風が教えてくれたこと

一ノ瀬亮太郎

ドキドキワクワクする瞬間

 ヨット『韋駄天いだてん』の船首せんしゅ海面かいめんいていく。ける風圧ふうあつが、みどりられた『韋駄天いだてん』の船体せんたいを大きくひだりかたむける。


 すこしでもかたむきをおさえるため、ぼくがっている右舷うげん船縁ふなべりすわる。船縁ふなべりからして、眼下がんか海面かいめんのぞむ。しろ泡立あわだ波頭なみがしら次々つぎつぎうしろにんでいく。

 ときどき船首せんしゅなみんでがる。がった船首せんしゅ海面かいめんちるとき、盛大せいだいみずしぶきががってぼく直撃ちょくげきする。とっさにしたいてけるけど、あたまからしおをかぶる。くちなかにしょっぱにがさがひろがる。つばをめてしお一緒いっしょす。


 まだすこくちなか気持きもわるいけど、船首方向せんしゅほうこうもどす。四〇〇よんひゃくメートルくらいさき海面かいめんに、黄色きいろおおきな樽型たるがたのバルーンがいているのがえる。風上かざかみ風下かざしも約二七〇〇やくにせんななひゃくメートルはなれていているふたつのバルーンのあいだを、三往復半さんおうふくはんするのが今日きょうのレースコースだ。


 バルーンの位置いちあたまれたぼくは、左舷さげん海上かいじょう確認かくにんする。ヨット『黒魔術くろまじゅつ』が、こちらに直交ちょっこうするようにはしっている。そのくろ船体せんたいは、右舷うげん船縁ふなべり海面かいめんすれすれになるまでかたむいている。


 今日きょう天気てんき雲一くもひとつない快晴かいせいだけど、かぜつよい。『韋駄天いだてん』だって二枚にまい強風きょうふうを受けてカッんでるけど、『黒魔術くろまじゅつ』はもっとはやい。


ける?」

 ぼくうしろの操縦席そうじゅうせきかじるデンさんにかってさけんだ。

「ギリギリ、バウれる!」

 それが確信かくしんなのか願望がんぼうなのか、未熟みじゅくぼくには判断はんだんできない。ぼく船縁ふなべりならんですわるアラさんをた。

「たぶんバウれるよ」

 いたアラさんの口調くちょうで、ただの願望がんぼうじゃないとる。


陸斗りくと! このままマークまわるからスピンの用意よういしろ!」

 デンさんに了解ひょうかい合図あいずおくってから船首甲板せんしゅかんぱん移動いどうした。ハッチをけてかぜ専用せんようす。すぐに展開てんかいできるよう、ささえるぼうわせて所定しょてい位置いちにセットした。バルーンをまわるまで、そのまま船首甲板せんしゅかんぱんにしゃがんで待機たいきだ。


 そのあいだにも『黒魔術くろまじゅつ』との距離きょりちぢまっていく。船首甲板せんしゅかんぱんかこすりわりのワイヤーをつかぼくに、ちからはいる。


 九〇度きゅうじゅうど角度かくどたもってちかづく『韋駄天いだてん』と『黒魔術くろまじゅつ』はやがてちがうはずだ。ひろ海面かいめんらばってはしるヨットレースでは、バルーンをかえすときか、いまみたいにちがうときでないと、相手あいてってるのかどうかよくからない。『韋駄天いだてん』が『黒魔術くろまじゅつ』のまえ横切よこぎるか、『黒魔術くろまじゅつ』が『韋駄天いだてん』のまえ横切よこぎるか。デンさん、アラさんのことは信用しんようしてるけど、やっぱり実際じっさい交差こうさしてみるまで安心あんしんできない。


 あと五〇ごじゅうメートル……四〇よんじゅうメートル……三〇さんじゅうメートル……鼻一はなひとつ『韋駄天いだてん』が先行せんこうしてるけど、『黒魔術くろまじゅつ』のまえ横切よこぎれるほどのい。『韋駄天いだてん』のよこぱらに『黒魔術くろまじゅつ』がむんじゃないかとおもったとき、『黒魔術くろまじゅつ』がすこみぎ針路しんろえて『韋駄天いだてん』のうしろをとおっていった。かぜ左舷さげんけてはしる『黒魔術くろまじゅつ』は、右舷うげんかぜけてはしる『韋駄天いだてん』をけるのがレースのルールだ。


 やった! バウをったぞ! 『黒魔術くろまじゅつ』のまえたんだ!


 『黒魔術くろまじゅつ』をってうしろをかえったぼくと、船室天井せんしつてんじょうのハッチからくびだけしてる陽毬ひまりった。ぼくこぶしして親指おやゆびてたら、陽毬ひまりがバンザイでこたえてくれた。


 よろこんだのもつかまえ黄色きいろいバルーンがせまってくる。バルーンをまわって風下かざしもいたら、いそいでかぜ専用せんようげなきゃいけない。ぼく中腰ちゅうごしになって身構みがまええる。


 半年前はんとしまえぼくなら想像そうぞうすらできなかったはずだ。こんな……ドキドキワクワクする瞬間しゅんかんなんて!

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