第4話 交換条件

 隠れ家というだけあって、そのバーは人目の付きにくいところにあった。

 店内もこじんまりとしている。カウンター席がいくつか並んでいるだけの通な店だった。団体客の予約とかは、はなから受け付ける気がないのだろう。

 だが白川亜希が贔屓にする理由はなんとなくわかった。ほとんど常連のみで成り立っているようなところなので、ここであればへんな噂が漏れるリスクは少ないだろう。それこそ今回のような人に聞かれたくない話をするのにおあつらえ向きだ。


 慣れた様子で席に腰掛けると、亜希はバーのマスターにラムソーダを注文していた。ハイボールの需要が高まる昨今、なかなか変わったところをついてくる。が、クールですっきりとした味わいは彼女のイメージにぴったりな気がした。ラム、というどことなくダークな響きがあるところも。


 寡黙で口の堅そうなハードボイルド風マスターは、その注文が飛んでくることをあらかじめ察していたようだ。これまた慣れた手つきでラムの入ったグラスにキンキンのソーダを注いでいく。

 出来上がったところで、ゆっくりとこちらに目を向けられた。おそらく注文はどうするのか聞かれているのだろう。


「あ、じゃあ僕も同じやつを」


 特に返事が返ってくることもなく。マスターは無言で新しいグラスを手に取っていた。


 ラムソーダが僕らの手元に届いたところで乾杯する。めでたいことなど何ひとつとしてなかったが、いちおう無事あの場から逃げ切れたということで。そういうことにしておく。

 グラスをコースターの上に戻した白川が聞いてきた。


「それで、ほかに聞きたいこととはなんでしょう?」

「報酬にかんしてだ」


 僕はうなずいた。


「さっき白川は復讐稼業をしているといった。つまり現在はそれで生計を立ているってわけだ。今回の件も例外じゃなくて。手を貸してくれるってことは相応の対価が必要ってことだろ?」

「まったくもってそのとおりです。ほんとはボランティアで、といいたいところなんですが。私も食べていかなければなりませんから」


 僕はカウンターに肘を突いた。


「単刀直入に、いくらだ?」


 慈善活動といえど、内容としてはグレーなところもあるのだ。危険な橋を渡るということは、それなりの金額を提示されるだろうと、ある程度覚悟は出来ていた。

 数十万か、それともひとつ桁違いとか……。


 ところが白川は首を振ってこういうのだった。


「今回にかんしてはお金は不要です」


 僕の眉根が寄るのがわかった。


「じゃあ僕に何を求めるんだ」

「代わりにといってはなんですが。受ける条件を出させてもらいます」

「条件?」

「それは……」


 白川の目つきは真剣そのものだった。


「青島さんには今後、復讐稼業を手伝ってほしいのです」

「なるほど。要するに、白川の元で働けと。そういいたいんだな?」


 彼女の手と足となり役に立てと。それが交換条件なのだ。

 しかしどうやら少し解釈の違いがあるようだ。慌てた素振りを見せていた。


「いえそんな。上からの立場ではありません。あくまで対等に。いうなれば相棒、のような関係性を築ければなと考えてます」

「相棒、か」


 響きとしては悪くない。しかも元トップアイドルの白川亜希がその相手であれば。頭を下げてでも引き受けたい男は山ほどいるに違いない。

 僕個人的にもまんざらではないと思ってしまった。


 白川が補足を入れてくる。


「もちろん強制ではありませんし、また条件を飲んでくださるにしても、成功報酬という形でかまいません。ターゲットに復讐を果たせなかったら、相棒の話を断ってくれても……ということですね」

「これまた好都合だな。でもそれだけに怪しい」


 うまい話には裏があるとよくいったものだ。

 代金の支払いもなく、失敗してもリスクを負う必要がない。詐欺師が用いそうな常套句だった。


「僕に対してなんでそこまでしてくれるんだ? ほかの依頼主と違い、どこがどう特別なのか」

「ずいぶんと疑われてるようですね」


 白川は困ったように笑っていた。と同時に、グラスの縁を指でなぞっている。


「そうですね、おもな勧誘理由は二点ほどあります。ひとつはちょうど男手がほしかった、というのが大きいです。内容が内容だけに、当然危害を加えられる恐れもありますから。少しでもそうしたリスクを減らせたらなと考えてました」

