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この一か月で得た知見その三、面倒事に首は突っ込むな。こっそり、眺め見るべし。
「仕方ないですね。残業と行きましょう」
「ナァー……」
気怠そうな反応。ナーには申し訳ないですね。しかし、流石に見過ごせない状況なのです。
男性はきょろきょろと周りを伺い、見張りが席を外していることを確認すると、こっそり門をくぐって林地へと足を踏み入れた。
「追いますよ」
「ナァー……」
玉座に座っていたということは、つまりあの男性はこの国の王様ということだろう。そんな重要人物が、こんな夜更けに護衛の一人も無しにいるのだ。何かあるに決まっている。
外壁を飛び越え、林地へと踏み入る。いや、浮かび入る。
そこはひんやりとした清涼な空気で満ちていた。まるで、全く違う場所へと急にワープしてしまったみたいだ。明らかに、空気の質が外壁を境に変わった。
さて、王様はどこに行ったのでしょうか。
もちろん、林地の中は真っ暗だ。木々に阻まれ、ナーにも見つけられないらしい。
すると、前方から小さな明かりがぽうっと浮かぶ。
「こっそりですよ。お願いします」
小声でナーに頼む。草木を上手く避けて、音を立てずに光源へと近づくと、やがて小さな話し声が聞こえてきた。どうやら、誰かと密会しているようだ。
地面に降り立ち、盗み聞く。
「ようやく会えたな。五日ぶりだろうか……。相変わらず、お前は美しい」
なーるほど……。どうしましょうか、急にものすごい罪悪感がこみ上げてきました。
流石に男女の逢引きに付き合う必要もないだろう。私からすれば虚しいだけだ。
その場を離れようとしたその時、私は相手の女性の声を聞いてピタッと動きを止めた。
「リンデルも相変わらず世辞が上手だ」
凛としていて、明瞭度の高い声色。私はその声に聞き覚えがある。
大木の陰からこそっと見る。やっぱり、そうだ。
「これは世辞などではない。本意だぞ――ネメリス」
「ふんっ、会って間もない頃は散々な物言いだったではないか」
一人のダークエルフと一人の人間は、肩を寄せ合い、互いを見つめ合っていた。
「あ、あれはその……いわゆる照れ隠しだ。本当は一目惚れだったのだ」
「ふっ、まあいい。今日も会いに来てくれたことに免じて許そう」
……いや、いいんですよ。存分にいちゃついてください。私としては、ネメリスさんを見つけられて万々歳なのですから。
そうですとも。決して、羨ましいとか思っていませんよ。これっぽっちもです。
感覚すらない脚に触れる。
こんな脚では、恋愛なんて出来るはずがありません。前世でも、この世界でも。不完全な私を愛してくれる人など、いないのでしょう。
感傷的な思いを切り離し、冷静に考える。
酒場の男性たちから聞いた話では、この街はダークエルフの森を解体してつくられた場所らしい。それこそずっと昔の話、互いに戦乱に明け暮れていた時のことだとか。
つまり、人間とダークエルフは争い合い、勝利した人間がダークエルフの棲み処の一部を奪い取ったということだろう。
そして、二種族の禍根は今でも根強いらしく、互いに接触を禁止し合っているほど。お隣さん同士なのに、ものすごく仲が悪いのだ。
そんな状況で、彼らが逢引きに会っていると。何だか、話が見えてきたような気がする。
「それで、この前話したこと、考えてきてはくれただろうか……」
真剣な眼差しでネメリスさんを見つめるリンデルさん。
本当、盗み聞きなんてしてごめんなさい。
「あ、あのことは……。すまない。やっぱり無理だ……リンデルと婚姻は結べない……」
まぁ……!? そこまで発展したお話なのですね。
「どうしてだい!? 僕は絶対に君を幸せにしてみせるよ!」
「……リンデルは王だ。そして、私はダークエルフ族の族長の娘。ゆくゆくはその座を継ぐことになる」
「人間とダークエルフはわかり合えるよ。僕たちがその証じゃないか!」
若いですね。きっと、ネメリスさんはもっと大きな話を、現実の話をしている。リンデルさんの言いたいことはよくわかる。しかし、凝り固まった風習を正すことほど面倒なことはない。
「それこそ、暴動が起きるぞ。カシェットにも多くの過激派がいるのと同様、ダークエルフの中にも隙あらば戦争を仕掛けようとする馬鹿者も多くいる。そんな奴らが私たちの婚姻など、受け入れるはずがない……」
「それは……」
「お前は私たちのために民に血を流させると言うのか……?」
これは完全にネメリスさんが一枚上手ですね。
しかし、そう言いながらも寄せた肩を離せないことが、ネメリスさんの心情をしっかりと現している。彼女もまた、本意ではリンデルさんと一緒なのだ。それを互いの地位と環境が邪魔をする。
