転生してもまた僕だったので、人生やり直してみることにしました

文重

1.転生したい……

「ケンタ、起きなさい、朝よ~」

 お母さんの声で起こされる〝夢落ち〟だったらどんなにいいか。目が覚めるたび突きつけられる現実に、ケンタは毎朝絶望的な気分になる。月曜日の今朝は特に憂鬱だった。ダイゴたちから要求されていた「転生シンゴ」のトレカが、昨日の発売日に朝から並んだにもかかわらず結局買えなかったからだ。なんで前の晩から並ばなかったんだよとか、人があまり来ない穴場の店を探して行けばよかったじゃないかとか、さんざん言われるのだろう。文句だけなら黙って嵐が過ぎるのを耐えればいいが、ダイゴの取り巻きの一人ヨウヘイあたりからパンチが一発飛んでくるような気がして、前に殴られた時のことを思い出して体が震える。あの時は鼻にまともに食らってひどく鼻血が出て、お母さんにも随分心配されたけど、イジメられていることを知られたくなくて転んだと嘘をついた。


 クラスのヤンチャ系代表格のダイゴは、中学2年生にしてケンタより15センチ高い170センチだし、中1まで町の柔道場に通っていたとかで体もがっしりしていた。サブリーダー的なヨウヘイは、ダイゴよりさらに大きくて180センチ近くある。力ではどんなに抵抗したってかなうはずもない。


 ぐずぐずとベッドからはい出ると、パジャマ代わりのスウェットから詰襟の制服に着替える。ズボンは毎週末にお母さんが洗濯してアイロンをかけてくれるけれど、ダイゴたちに小突き回されたりするからすぐに汚れたり縫い目がほつれたりする。破れたところを繕ってくれるお母さんに、どうやったらこんなに汚れるのかしらといつも呆れられているが、休み時間に制服のままドッジボールをやっているからと答えてごまかしていた。ドッジボールをやっているのは本当だった。もっともそれはドッジボールというよりケンタを標的としたボールのぶつけ合いだったのだが。


「ほらほら遅刻しちゃうわよ。早く食べなさい」

 今朝はケンタの大好物のチーズ入りオムレツだった。お皿半分ほどもあるオムレツにケチャップでニコちゃんマークが描いてある。パンもいつものトーストじゃなくてフレンチトーストだ。お父さんの席とお皿はすでに空だった。いつものようにもう会社へ出かけてしまったのだろう。お母さんは週に3回スーパーのレジのパートに行っているけれど、パートのない日は朝から手の込んだご飯を作ってくれる。今のクラスになる前は、朝食がオムレツだとテンションが上がって1日いい気分で過ごせたが、今は大好物を目の前にしてもあまり食指が動かされない。機械的にフォークで少しつついただけで、半分以上残してしまった。フレンチトーストのほうも甘くておいしかったけれど、やはり三口ぐらいかじっただけで席を立った。

「ええー、朝からがんばって作ったのにそんなに残しちゃうの? 具合でも悪い?」

 お母さんが心配そうにおでこに手を伸ばして熱を測ろうとしたけれど、ケンタはするりとその手を逃れて、

「もう時間ないから」

 とだけ言って玄関に置いてあったリュックを拾い上げると、スニーカーをつっかけて外に飛び出した。

 お母さんも学校で何かあるんじゃないかと気づいてはいるのだろう。お父さんは帰りが遅いから普段は何も言わないけど、昨日の日曜日に朝から出かけて夕方ぐったりして帰ってきたケンタを見て、リビングでビールを飲みながら野球中継を観ていたのを中断して、

「朝からどこへ行ってたんだ。久しぶりにおまえとキャッチボールでもしようと思ってたのに」

 と訝るような目つきで聞いてきた。

「友達と約束があったから」

 と答えると、お父さんは、

「そうか」

 と一言呟き、少し残念そうに肩をすくめてまたテレビ画面に視線を戻したけれど、ケンタの言ったことを信じてはいなかったのかもしれない。



 校門から校舎の入口へと続く道の両脇に、円柱の台座の上にのった数体のブロンズの彫刻が置かれている。この中学出身の彫刻家が10年ほど前に母校に寄贈したものだそうだ。さまざまな動物の像なのだが、馬に羽が生えていたり、炎のような尻尾を持ったライオンだったり、ドラゴンのような魚がいたりする中で、ケンタは「守護神」と題された彫刻が特に好きだった。1本角が生えているワシとフクロウを足して2で割ったような鳥というだけで、大層な名前の割にはあまり強そうには見えないなと思っていたが、なぜか惹かれるものがあり、いつの頃からか像の汚れを雑巾できれいに拭くのが日課になっていた。

