さすがにケータイの使い方を忘れるほど、壊れてはいないだろうし。何より外の方が落ち着くというのがあるのかもしれない。


 ✱✱✱


「ゆきちゃん、顔色悪いよ?大丈夫??」


「え、そう??昨日はよく寝られた方なんだけどな....」


 会社のデスクについて早々、隣で仕事している同期に声をかけられる。自分では気にしていないけれど、周りには相当やばい顔色に見えていたらしい。


「昨日はねられた方って何?ずっと睡眠不足ってこと???!」


「大袈裟だよ、仕事溜まってるから寝不足なのはそうかも」


 私は苦笑いをする。家に変なものが住んでて、毎月一度は悪夢にうなされるなんて話したら....同期ちゃんが食いついて仕事どころではなくなる気がするから。


「まだ鳴ってる....」


 家を出てから、ずっと気になっていることが一つある。音が、止まっていない。確かに最近は仕事詰めだったし、その疲れで耳鳴りでも起こしているのでは?とも思ったけれど....これはどう考えてもあの音なのだ。


「ちょっとごめん、席外すね」


 同期ちゃんの『本当に大丈夫〜?』の声を背にして、私は御手洗へ急いだ。気のせいかもしれないけれど、いつもの音の奥から何となく女の人の声で『おいで』と聞こえて来る気がする。

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