勇者の魔法

1

 連日、暇続きだ。

 私は店のカウンターに伏し、すやすやと眠るナーを撫でる毎日。退屈過ぎて、このまま溶けてしまいそう。


 店に閑古鳥が鳴いているというわけではない。むしろ、先月に比べ、お客さんは圧倒的に多い。ただ、私が過去へと飛ぶ機会が少ないのだ。

 そうなっているのには訳がある。


 何でも、魔王とやらが勇者によって倒されたらしい。


 ちなみに私は全然詳しくない。ここは異世界。前世のインターネットのように、そうたくさんの情報はすぐには回らないのだ。

 勇者が戦う地についていける者など限られているわけで、そもそも誰も勇者の功績を正しく理解していない。


 しかし、長年音沙汰の無かった勇者が、この度、魔王を討ち滅ぼして堂々と帰還したらしい。めでたい話だ。この街でも数日間はお祭り騒ぎだった。

 では、どうして魔王が倒されたことによって、『ノイアッシェ』にお客さんが増えたのか。


 理由は単純明快。多くの人が勇者に触発され、憧れたからだ。

 だから、ここ最近は魔法の買い取りではなく、販売がとても多い。しかし、魔法とはものすごく高価な代物。安価で売られているのは一部の生活魔法だけだ。それでも、おいそれと手が出る金額じゃない。

 大抵の人がここにきて、タリスさんから魔法の値段を聞いてそのまま店を後にしていく。

 需要に対して、供給が圧倒的に足りていないのが『ノイアッシェ』の現状。そもそも、一般庶民を対象としたお店ではないから、世間の浮足立った空気が落ち着くのを待つほかない。


 よって、タリスさんは忙しいけれど、私はとても暇なのです。


 ちりんと呼び鈴が鳴る。

 おや、困りましたね。今、タリスさんは買い出しに出ているのですが。


「いらっしゃいませ、ようこそ魔法店『ノイアッシェ』へ」


 そうは言っても、私はこのお店の従業員です。接客はしっかりしなければいけません。

 自慢の笑みでお客さんを迎え、私は思わず口角が歪にひくっと上がった。

 全身を黒ローブで隠し、口元にさえ烏色のマスク。ローブ越しに覗く剣の鞘だけが白金色でバランスが悪い。

 怪しさが限界突破している人を前に、私は思わず言葉を失ってしまった。


 まさか、タリスさんがいない時にこういったお客さんが来るとは。

 お客さんはローブから微かに覗く黒曜色の瞳で店内をじっくりと見回す。


「ここが噂の店か。うん、とても良い雰囲気だ」


 マスク越しに発された声はとても優しく、思わぬ誤算だ。やっぱり、見た目で人を判断するのは良くない。


「当店のご利用は初めてですか?」


「あぁ、噂は耳にしているが、良ければ教えてもらえるかな。――あっ、その前に、このお店って衛兵とか、貴族とか来ない?」


「お客様として貴族の使いの方が来店されることはございますよ」


「そうか、どうしたもんかな……」


 顎に手を当て、考えるように視線を下げるお客さん。その様子を見て、私はナーを呼び出す。


「ナー、表の看板をひっくり返してきてもらえますか? 念のため施錠もお願いします」


「ナァー!」


 怪しい人……では依然あるのだけれど、多分、危ない人ではないと思う。このお店で働き始めてから、私は人を見る目が成長しすぎている。

 そもそも、このお店を悪用しようと考える人はわざわざ、怪しい者です! みたいな見た目では来店しない。当たり前だ。


「すまない……。正直、助かる」


「いえ、よくあることなのです。魔法を秘匿されたい方も多いですからね」


 ローブ越しの瞳が微かに細くなる。

 そして、お客さんはナーがドアを施錠したのを確認すると、フードとマスクを煩わしそうに外した。それだけでも、普段からこういった服装というわけじゃないことが伝わる。

 不思議な気配を纏った青年だった。硝子玉のような透き通った瞳と、この世界では珍しい真っ黒な髪。整った顔立ちから視線を剝がすように刻まれた首元の大きな傷痕。斜めに斬られたことがよくわかる痛々しいものだ。

 私がその傷に目を奪われていることを察したのか、彼はそっと首に手を当てる。


「これは先日負ってしまったものでね。治癒魔法で傷を塞いでも跡が残ってしまったんだ」


「す、すみません。じろじろ見てしまって……」


 すると、彼は可笑しそうに声を立てた。黒髪に黒目ということもあって、ちょっと懐かしさがこみ上げる。


「いいさ、綺麗な人に見つめられて嫌がる男はいないよ。それよりも、お店の説明をしていただけるかな、店主さん?」


「あっ、そ、そうでした! って、いや、私はただの店員でして……」


 そういや、扉閉めちゃったけど、タリスさんどうしましょうか……。あの人、確か鍵持っていかなかったような。

 ま、いいか。私はとりあえずお仕事をするとしましょう。

 彼に一通りの内容を話す。噂を聞いていたということもあって、特に口を挟まれることもなかった。


「なるほど、伺っていた通りの店のようだ。ならば、僕の魔法を買い取っていただきたい」


「買い取りですね。それですと店主の許可と、私の方による簡単な視察を行わせていただくことになります」


「もちろんだ。何でも訊いてくれていいし、視てくれていいよ」


 彼は自慢げに腕を広げる。

 まあ、そうなりますよね。大丈夫です。私が視るのは過去のあなたですので。


「助かります。それで、どのような魔法をお持ちなのですか?」


「あぁ、自己紹介がまだだったね。僕の名前はハヤシダアキト」


 いや、名前を聞いたわけじゃないのに。というか、ハヤシダアキト……?


「……はい?」


では名前を反対から読ませて、トキアと名乗っている。それならば、この世界でも違和感はないだろう?」


 あぁ、もしかしなくとも、そういうことだ。

 考えたことが無かったわけじゃない。でも、まさかこんな場所で出会うなんて。


「あなたって……」


「うん。よろしくね、同郷の人」


 やっぱり、彼は日本人だ。ただし、その容姿、そして名前。つまり、アキト――トキアさんは転生の私と違い、転移というものに当たるのだろう。道理で、彼に懐かしい面影を見るはずだ。


「マ、マナといいます……。しかし、どうして私が転生者だとおわかりに……?」


 問題はそこだ。当たり前だが、私は前世の記憶を持ち合わせているだとか、違う世界のことを知っていますなんて、誰にも話していない。そんなことを話せば、頭のおかしい人だと思われてしまう。


「僕は人の魂を見ることが出来るんだ。マナさんの魂は、明らかに年相応のものではないからね。転生してきた地球の人だと思ってさ」


 トキアさんの話では、数こそ多くないものの数年に一度くらいで、転生者か転移者と出会うことがあるらしい。

 意外といるものなのですね。


「しかし、トキアさんってどこかでお名前を聞いたことがあるような……ないような……」


「恥ずかしい話だけど、一度は耳にしているかもね」


 うーん……あっ、思いだした。

 同時に今回調査をする魔法もわかってしまった。


「えっ、もしかして……」


 トキアさんは照れくさそうに頭を掻く。

 やれやれ、どうやら暇な日々は終わりのようです。


「僕が最近魔王を倒した――勇者ってやつだね」


 ここは異世界中古魔法店『ノイアッシェ』。

 いつも、いっつも、癖の強いお客様がご来店します……!

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