 針のむしろに座っているような生きた心地のしない毎日の中で、像をきれいにしている時だけが心安らぐ時間だった。しかし、像を拭いているところをダイゴたちに見つかるとまた何を言われるかわからないので、像の掃除はダイゴたちが登校する前か帰った後にすることが多かった。

 今朝は朝食もそこそこに家を出てきてしまったので、歩いて15分の学校にも随分早く着いてしまった。ダイゴたちはいつも授業が始まる前ぎりぎりに5人でつるんで登校するから、まだ30分ぐらいは時間がある。ケンタは教室の自分のロッカーから雑巾をとってくると校庭の水道で濡らして固く絞り、大好きな「守護神」を丁寧に拭き始めた。登校してくる他の生徒たちの中には、何やってるんだという目で見る者もいたが、大抵は無関心な様子でちらっと一瞥するだけで声をかけることもなく、すぐに校舎に吸い込まれていった。地味でおとなしくて、いるのかいないのかわからない自分の行動になどみんな興味がないのだろうと、ケンタは自虐的な気分になりながらも黙々と像を拭き続けた。一昨日風が強かったせいで像は校庭の土ぼこりにまみれてしまっている。広げた翼の羽の一枚一枚の溝にこびりついたほこりも几帳面に拭き取っていく。もう少しできれいになるからねと、ぼそぼそと「守護神」に話しかけながら夢中になって像を磨いていると、

「ケンタ、おまえ何やってんだよ。気持ち悪いな。そんなのに話しかけるなんて、とうとう頭がいかれたんじゃないか」

 とバカにし切ったどら声が聞こえた。振り返ると目の前にニヤニヤしながらケンタの作業を見つめるダイゴたちの一団がいた。

「ほら、まだ汚れてるぞ」

 中の一人、タツヤが書道の授業で使う墨汁を「守護神」の頭からかけ始めた。せっかくきれいにした像がみるみるどす黒く汚れていく。ケンタの瞳から涙が溢れそうになった時に予鈴のチャイムが鳴った。

「ヤバイ、遅刻になっちまう。ケンタ、昼休みに屋上な。トレカ持ってこいよ」

 ダイゴは呆然とその場に立ち尽くすケンタに命ずると、子分どもを引き連れて教室へと速足で歩いていった。


 ケンタはしばしその場に放心状態で立っていたが、のろのろと再び水道のほうへ向かうと、置かれていたバケツに水を溜めて像のところまで戻り、墨汁を水で流しながら拭き始めた。本鈴が鳴り、遅刻しそうな生徒に校門のところで声をかけていた教頭先生が校舎のほうに戻ってきた。

「もう授業が始まるぞ。どうしたんだ、それは。君が汚したのか」

 ケンタが答えないでいると、

「もういいから、早く教室に入りなさい」

 と急かされたが、ケンタは黙ったまま拭き掃除の手を止めなかった。もうあらかた汚れは落ちていたので最後まできちんと仕上げたかったのだ。ケンタにとっては授業よりも、遅刻扱いになるよりもそっちのほうが重要なことだった。

 返事もしないケンタに業を煮やしたのか、教頭はケンタから雑巾を取り上げると、

「バケツは戻しておくからもう行きなさい」

 と語気を強めて促した。ケンタは鼻水をすすり上げると、教頭にとも「守護神」にともつかない方向にぺこんとお辞儀をして、校舎のほうへ向かって足を引きずるように歩き出した。



「買えなかったって何だよ! おまえ朝から並ぶって言ってたじゃんかよ。」

 昼休みの屋上にダイゴのだみ声が響き渡る。本当は屋上には生徒は上がってはいけないことになっているのだが、屋上に通じるドアの鍵が壊れていることを発見したヤスシが早速ダイゴにご注進に及んだので、給食後や放課後の格好のたまり場になっていた。みんなが食後の一服を吸っている間、先生が見回りに来たら知らせるようにと普段ケンタはドアの内側で見張り番を仰せつかっていたが、今日はトレカの件があるので、屋上のフェンスの前でダイゴ、ヨウヘイ、タツヤ、ヤスシの4人に囲まれて縮こまっていた。もう1人コウジという、ケンタ以外の5人の中では一番小柄なメンバーがいるのだが、今日はケンタの代わりに見張りに立たされていた。


