序曲 美しき月下の泡沫 ︎︎あるいは… 終曲 ⬛︎⬛︎⬛︎

 出撃直前。

 彼女たちの部隊は、征野せいやに赴く前に必ず此処を訪れる。

 零落れいらく現象は待ってはくれない。でも、彼女たちのこの時間はに許可されたものだ。何故かは誰も知らない。知る必要もなかった。

 邪魔が入らない。それだけ分かっていれば十分だった。



「~~♪~~~~♪」

 月下にことの音と歌声が拡がり、白百合が揺れる。

 舞っているようにも見えるその花々は、一人の少女と同じく、この演奏が好きなのかもしれない。

「~~~♪…………ふぅ」

 パチパチパチ。

 暫し続いていたが途切れ、代わりに控えめな拍手が響く。


「流石お姉ちゃん。今日も完璧な歌声」

 唯一の観客である〝妹〟が、抑揚のない声音で言った。

「も~!嬉しいけど……!せっかくなら詩をリクエストしてほしいかな~。……そうだっ!ねぇねぇ、新しい詩を考えたんだけど聞いてみ――」

〝姉〟たる少女の言葉をさえぎって、

「いらない。だって下手くそだし」

 無慈悲にぶった切る。


 事実、〝姉〟は詩を作るのが下手だった。

 それを言われてしまっては強く出れない。言われ慣れたはずのそれに、しかしどんよりと肩を落とした〝姉〟は、〝妹〟の隣に腰を下ろした。


「しくしく。お姉ちゃんは悲しいよ……所詮私は琴と歌しか価値がないんだ……あーあー胸が痛いなー、誰か慰めてくれないかなー」

 目元に手を当て、白々しい泣き真似をしながら、ちらちらと〝妹〟を横目に伺う。

「…………ん」

 短い一言。

 それにどんな感情が込められていたのかは分からぬが、腰を上げた〝妹〟は、〝姉〟の膝の上へと移動する。そして、〝姉〟の腕を掴んで自らの腰に巻き付けた。


「……!ふへへへへ、お嬢ちゃんは可愛いの~。でもよいのかな?おじさんにそんなことして。食べちゃうぞ~?」

 先程の泣き真似は一体何だったのか。そう言いたくなるほどデレデレとした顔でのたまう〝姉〟だが、これはただの照れ隠しだろう。

 その顔に反して〝妹〟の腰に回された腕は慈しむように、優しく細い腰を包んでいた。


「………………ありがとね」

「…………」

 小さく呟き、〝妹〟の腰に回した腕にギュッ、っと力を込める。

 確かにそこに存在することを確かめるように、消えてしまわぬようにと、痛いほどの力で抱きしめられるが、〝妹〟は静かに腕に手を添えるだけであった。



 そのまま数十秒。…あるいは数分か。

 不気味なほど一切音がしない此処では、時間の感覚も怪しくなってくる。

 二人の息遣いだけが支配する寂静じゃくじょうの空間で、白百合が鳴いている。


「……ねぇ、■」

〝妹〟の髪に埋めていた顔を持ち上げ、〝姉〟が囁く。

「……なに?」

「もし、さ。もしだよ?……私も――」


 何を言おうとしていたのか。

 真剣な表情で紡がんとしたその言葉は、しかし、

 遮るように呟かれた、〝妹〟の短い一言。

 それに遮られ、終ぞ……最後まで紡がれることはなかった。


「いつもの夢の話……してほしい」

 よく見ると、その腕が、小さく震えていた。

〝妹〟は感情を表に出さない。苦しいときも、悲しいときも、倒れたときも、……死にかけたときでさえ。

 秘めた心が発露したのは数える程度。此処に来た時からそうであった。

 そんな彼女にとって、この一言は、精一杯の……懇願だったのかもしれない。


「………しょうがないなぁ~。……でもっ!条件がひとつ!」

〝姉〟はそう言って、傍に置いてあった琴を引き寄せ、

「なに?」

「伴奏は■がしてね!」

 そのまま持ち上げると、膝の上……に座る〝妹〟の膝に、琴を優しく降ろした。


「正気……?知ってるでしょ……お姉ちゃんの詩と同じくらいセンスないの」

〝妹〟の琴のセンスは、正に壊滅的、という言葉が相応しい。不協和音の方がマシだと言われるほどの腕だ。

「じゃあ逆にする?私はいい――」

 ならばと、乗り気でない〝妹〟の頭を優しく撫でながら提案するも、

「だめ」

 一刀両断。素気無すげなく振られてしまう。


 過去に一度だけ……〝妹〟が詩を歌い、〝姉〟が伴奏をしたことがある。

 それはそれは良いものだったと、皆が絶賛した。

〝妹〟が紡ぐ詩は、聴く者の脳裏に深い情景を映し出し。

〝姉〟が琴で奏でる流麗な音色は、聴く者の感情を呼び起こし、揺さぶった。


 到底初めてだとは思えぬ二人の息の合った合奏は、誰が聴いても文句などあるはずもなく。

 当然、〝妹〟の隠れた才に気付いた〝姉〟も褒め称えた。凄く良かったと、才能があると、……二人で一緒に夢を叶えるのもいいかもしれない、と。


 ――それ以降。〝妹〟が詩を作る事はなくなり。

 代わりに、〝姉〟が〝妹〟に琴を押し付けることが増えた。


「あははは、じゃあお願いね!」

