幸福ディッシュ

紫花 陽

第1話 目覚めのディッシュ

 俺が食に目覚めたのは、簡単に用意された一皿だった。

 生活のために週五でアルバイト、まだ若いからと就職やら転職やらにまだ余裕があるとしても、ちょっと焦りつつある毎日。一度、正社員として働いた時もあったが途中で挫折、色んなことをしてみたいとアルバイトに戻った。

 おかげで時間は出来たし、前よりもなぜか給料が良いから暮らしには問題ないのだが、このままで終わっていいのかと考えると・・・・・・。

 そんな俺に、一通の連絡が来た。


『ヨウジ、明日、泊まりに行っていいか?』


 最近、結婚したばかりの親友、ミチからだった。


『何だ急に。結婚早々、離婚するのか』


 と冗談混じりに返信をすると、すぐに着信が来た。なんだよ、五連勤して疲れているっていうのに面倒だな。なんて思いつつ電話に出る。


「どうしたんだよ。本当に離婚しちまったのか?」


「違うよ! 勝手に離婚させるな! 友達と旅行に行っちゃったから一人になって寂しいんだよ」


 ただの寂しがり屋だった。元々、実家暮らしで結婚してから二人暮らし、それで嫁が旅行に行ってしまって一人ぼっち、空いた空間がやけに冷たかったんだろう。


「そうかい、そうかい。まあ、明日は休みだし来てもいいよ」


「まじ!? ありがとう! というか、もう家の前にいるんだけどな」


 え、まじかよ​─────


 家にあげると、近くのコンビニで買ってきたであろうカルパスやスルメを取り出し、部屋の真ん中に鎮座するテーブルの上に酒と一緒にボンと置かれ、「飲もうぜ」と容赦なくすすめられた。

 明日は休み、もちろん飲んだ。疲れのせいか、味の濃いツマミやアルコール度数の強い酒を飲んだにも関わらず、何も味を感じることが出来なかった。話は弾み、酔いもすすみ、自然と眠りについた​。


 翌朝、俺は素敵な香りに誘われて目を覚ました。どこか懐かしさを感じる香りだった。だが、それが何かを思い出せない。


「おはよう! 急に泊めてもらったから、申し訳程度に朝ごはん作ってるから待ってな」


「・・・・・・あ、あー、ありがと」


 携帯で時間を確認すると、まだ朝の八時、寝ぼけた頭で起き上がる。テーブルの上には一杯のコーヒーが用意されていて、隣には空の平皿がそっと置いてある。

 何がここに乗せられるのだろう。それよりも、芳ばしいコーヒーの香りが、寝起きの俺の腹の虫を少しづつ目覚めさせる。


「熱々のアメリカンコーヒーか・・・・・・? 先に貰っていいか?」


「ちょっと待って、もう出来たから」


 先に空腹を紛らわせようと思ったが、ミチに止められた。「お待たせ」と用意されたのは二枚の小麦色に染められたトーストだった。

 俺がいつも食べている厚切りのパン、普段はそのままジャムを表面に塗って食べるだけで、こんな美味そうな姿は見たことがない。

 今までとは違う姿、トーストの上に黄色い半溶けの四角いやつがいる。


「どうした? そんな珍しいものを見るような目は。特に珍しい食べ物でもないだろ。バターでこんがり焼いた、ただのトーストだ。ただその上に追いバターをしているだけだよ」


 追いバター!? まさか、朝からそんなハイカロリー料理を用意するなんて。


「というか、こんなにバター使いやがって。バター高いんだぞ!」


「まあまあ、食べてみなはれ」


 ニンマリと笑うミチを横目に、俺はトーストをゆっくりと持ち上げる。持ち上げた瞬間のカリッという音、これはもう表面はしっかり焼かれたトーストであることは間違いない。

 口まで運ぶ道中は、バターが車体から落ちないようにバランスを取る。

 そして歯を入れると​─────

 なんだこれ!

 カリッという音と共にジュワッと口いっぱいに広がるバターの脂と風味がたまらない。これぞまさに背徳の味。噛めば噛むほど、パンの肉汁が止まらねえ!


 あまりの美味さに俺の手は止まらず、あっという間にトースト二枚を食べきってしまった。

 食べ終わったあとのアメリカンコーヒーもまた良し。その苦みで、口いっぱいの背徳の味が消えていくようでちょっと寂しいが、口の中はもちろん、寝起きの頭もさっぱりさせてくれる彼の存在も重要だ。


「簡単なのに、こんなにも満足出来るひと皿があるなんて知らなかったな」


「ヨウジ、お前は普段から何を食べているんだ。疲れすぎて味でもしないのか? ちゃんと味わって食べれば、美味いもんなんてそこら中にあるぞ」


 食べ物の味なんて、仕事ばかりでとっくに忘れていた。でも、このひと皿で思い出せた。

 飯は、こんなにも美味い!


「ありがとうミチ。また、美味いもんがあったら教えてくれ。俺はもっと美味いもんが食いたい!」


「おう、あんま知らんけどな」


 こうして、俺は親友が用意した追いバタートーストという、たったひと皿の料理で食の扉が開いたのだった。

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