「ケンタ、おまえ、ダイゴに約束したよな、必ず手に入れるって」

「そうだよ、嘘つき! どうするんだよ」

「買い物一つできないなんてダサ過ぎだよな」

 他の3人も尻馬に乗って口々に罵詈雑言をケンタに浴びせかける。長身のヨウヘイがカミソリのように吊り上がった目をさらに吊り上げながらトンと胸を突いてきた。パンチというほどでもなかったが、長身から繰り出されるので小柄なケンタは思わずよろけてヤスシのほうに倒れかかってしまった。

「こっちに寄るなよ。気持ち悪い」

 ヤスシはそう言って、太めの短い足でケンタのすねのあたりを蹴る。よろめいたケンタが倒れまいとしてタツヤにしがみつこうとすると、

「触るなよ! そんな汚い手で触られたら服が汚れるじゃないか」

 自分が原因で汚れたケンタの手を指差し、おどけた口調で言いながらタツヤはさっと身をかわした。朝、タツヤが銅像にかけた墨汁は爪の中に入り込んで、いくら石鹸でゴシゴシ洗っても落ちなかったのだ。勢い余ってダイゴにもたれかかると、腹に思いっきり膝蹴りを食らってケンタはその場にしゃがみ込んだ。

「上履きが汚れるから吐くなよな。で、トレカはどうするんだよ」

 ゲホゲホと咳き込むケンタの頭上から、追い打ちをかけるようにダイゴの野太い声が降ってきた。

「ネ、ネットで……」

 腹が苦しくて言葉が出てこない。

「あん? ネットが何だよ」

「ネットオークションで、探して、手に入れます」

 やっとの思いで言葉を絞り出す。

「おまえ、ネットオークションとかちゃんとできるのかよ」

「どんくさいから、間違って違うカード買っちゃうんじゃねえか」

「だいたいオークションって未成年は買えないんじゃなかったっけ?」

 次々に浴びせられるきつい言葉に気持ちが萎えていく。

「お、お父さんが、ネットオークションやってて、パスワード知ってるから、なりすまして、できる、と思います」

 ケンタが切れ切れに言葉をつないで答えると、周りは再び騒然となり、本当にできるのかとかバレたらどうするんだよとか否定的な言葉を次々に浴びせてきた。ケンタはいたたまれなくなって、一時でも早くこの場から去ることばかり考えていた。蹴られた腹の痛みも少し落ち着いたので、よろよろと立ち上がるとフェンスのほうに少しずつ後ずさる。ダイゴたちが口にするワードも、バカとかキモイとかバイキンとか、もはやトレカの件とは関係のない、いつもの悪口になっていた。2年生になってすぐに目をつけられて格好のイジメのターゲットにされてから、毎日毎日さんざん聞かされてきた耳を覆いたくなるような言葉の数々に、言い返すこともできない自分が情けなかった。

 耐えれば耐えるほどイジメはエスカレートする。こいつらを突き飛ばしてでも屋上から早く逃げなきゃとケンタは焦った。しかし、非力なケンタの力ではドアまでたどりつくことは不可能に思われた。逃げ場を失い、発作的にドアとは反対側の背後のフェンスに登り始める。追い詰められた屋上のフェンスの上。集団でいることで熱に浮かされ、はやし立てるやつら。足がぷるぷる震える。もうこれ以上耐えられない。バランスを崩したケンタの体が宙を舞った。


 落ちていく体とは裏腹に、心はすっと軽くなっていくのをケンタは感じていた。驚愕の表情を浮かべて上から見下ろしているダイゴたちの顔色が見る見る青ざめていく。遠ざかっていく一団の中には、騒ぎを聞いて駆けつけたのか見張り役のコウジの真っ青な顔も見えた。

 そうか、これで僕は転生できるんだ。転生したら今度はイジメられたりしない、元気で明るいみんなの人気者になるんだ。お父さんやお母さんにも心配かけないように勉強もスポーツもがんばりたいな。ケンタは幸せな気持ちで心が満たされていくのを感じながらどこまでも落下していった。

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