 その即答を聞いた〝姉〟は、満面の笑みを浮かべて〝妹〟の腰に再び手を回した。

「……分かった」

〝妹〟は渋々といった具合に返事をし、琴に手を添える。


 花が咲くような笑みを浮かべる〝姉〟と、眉を顰める〝妹〟。

 正反対の二人の少女だが、どちらも共に……嬉しそうであった。



「――!――――!!」


 月下に琴の音が拡がる。地獄から這い上がる怨嗟のようなその音は、人々の不安を呼び起こし、聞くに堪えない。


諸行無常しょぎょうむじょう 何も残らない 生だって」


 月下にうたが紡がれる。聴こえてくるは、後ろ向きな言の葉ばかり。


「生と無が流転るてんする 慈悲じひ無き戦場 だからって!」

「―――――!!―――!!――――」


 一切の音がこぼれ堕ちた空間。

 そこは今、誰もが羨む至高の歌声と、悪魔も裸足で逃げ出す旋律に、力強く支配されていて。

 ――繚乱たる白百合が、それは激しく揺れていた。


「必ず咲かせてみせるっ! 満開の笑顔の 白月華はくげっか!!」

「………………」


 ……最後の三首を紡ぐ頃には、既に伴奏は止んでいた。

 琴を弾く手を止めた〝妹〟は俯いており、その心情は伺い知れず。


「……どうだった?実はこれ、今までで一番の自信作なんだよね~」

「――で」

 掠れて聞こえぬ音が、誰にも届かず宙に解けてゆく。

「ん……?」

「なんで……」

〝妹〟は勢いよく顔を上げ、〝姉〟を睨みつけた。


「なんでっ!………そんなこと言うの。

 皆を笑顔にするんじゃなかったの?戦いを終わらせて、戦場にも笑顔はあったって……たくさんの人に語るのが夢、って……いつも言ってたじゃん。なのに、なん――」

 今にも泣き出してしまいそうな、〝妹〟の吐露を遮って、

「べつに諦めてないよ」

 そう言うと、〝姉〟は世界で一番大事な人の頭を優しく撫でた。


「もっと大事な夢が――ううん。目標が出来ただけ」

「………?」

 大事な目標。

 そう言われても、今までずっと公言してきていたそれ以上のものなど、〝妹〟には見当もつかなかった。


「ふへへへ。やっぱり私の前衛的な詩は■にはまだ早かったかもね~。うんうん、そうに違いない!

 ふふっ。――私はね……たくさんの人の笑顔よりも、■の幸せの方が大事だから」

「え……?」

「別に戦いが終わらなくたっていい。一生戦ってたって構わない。……ただ、■が笑ってる姿を見られれば、それで……」

 他には何もいらない――とまでは、流石に言わなかったけれど。


「………ぷっ、ふふ。何それ」

 暫し呆然としていた〝妹〟は、小さく吹き出すような笑みと共に肩を震わせた。

 あまりにも馬鹿らしかったからだ。だって――

「暗いし、分かりづらいし、何より重い。それに最後の……白月華はくげっか?それ、私とお姉ちゃんの名前?」

 ……重いのは〝妹〟の方なのにもかかわらず、自分のことは棚に上げて、嬉しさを抑えきれない声音でそう言った。


 ――〝妹〟にとっては〝姉〟と一緒にいることこそが至上の喜びであり、それ以上は存在しない。

〝姉〟と出会った時からそれは変わらず、もし仮に〝姉〟が先に朽ちた時は……〝妹〟も死ぬ。

 だから、この目標は全く意味を成さない。

〝妹〟にとってそれは……当たり前のことだから。


「ふふーん。どうよ!いきじゃない?」

「はぁ……それなら普通に■■■でいい。-50点」

「えぇ~~!?そんなぁ~~。良いと思ったのに……」


 がっくりと肩を落とし、〝妹〟の髪に顔を埋めてめそめそと噓泣きをする〝姉〟。

 そこには先程までの緊張は微塵も感じられず、二人の笑顔が咲いていた。



「……そろそろ行かないと」

 ひとしきり笑いあった後、ぽつりと〝妹〟が口にする。

 その声音にはまだまだ足りない、という感情がありありと浮かんでいた。

「…そうだね~。お仕事の時間かー」

〝姉〟が立ち上がって、琴を定位置に戻しに行く。

 ――その背中に、〝妹〟の小さな声が届いた。


「帰ってきたら……」

「ん……?」

「私が詩を教えるから、お姉ちゃんは琴を教えて。それで……」

 そこで言葉を止める〝妹〟。

 言いずらそうな彼女に代わって、〝姉〟が続きを紡ぐ。

「そうだね……二人で一緒に私の夢――ううん。私たちの夢を、叶えるために頑張ろっか」

「ん……約束」


 大事な……とても大事な約束をした二人は、笑顔を浮かべながらを背に歩き出した。

 彼女たちが向かうは零落現象。ありとあらゆる全てが零れ堕ちる災害。

 世界の命運を背負う二人の少女の後ろには、墓標の周りを彩る繚乱たる白百合たち。

 温かみに満ちたその墓地では、もう、寂寥感は感じられない。

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