短編小説 テーマ:「おでん」

千歳 一

Case.1

「オヤジ、大根と昆布巻きとはんぺん、二つね」

 屋台の暖簾のれんをくぐるなり、親父は独り言のように注文を放った。隣で幾度となく聞いた、いつもと同じ内容だった。

 オヤジ、と呼ばれた禿頭は「へい」と最低限返し、タオルで手を拭うと串で大根の煮え具合を確かめ始めた。ここまで芝居の稽古みたいに決まりきった流れだ、僕は毎度のことながらそう思った。いや、そう思うように無意識で条件付けられているのかもしれないな。プログラムされた世界で、自分だけが意識を持ったかのような優越感を得るために。

 となれば次の展開も予想できる。当ててやろうか。

「こいつにはもち巾着きんちゃくも付けてやって」

 はい予想通り。僕は思わず口の端を歪めて笑うが、二桁年齢になったばかりのわっぱがしていい顔ではないだろう、そう考えてとっさにそっぽを向いた。

「それにしても、今日は冷えるな」

 へい、と無愛想な声。出汁の湯気が立ち上る暖簾の内側は暖かいが、そこから半分はみ出した親父の背中はさぞ寒いだろう。

「こんだけ寒いとお客も来んだろう」

「ええ、まあ。……お待ち、こっちは息子さんの」

 細いカウンターに器が差し出され、濃い香りの蒸気が顔を撫でる。両手で受け取ると、固い……オヤジの指が触れた。器に張られた出汁には、やはり見慣れた具材が行儀良く……と、ひとつ目新しい物が目に留まった。

「それ鶏卵ケイランか? そんな高ぇのどこで」

 目を丸くする親父と対照に、オヤジは眉ひとつ動かさない。

「前の御礼です」

「何の礼だ」

「おかげで、屋台これを検められず三区ここへ来れましたんで」

 なんだ、いつものことじゃねぇか、親父は割った大根を頬張って言う。

「潰れられちゃ困る、数少ない贅沢だからな」

「……恐れ入ります」

 オヤジは茶瓶の栓を開け、グラスに琥珀こはく色の酒を注ぎ親父の横へ。器の出汁と同じ色だけど、何かが違う、僕はそう思った。

「ここひと月だ。当局がやけにピリついてやがる」親父はコップの中身を一息に空けた後、唐突に切り出した。

「お偉方は隠し通せてるつもりらしいが、明らかに動きがヘンだ。検問に晩掛バンカケにパトロール強化、昨日なんて『一日十回の挨拶運動』なんて横断幕まで飾ってよ。4区じゃ私術社カンパニーに礼状無しのガサ入れまで始めてる」

 親父は図体に合わず酒酔が顔に出やすい。がっしりと太い首筋まで薄く紅潮しているのが見えた。

「あたしも話には聞いています。知人の煙草屋は、あらぬ嫌疑で売り物も店も潰されたと」

「気の毒な話だ。俺が言うのもなんだが、どう考えてもやりすぎてる」

 親父とオヤジは、この屋台でいつも愚痴を共有している。僕にはよく分からない話だったが、適当に相槌を打つと親父の機嫌が良くなるのが少しだけ嬉しかった。普段あまり見ない表情の親父を、ずっと見ていたいと思った。この時間がいつまでも続くといいのに、と。

「上の方……『天蓋府テンガイフ』で何かあったんですかね」オヤジは親父のグラスに二杯目を注ぐ。

「そういや前にもあったな。皇太子の家出ってオチはついたが、あん時も上を下への大騒ぎだったよ」

  親父はグラスをゆっくり傾けた。何でそんな不味そうな顔をして飲むのだろう、僕はいつも不思議だった。

「ご主人の見立てはどうなんです?」

 少し間を空けてオヤジが尋ねる。親父は「どうだかなぁ……」と宙を眺め、静かに息を漏らす。そして、

「まさか七色擬ナナイロモドキか」独り言のように呟いた。

「三十年前の、あの、ですかい」オヤジの声にもわずかに緊張が表出しているように聞こえた。

 親父は酒を飲み干し、考えを改めるように首を横に振った。

「いや、今のは忘れてくれ。そう考えりゃ辻褄が合うってだけの話だ。……あり得ねえよ」

「……へい」

 後味の悪い沈黙が生まれた。親父は適当な話題を求め、こっちに目をやった。

「おい、食ってるか?」

「……これ、食べれない」

 今まで見たことのない具材が入っていたのだ。白い球体を箸で突っつき、僕は訴えた。

「食べれないってお前これ……殻剥いてねぇじゃねえか、オヤジ」

 親父は出汁からその球体をつまみ上げると、それをカウンターの端に打ちつけた。少し嫌な音と共に球体にヒビが入り、親父は慣れた手付きで外側を剥く。中身は殻と同じ色だが、つるんとした光沢を放っている。なんだか親しみやすくなったと僕は思った。

