第15話 アリス・ルージュのお買い物、そして……


 神歴1012年、2月12日――帝都レベランシア、質店『リザードテイル』。


 アリス・ルージュは、お買い物に来ていた。


 ルナたちと、今日はみんなでお買い物。彼女はこれ以上ないほど上機嫌だった。


 その瞬間までは――。


「おっ、『アセンブラ』を選ぶとはお目が高い。そいつはAランクでは珍しい『二空』のダブルだ。若いのになかなかの目利きだねえ。で、いくらで買いたい?」


「十万ゴーロで売ってー」


「はい?」


 男の表情が、誇張なしにピタリと固まる。


 彼は数秒間、そのまま時の止まった世界の住人となると――やがて恐る恐る確認するように、


「俺の聞き間違いかな。今、十万って言った?」


「うん、十万ゴーロ。十万ゴーロで買いたい。安い?」


 アリスは、ハッキリと言った。


 カウンターを挟んで相対する五十がらみのイカツイ男は、それを聞くなり、野獣のように両目を見開き、


「安い高いの問題じゃねーんだよ!? いや安い高いの問題だけど! あまりに安すぎるんだよ! 相場の五十分の一以下の値段だぞ!? どうしてそれで買えると思った!? 交渉にすら入れない切り出しだ! 冷やかしに来たんだとしたら、見た目に寄らずとんだライオンハートだな!」


「ぐなあーっ、冷やかしになんて来てないよー! いくらで買いたい、って聞かれたから買いたい値段言っただけなのにー! なんでそんなにおっきな声出して怒るのー! ルナー!」


 アリスは両手を上げて、後方に控えるルナを呼んだ。


 すぐさま、青髪赤目の親友が彼女の真横に並び立つ。


 ルナは真顔で、


「なんで怒るんですか? 正直に答えただけなのに」


「そうだそうだー! 聞かれたから正直に答えただけなのにー! 顔も怖いーっ! ビックリしたぁーっ!」


「いやビックリしたのはこっちなんだよ! どんだけパワーワードかましたか、自覚ねーのか!?」


「ないよー! だいたい、なんで値札がないのー! こんなんじゃいくらか分かんないよー!」


「そうですね、分からないです。値札がついてない商品なんて怪しすぎます。アリスさん、ここはきっとぼったくり店ですよ」


「ぼった……っ!?」


 男の両目が、これ以上は無理というレベルにまで見開かれる。が、彼の口から続きの言葉が放たれることはなかった。その前に、第三の声が突と割って入ったのである。


「おまえら、何やってんだ? 質屋で値札がついてない商品なんて別に珍しくもないだろ? アセンブラのような希少なダブルなら尚更だ。店はより高く売りたいし、客はより安く買いたい。交渉式が基本だ」


「えっ、そーなの? じゃあ、ぼったくりじゃないの、ブレナさん?」


 ブレナ・ブレイク。


 いつのまにか真後ろに立っていた金髪碧眼の青年――ブレナは、ルナの頭をコツンと叩いて、


「あんまテキトーなこと言うなよ、ルナ。アリスは全部真に受ける。場が混乱すんだろ」


「テキトー言ったつもりはありません。思ったことを言ったまでです。あと、頭痛いです」


「頭痛いのは俺のほうだ。二人して、他所よそで恥かかせやがって。良い迷惑だ」


「気持ちは分かるぜ、兄ちゃん。が、俺よりはマシだ。ぼったくり呼ばわりされた、この俺に比べりゃはるかにな。なあ、嬢ちゃんたち。ひどいこと言ってくれたもんだぜ」


「うぅ……ごめんなさい」


「……すみません、早とちりでした」


 アリスはルナと共に、しょんぼりと頭を下げた。が、お詫びに何か買おうとルナが商品に手を伸ばしたところで、ブレナの鋭い言葉がそれを制する。


「ルナ、気を使って『欲しくもない商品』を買う必要なんてないぞ。ここがぼったくりじゃないかどうかは、まだ判断できないからな。よく見ると値札付きの商品はどれも相場より割高だし、何よりアセンブラを五百万ゴーロ以上とのたまったのはかなり悪質だ」


「おいおい、ソイツは聞き捨てならねえな。うちの商品はどれも割安だし、アセンブラだって五百万ゴーロの価値は優にある。知ったかでいろいろケチをつけるのは、無知の嬢ちゃんたちよかはるかにたちが悪いぜ」


「たちが悪いのはあんたのほうだろ? オークションで金持ち同士が競い合えば、加熱度合いによってはそのくらいいくかもしれないが、それを相場と言うには無理がある。柄の部分にかなり傷もあるし、二百万ゴーロが妥当な金額だ」


「二百!? そんな額で売ったらウチは赤確定だ。確かに状態は完璧とは言えないが、それでも三百五十の価値はある。買う気ないからって腐すだけ腐して鬱憤を晴らそうって腹か?」


「買う気はあるよ。なかったらこんなことは言わない。俺たちはただ、適正な値段で買いたいだけだ。アリスはこれから長いあいだ、このダブルを愛用していくわけだからな。二百五十万ゴーロ。これで譲ってくれたら今までの非礼は詫びよう」