いっそのこと、責務を投げ出して二人で駆け落ちが出来るのなら、どれだけ幸せなのでしょう。
「――話、長い……」
「ナァー」
「そうで――えっ……?」
真横を振り向く。そこに少女がいた。あの変な果実を手に持ち、白い角をローブに隠したパンダさんだ。
「――ッ!?!?」
とっさに大きな声が出そうになるのを、パンダさんの手が私の口を塞いで阻止する。しかし、その際に足元の草がわずかに音を立てた。
「――誰だ!?」
ネメリスさんがばっと立ち上がる。その矢のような瞳がまっすぐにこちらの方角を向いていた。幸い、姿は見られていないようだけど、これは非常にまずい。
どうしましょう……!? バレるのも時間の問題です……。
「ナァー!」
不意に、ナーがいつものように声を鳴らす。
「……なんだ、猫か」
ネメリスさんはほっと胸をなでおろし、再びリンデルさんの横に座る。
なんて古典的なのでしょう……。いや、本当に猫なんですけどね。
「ど、どうしてここにパンダさんがいるんですか……!」
超小音で尋ねる。
「……たまたま」
「そんな馬鹿な……」
相変わらず、神出鬼没のよくわからない少女だ。何か怪しく感じるのは彼女が魔族ということだけじゃないだろう。だって、偶然にしては出来過ぎている。
「ぼ、僕は本気だ!」
リンデルさんの大きな声で意識が引き戻される。どうやら話が進んでいたようだ。彼の手にはどうしてか、今まさにパンダさんが横でむしゃむしゃと食べている果物とまるっきり同じものがあった。
「これはエルフ族から取り寄せたウルの実だ。一口かじれば、龍すらも卒倒する猛毒……」
えっ? それ本当ですか……?
チラッとパンダさんを一瞥する。すると、彼女は得意げにその黒紫色の果肉を口に運ぶ。
うわぁ……。
「なぜ、そんなものを持ってきた」
「……僕はネメリスを愛している。ネメリスはどうだい?」
「そ、それは……。私だって、」
二人が居たたまれなくなってきました。悲しいお話ですね。
「なら、僕はネメリスに命だってかけるよ。その証だ。ズルいのはわかっている」
長く息を吐き、リンデルさんが大きく口を開ける。その瞬間、私は飛び跳ねるくらい焦った。今、まさに猛毒を食らおうとしているのだから。
「よ、よせっ!」
ネメリスさんが止めようとするも、既にリンデルさんの歯はウルの実の皮に触れていた。
「だ、駄目だ……。そんなの駄目だぁあっ!」
ネメリスさんの手がウルの実に触れる。
刹那、魔力の気配がした。ネメリスさんの手とウルの実が鮮やかな紫色に輝く。暗闇を切り裂く、鋭い光だった。
そして、リンデルさんが意を決してウルの実を大きくかじる。
思わず立ち上がってしまいそうになり、パンダさんに袖を引かれた。彼女はまさに猛毒の実を食らったリンデルさんをぼんやり見ているに過ぎない。
「大丈夫。もう、あれ毒ない」
私がかがむのと引き換えに、パンダさんがすっと立ち上がる。
「パンダさん……?」
彼女は私を見下ろし、小さく笑みを零す。
「また、会おう」
そう言い残し、彼女は木々の奥へとぺたぺた歩いて消えてしまった。
またですか……。
相変わらず、おかしな魔族だ。しかし、やっぱり悪いようには見えなかった。
実際、二回とも私は何もされていないわけですし。
「ナァー」
ナーが鼻を手でくしくしと搔いている。この距離でも、ナーにはウルの実の臭いが伝わるのだろう。
視線を戻すと、リンデルさんはひどく顔を歪めていた。しかし、それだけだ。倒れるとか、嘔吐するとか、そう言ったことは起きていない。
そこでようやく、私は自分がここにいる意味を思いだす。
「そうか、あれがダークエルフの秘魔法なのですね」
触れたあらゆるものを浄化する魔法。それがダークエルフの秘魔法の正体だった。だとすると、この神聖さすら感じる空気も納得がいく。
間違いない。ネメリスさんはウルの実に対して魔法を行使したのだ。
「何をしているんだ。この馬鹿者……! ウルの実を食べるやつなんて、聞いたこともないぞ!」
ネメリスさんの瞳が手元の輝きに合わせて潤いを浮かべる。
「これが君の答えということでいいのかい?」
「それは……」
ネメリスさんは黙り込んでしまう。きっと、今も心の内で激しく葛藤しているのだろう。その様子を見て、リンデルさんが口を開く。
「なあ、ネメリス。東の大陸には魔法を売ってくれるおかしな店があるらしい」
……おや? ここで『ノイアッシェ』のことが話題に上がるとは予想外です。
「それがどうかしたのか……?」
リンデルさんはネメリスさんの肩に手を添え、意を決したように言う。
「――二人で、世界を騙さないか……?」
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