第6話 特務課のお仕事

 鬼本おにもとがクレーマーにおどされていると聞き、僕は居ても立ってもいられなくなった。


「分かった! すぐに向か――う……っ!」

「どうしたんですか!? 川原かわはら課長」

「車を……車検に出したままだった……」


 何というバッドタイミングだ。社用車も、特務課が使えるのは鬼本おにもとが運転して行った一台だけしかない。


「……私、車出せます!」


 声を上げたのは、電話を取った藤吉ふじよしさんだった。


「頼んだ!」



  *



 出発から十五分ほどで現場に到着する。クレーマーの標的にならないよう、藤吉ふじよしさんには車で待機してもらう。


 さびれた住宅街に建つ一軒家の前に、社用車が停まっていた。

 すぐそばに鬼本おにもとの姿を見付け、安堵する。会釈に対し、僕は目配せで応えながら、近付いて行った。


 クレーマーは四、五十歳ぐらいの中年男性。顔色が読めない。


「お待たせして申し訳ございません。責任者の川原かわはらです」

「……あんたが上司? ちょっと言ってやんなよ、この人さぁ――」


 延々と続く鬼本おにもとへの文句。やれ態度がデカいだの、体がデカいだの、口の利き方がなっていないだの、言いたい放題だ。


ものじしないのは鬼本おにもとの長所だし、背だって高くて格好いいだろうが! 口調だって親しみやすいし、声も柔らかくて、ささやかれると安心するんだぞ!)


 よほど言い返してやりたかったが、じっと我慢する。


 一通り言い終えると、今度は発端となったクレームに話が及んだ。我が社が出店したアンテナショップで、会計の順番を抜かされたことにご立腹だそうだ。

 無論、店員らはその場で不手際を謝罪したが、なお怒りが収まらないらしい。本社の人間を呼び付け、頭を下げさせたという事実が必要なのだろう。


 ならば、その希望に応えてやるまでだ。


「この度は誠に申し訳ございませんでした」


 僕は鬼本おにもとと並んで深々と頭を下げる。

 その対応が、間違っていたとでもいうのか。


「おう。で、オレが何でこんな怒ってるか分かってる?」


 男の表情は納得からは程遠かった。


「……この度は現場および本社の不手際により、お客様には多大なご迷惑を――」

「そういうことじゃねえんだよなーぁ!」


 社用車のボディに男が蹴りを入れる。僕は見かねて身を乗り出そうとするが、


「お客様、何卒なにとぞ……」

「ほらぁ! そうやって自分らの都合優先させるとこが――!!」


 男は増す増す声を荒げ、振り上げた拳を叩き付けるのだった――


 ――僕の前に立ちふさがった、鬼本おにもとの胸板へと。


「……っ……これで、気が済みましたか……?」

「す……寸止めのつもりだったのによぉ! お前が前に出て来るから、当たっちまったんじゃねえか!」


 引くに引けなくなった男は、なおも鬼本おにもとに当たり散らす。が、騒ぎを聞き付けた通行人たちの目が気になるのか、程なくトーンダウンしていった。


「もういいわ! 客の気持ちも分かんねえ奴なんか仕事辞めちまえ! お前らみてえな社員の代わりなんかいくらでもいるんだからよ!」


 男は捨て台詞を残し、自宅に引き返して行った。ドアの閉まる大きな音が響き渡ると、辺りは元の静けさを取り戻していた。


 僕は即座に鬼本おにもとへ駆け寄り、拳の当たった胸元をさすってやる。


「だ、大丈夫か? 鬼本おにもと君」


 握り返された大きな手のひらが、とても温かい。僕を見下ろす瞳は、どうか安心してください、と語りかけているかのようだ。


「平気っす。つか、俺よりも藤吉ふじよしさんが……」


 鬼本おにもとが後ろを指差す。そこには、ハンカチを手にぼうの涙を流す藤吉ふじよしさんがいた。


「ど、どうしたんだ!? もしかして怖がらせてしまったか!?」

「い、いえ……お二人の姿があまりにも尊くて……じゃなっ、勇敢だったので、感動してしまいまして……」

「そう……なのか……?」

「私は先に会社へ報告しに戻りますので、お二人はどうぞごゆっくり……」


 藤吉ふじよしさんはこちらの返事も待たずに、一人で車を運転して行ってしまった。



  *



 鬼本おにもとの運転する社用車の助手席に乗り、僕は会社まで戻ることになった。

 二人きりの車内はどこかきゅうくつで。鬼本おにもとの体が大きいせいもあろうが、どうにも距離が近いように感じてしまう。


 来てくれたことへの感謝を述べる鬼本おにもとに、僕は上司として当然だと答える。何でもないやり取りの後、しばらくの沈黙が訪れた。


 信号待ちの間、不意に鬼本おにもとが力なくつぶやいた。


「『代わりなんかいくらでもいる』かぁ……」

「あんな男の言うことを真に受けたのか?」


 らしくないな――そんな言葉を継いでしまいそうになる。


「俺はまぁその通りなんすけど、川原かわはら課長や藤吉ふじよしさんたちは真面目に仕事に向き合ってるじゃないですか。あんな風に思われるのは、何だか……悔しいなって」


 今回の一件だけじゃない、特務課は社内でも軽んじられている雰囲気があるのを、鬼本おにもとも普段から感じていたのだろう。

 あるいはかつての僕自身も、無意識に卑下していた部分でもある。


「誰でもできる仕事というのは、誰もやりたがらない仕事だ。そして、世の中に必要な仕事でもある。そんな大事な役目を任されていることを、僕たちは誇っていいと思うよ。勿論、君もな」


 中学生だったあの日、先生は僕に言ってくれた。



 ――川原かわはら君は、みんなが嫌がる仕事を率先してやってくれるね。先生は君のそんなところ、とても立派だと思うよ――



「ありがとう……ございます」


 鬼本おにもとの声はいつになく穏やかだった。何だかより一層、車内が狭く感じられた。

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