「これまでに実際被害にあったことが?」

「それはご想像にお任せします」


 ということはおそらくあったのだろう。辛い経験だからこそなるべく思い返したくないのだ。

 だいたい一度痛い目に遭わないと、男を雇おうなどという発想には至らない。我ながらよけいなことを聞いてしまったなと反省した。


「すまなかった。……それで、二つ目の理由とは?」

「これがもっとも知りたい答えなのかもしれません。青島さんに相棒をお願いしようと思ったそのわけ。それは私とほとんど似た境遇だったからにほかなりません」

「そうか。そういえば白川も嘘のスキャンダルでアイドル引退を余儀なくされたんだったな」

「ええ、そのとおりです。ですから非常に強いシンパシーを感じたんでしょうね」

「なるほどな」


 どちらとも納得のいく答えだった。であるならば、特別扱いを受けてもおかしくないかもしれない。

 詐欺師だのなんだの疑ってしまったことをすべて撤回する。

 白川亜希はやはり清廉潔白な元アイドルだった。


 僕は首を縦に振った。


「いいだろう。その条件と引き替えに、白川に復讐の協力を頼みたい」

「ほんとですか」

「ああ。どちらに転んでも僕にデメリットはないしな」

「しかしながらアイドルに戻れなくなる、という形にはなりますが……」

「べつにもう未練はないよ。一度僕のことを見捨てたファンや事務所に義理を返す必要もないだろうし。……たぶん白川のときも同じだったんじゃないか?」


 悪意がなかったにしろ見捨てた、裏切ったという事実には変わりないのだ。また居た場所に戻ろうとは思わないのがふつうではなかろうか。

 白川は苦笑を浮かべていた。


「そういえばそうでしたね。愚問をしてしまい、すみませんでした」


 だがそれはお互い様だった。水に流してしまうのが得策だろう。

 僕はひらひらと手を振る。


「それにむしろ感謝したいくらいだ」

「感謝、ですか?」

「どうであれ身の振り方を考えなければならない時期にきた、ありがたいビジネスの話だからな。食い扶持にも繋がるだろうし、何よりやりがいのありそうな良い仕事だと思った」


 実際白川がいてくれたおかげで僕も助かった。事情はさまざまあるだろうが、同じように力を貸してほしい人も世の中にはいるわけで、その一助になれたらうれしいと素直に思えるし、今回のような被害に遭った身としてはこれからの使命になりそうな気もした。

 なので決して悪い話ではなかった。


 白川が自分の胸に手を当てた。


「そういってもらえると、私としても非常にうれしいかぎりです」

「改めて契約成立だな」

「ですね。何卒よろしくお願いします、青島さん」

「こちらこそよろしく……でもその堅苦しい呼び方はやめないか? これから相棒になるかもしれない相手に」

「ではなんとお呼びすれば?」

「ふつうにヒロ、でいいよ」

「わかりました。ヒロさん」


 僕は手を振った。


「さん付けもいらない」


 少し間があった。言葉遣いも丁寧な彼女のことだ。おそらく異性を呼び捨てにする機会もこれまでになかったのだろう、ためらっているというより、恥ずかしがっているかんじだった。

 それでも白川は律儀な人だった。恥ずかしそうにしながらもちゃんと要望に応えてくれた。


「……ヒロ」


 僕からしたらご馳走様といったかんじだった。呼び捨てに対して笑顔で返す。


「改めてよろしくな、亜希」


 そうして白川改め、亜希と固い握手を交わしたのだった。


 これについては素直にめでたいことといっていいだろう。乾杯を仕切り直したいと思った僕は、空になったグラスを掲げてマスターにこういった。


「すみません。同じものをもう一杯」

「あ、私にもお代わりをください」


 寡黙なマスターは無言で棚から新しいグラスを二つ取り出した。

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