「すいません、慣れてねぇもんで」

「仕方ねぇな、ほら食ってみろ」

 今度は親父の手から直接受け取った。印象がまるで変わり、そこで初めて食べられる物だと認識した。

「うん、おいしい」

 実を言うと少し生臭いように感じた。だが察するにこれは贅沢品なのだろう。二人の親父の期待を裏切りたくないと、咄嗟に思っての返事だった。

「殻付きじゃ味は染みねえよ、覚えときな」

「へい、恐れ入ります」オヤジは素直に頭を下げた。

「でも考えてみりゃ、ここまでの食材が食える所も少なくなったよなぁ」親父は器に半分残った大根を箸で突っつく。

「丸ままの野菜なんてここ以外じゃもう見ねえ。全部似た味のゼリーみたいなモンになってやがる。『大事なのは素材の味』とか抜かしながら、中に何が入ってるかなんて分かったもんじゃねえ」

「タネの仕入れも一苦労です」

「そりゃそうよ。一昨年のアレからだよな、もっと酷くなったのは。何だっけか……ああ、再・再・生食改革方針リ・リ・リアルフードプログラムだ。あれを境に野菜と魚は形が消えたんだっけな」

 僕は思わず器の中を見る。大根に薄く透けて見える筋が脈打つように見えて、少し怖くなった。

「その点この料理は良い。どういう理由か知らねえが、素材の加工だの調理だのがほとんど無え。食中毒だの栄養価バランスだの言う奴らもいるが、あいつらは本当にペースト飯の方が良いと思ってんのか」

 僕はぼんやりと、いつか見たニュースを思い出した。あまりに物を噛まなくなったために人間の顔の形は数十年で変わってしまったらしい。確かにこの屋台以外で口にするものは大体飲み込むだけで済む。そう考えると、僕は恵まれている方かもしれない、普通の子供はこんなものを見ずに人生を終えるかもしれないのだから。

「お前も今のうちによく見て、食べとけよ。いつかこんな野菜も、元の形が見れなくなる日が来るかもしれん」

「うん」

「昆布も大根も、春から流通禁止です。代替品の目処が立ったとかで」

「……まあそういうことだ。せめて、元ある形に想いを馳せられる人間になれ。どんな物であれ、な」

 オヤジお勘定。と親父は軽く手を上げる。携帯端末を差し出した親父に、「読み取るヤツの調子が悪いもんで……現金でお願いできませんか」とオヤジは微かに申し訳なさを含めて言う。

「苦労が多いな、あんたも」親父は紙幣を取り出すと、風で飛ばぬよう空のガラスの下に置く。

「釣りはいいから……永く続けてくれよ」

「へい」

「ああ、そうだ」親父は立ち上がりかけ、思い出したように尋ねる。

「アンタがさっき言ってた煙草屋、そのあとどうなった?」

「死にました。一番辛い死に方で」

 オヤジの言葉に親父は動きを止め、僅かな間目を瞑った。祈りか、それとも同胞の蛮行への罪悪感か、こんな悲しそうな顔は初めて見ると僕は思った。

「……ほら、いくぞ」

 親父は暖簾を肩で切り、一度だけこちらを振り向くと、それから背中を丸めて歩いて行ってしまった。一人残された僕に、オヤジは折った紙を差し出した。親父が置いた紙幣と、レシートだった。

「貰いすぎだ。お渡しを」

「……うん」

 オヤジの手から受け取ると、僕も親父の後を追いかける。

 さっきまでの柔らかな暖かさはすぐに背後の宵闇に消え、冷え込む真冬の現実にくるみ込まれるように感じた。

 二人の影はすぐに廃墟だらけの景色の向こうに見えなくなり、降り始めた粉雪が、ダメ押しのようにその景色もかき消した。




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