フィルム

文学少女

記憶

 最近、ナボコフの自伝を読む中で、私自身の記憶というものをゆっくりと、丹念に探ってみた。遠い記憶は、はっきりとした連続的な映像というより、ぼんやりとした断片的な映像が、ぽつり、ぽつり、と私の頭の中に浮かんでくる。私に思い出すことのできる最も古い記憶とは何だろうと、少しずつ記憶を遡っていく。幼稚園から、保育園へと戻る。大きなタイヤを転がして遊んでいた記憶が、かすかに残っている。また、保育園には怖いおばさんの先生がいた記憶も、それに続いて思い出される。これより古い記憶はないだろうか。北海道に行ったときの記憶もある。飛行機でレゴブロックのおもちゃを渡された記憶や、WBCというモータースポーツを見た記憶もある。もっと、遡れないだろうか。やはり、幼稚園の年長からはいくらか記憶がはっきりしているが、それよりも古い記憶は中々思い出すことができない。私は頭を手で頭を支えながら、左にある白い壁を見つめ、顔をしかめ、何かを思い出そうと奮起する。祖母。顔から転んだこと。これはいつのことだっただろうか。耳をふさぎ、目を閉じ、私はさらに深く記憶の世界へと入ろうとする。中々思い出せない。頭が痛くなってくる。集中力が切れて古本の値段シールをはがしたり、机に積んである本を並べ替えたりする。もう思いだすのは難しいだろうか。


 私はアルバムを見返そうと思った。そうすれば蘇ってくる記憶があるような気がしたのだ。階段を下りてリビングに行き、私の幼いころの写真が収められているアルバムを二冊手に取り、自分の部屋へと戻る。私が赤ちゃんのころの写真が、まず出てくる。当然、そのときの記憶は残っていない。両脇には恐ろしく若い両親がいて、私を抱きかかえているのは、もう私の記憶には残っていない曾祖母で、いや、ある。たしかに、顔はもう覚えていないが、私は曾祖母が亡くなる間際、会話した記憶が、私にはある。曾祖母はベッドに横になっていた。私は名前を聞かれ、答えた。すると「○○ちゃんね」と言われたが、私は男だったので、「僕は○○ちゃんじゃなくて○○くんだよ」と答えた。「どっちでもいいじゃない」と、横から誰かが言ったのも覚えている。曾祖母との記憶は、それだけだった。それは、いつのことなのだろう。幼少期の私は、髪が長く、肌は色白で、女の子のようであった。小学生になっても、まだその女の子っぽさがあまり抜けていなかった。こうして育った今でも、顔は母親に似ているように思う。私が幼いころの、若い母親の写真を見て改めて思ったが、私の母はやはり美人だ。それは小さいときからなんとなく感じていた。


 幼稚園のころ写真を見ると、今でもその記憶はいくつか蘇ってくる。やはり、幼稚園となると、記憶は少しずつはっきりしてくるようだ。すごく恥ずかしいのだが、幼稚園のころの写真が収められいるアルバムには、私がもらったラブレターが二通挟まれている。これを取っておいている母親を少し恨むが、たしかに捨てにくいというのも分かり、複雑な気持ちになる。二通のラブレターは、どちらも同じ人からのもので、よほど好かれていたのだと分かる。幼稚園の頃、私はとても元気な子供だった。とても落ち着いてしまっている今では信じられないことだ。祭り、海、運動会、和太鼓、様々な写真が、私の奥底に眠っている記憶を呼び起こす。


 曾祖母が亡くなったとき、私は何歳だったのかと父に聞いてみたが、はっきりとしたことはわからなかった。

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