「詫びはいらない。詫びるくらいなら三百で買ってほしいね」


「二百七十五」


「二百八十五。これでお互いウィンウィンな取引だ。兄ちゃん、これで俺の右手を握ってくれないか?」


「二百八十。最後は客の言い値で握手ってのが、客商売の正しい在り方だと俺は思うがね」


「…………」


 十秒後――。


 男はブレナの右手をガシリと握った。


 アリスは三か月ぶりに、ブレナのことをすごいと思った。



      ◇ ◆ ◇



「アセンブラ、買えたー。ブレナさんのおかげで、相場より安く買えたー」


 店を出るなり、アリスが満面の笑みを浮かべて言う。


 ルナは彼女のそれに追随するように、店外で待っていた黒髪黒目の男に事の詳細を報告した。


「アセンブラ、二百八十万ゴーロで買えました。ブレナさんの交渉術が役に立ったみたいです。安いのか高いのか、正直わたしにはサッパリですが」


「安いわ。めちゃくちゃ安いわ。俺以外の人間だったら、三百五十は最低取られてるぞ?」


 最後に店を出てきたブレナが、自身の手柄をこれでもかとばかりに強調する。


 ルナは半信半疑に細めた両目を彼に向けたが――黒髪黒目の男、トレドの評価もブレナのそれと同等レベルに高かった。


「まあ確かに、二百八十は相当安いな。転売しても、五十は利益を出せる。たいしたもんだよ、ブレナ」


「いやおまえに言われても嬉しくないわ」


「なんでだよ! 喜べよ! ていうか最近、俺に対して当たり強くない!?」


「最近、じゃねぇよ。最初からだ。おまえと俺とでは価値観が違いすぎる。リッツファミリーも結局、皆殺しにしやがって。殺人マシーンか、おまえは」


「いやだから手加減が難しいんだって。アリを潰さずに戦闘不能にするのが難しいのと一緒。それに、ボスのトドメはちゃんとおまえにくれてやっただろ?」


「……恩着せがましく言うな。まあでも、そこだけは感謝してる。そこだけはな」


「いろいろ言いたいことがあるのは分かりますけど――でも、トレドさんのおかげで帝都の巨悪も残すところはゲヘナ盗賊団だけになりましたね。こんなに早く帝都の悪を一掃できるとは正直思っていませんでした」


「あたしもーっ。あたしたち三人だけじゃ、ぜったい無理だったよねっ」


「……そんなことはない。形を選ばなければ俺一人でもやれた。いやマジで。負け惜しみじゃないからな」


「負け惜しみですね」


「負け惜しみー」


「なっ!? おまっ、ざけんな! ざっけんなよっ! ブレナ自警団のリーダーは俺だぞ!? 少しはリスペ――」


「あーーーっ!」


 会話の流れを断ち切るように。


 突如、アリスが何かを発見したような、あるいは思い出したような、そんな意味ありげな一音を張り上げる。


 驚くブレナをしり目に、ルナは冷静に訊いた。


「どうしたんですか?」


「ここ! この場所、ベルくんと会った場所だ!」


「いや誰ですか」


「ベルくん! この前、友達になった! ルナにも話したじゃん!」


「……ああ、そう言えば聞いたような。男の子なのに、プリティーキャットの恰好してるヤバいヒトでしたっけ……?」


「ヤバくなんてないーっ! 失礼なこと言わないでよーっ! ベルくんはとっても良い子なのーっ! それにプリティーキャットのカッコなんてしてないーっ! プリティーキャットの人形持ってるだけだもん! あたしと一緒! 男の子がプリティーキャットのカッコしてたら変態じゃん!!」


「……いや人形持ち歩いてるだけでもけっこうヤバいけどな。部屋に飾っとくとかならまだしも……」


 ぼそりと、ブレナ。


 若干、そんな気がしないでもなかったが――まあ恰好をしていないならギリギリセーフだろう。変態だったら力づくでも引き離さなければならないが、そうでないなら口は出さない。アリスがこんなに嬉しそうな顔をして話しているのに、ケチをつけるのは野暮というものだ。


 ルナは口もとを少しだけ緩めると、


「まあでも、趣味の合う友達ができて良かったですね」


「うん、良かったー! 話合うし、一緒に話してて楽しいんだー! ルナの次くらいに、仲良しになれそうーっ!」


 そう言って、アリスも満面の笑みを浮かべる。


 と、そこでルナは不意にトレドのほうを向き、


「――ということは、この場所でリッツファミリーの残党をトレドさんが始末したということですね」


「……う、それでまた俺を責める気か? そっちに飛び火しないように、口を閉ざして貝になってたのに……」


「いえ、別に責める気はないですけど。わたしは。もう過ぎたことですし」


「俺はあるけどな。良いタイミングだから言っとくが、おまえみたいなやり方をしてると無駄に恨みを買うことになる」


「恨みを買うのはしょうがなくないか? どうやったって、恨みは買うだろ」


「無駄に、って言ったろ。それに必要以上に警戒もされる」


「心配しなくても、ガルバン商会もリッツファミリーも残党は数えるほどだ。恨みを買おうが、警戒されようが、たいしたことはできない。もう完全に死に体だよ」


、な……」


「……なんか含みある言い方だな。そいつはどういう――」


 意味だ?


 と、おそらくはそう続けるつもりだったのだろう。


 だが、放たれる予定だったトレドのその結びの言葉は、同時に鳴った第三の声によって完全無欠にかき消された。


 同時に鳴った、聞き覚えのない第三の声によって――。


 その声がもたらした、想定外の一報によって――。


「アリスちゃーん! 大変だよ! あんたのお父さんとお母さんが、ゲヘナ盗賊団の連中に拉致されちまったよ!!」


 事態は、風雲急を告げる。

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