”冷厳なる”
先程の女――ヴィクトリアに教えられた通りに、カロッツは地下通路を真っ直ぐに進んでいた。薄暗いその通路は、土をくり抜いたままの状態で、もし何も知らないままここに来ていたら、天然の洞窟と勘違いしそうである。
(つまりここに人足を投入することはなく、あのヴィクトリアのような優秀な魔法使いの手でくり抜かれた空間と考えるべきだな)
彼女がうっかりと空けた大穴は、相当先まで続いているように見えた。そういう芸当が可能な者が、今回の事件の裏に潜む勢力には複数名いるということになる。
(……そしてこの先に待ち受ける者も、おそらくは彼女と同等の実力を持つだろう)
肌に突き刺さるような凄まじい魔力が、道を進むほどに大きくなっていく。既に向こうはこちらの存在に気づいているのだろう。
「勝てるか、いや……勝つぞ」
1年の旅の中でも戦闘の機会は多くあったが、これほどまでの圧はついぞ感じたことはなかった。カロッツは弱気に支配されそうな自分に喝を入れ、その闘志を漲らせた。
行き止まりまで辿り着けば、洞窟のような通路には不釣り合いな木製の壁と片開きの扉があった。ドアノブを回し静かに引き開ければ、中は薄暗く生活感の全く無い部屋であった。
奥には奇妙な祭壇が置かれており、そこから左に視線を移せば上から下まで「白」の印象を与えてくる男がいた。当然、莫大な魔力の持ち主もその者である。
男は閉じていた目を開くと、カロッツの姿を見つめ、その存在を確かめるかのように口を開いた。
「来たか、ドラゴノート」
「……何者だ、貴様」
男はカロッツの問に「ふむ」と顎に手をやって、数瞬の思考の後に答えた。
「まあ、名くらいは教えても良いだろう」
彼の左の掌は天に向けられ、そこには圧縮された冷気の塊が渦巻いていた。
「我が名は”冷厳なる”クルエル・バーンネス。この名を冥土の土産に持って行くがいい」
無機質な言葉とともに、冷気の塊が放たれた。それは通過した空間にある水分をも凍結させながら直進し、さながら小さな彗星のようにカロッツに向かって高速で飛翔する。
(無詠唱、どころか魔法名すら唱えないだと!?)
それその物の回避は容易かったが、カロッツはその呪文の発動方法に驚愕していた。それほどまでに魔法名を唱えずに、魔法を行使するというのはイレギュラーな行為なのである。
一瞬、カロッツはそれに気を取られた。それ故に彼はこの盤面で1手遅れることとなった。
「
クルエルを中心に、大量の氷の矢が生成され放たれる。直進的な軌道だけでなく、曲射のように変則的な軌道も織り交ぜられたそれは、物量と共に回避の困難さを物語っている。
(この狭い室内で回避を続けるのは後手に回り続けるだけか)
彼は防御に回ったのか、いや違う。
「おおッッ!!」
矢の雨が彼を撃ち貫く前に、カロッツはその爆発的な脚力を使い、一気にクルエルの下へ飛び出した。多少なりとも氷の矢が皮膚を掠るが、彼は気に止めることもない。
「なに……?」
先程の遅れは、この奇襲で取り返した。至近距離で交錯する両者の視線、激突はその刹那に起こった。
まるで何かが爆発したかのような轟音、そして魔法力の衝突によって引き起こされた衝撃が、ろくな彩りもなかった室内を更に灰色にした。
「……これほどとはな、カロッツ・ドラゴノート」
「ぐぅっ…!」
粉塵晴れ渡り見えたその結果は、右腕が氷に侵され苦痛に顔を歪めるカロッツと、彼を見下ろすクルエルの姿であった。
「素晴らしい肉体強度と魔力操作、そして何よりもその胆力には畏れいる。それらにおいて、貴様に並ぶものはそうは居まいよ」
蒼氷の瞳には僅かな驚愕の色が混じっており、その言葉に嘘はないようだ。だが彼は「しかし」と続け、その色を消した。
「やはりろくに魔法を使えないという欠点はいかんともしがたい。それがお前の敗因だ」
「は、はは……」
勝負ありの宣告に、カロッツは愉快げに笑った。心底その笑いの意味がわからず、クルエルはわざわざ彼に問い質してしまう。
「何がおかしい?」
「欠点か、そうだな……そうかもしれん」
確かに己は非才の身であろう。才能豊かな家族に囲まれてたった一人、己だけがろくに契約もできやしない。
「だが、それがどうした」
「貴様っ……!」
一歩踏み込み、無事な左腕でクルエルの首襟を掴む。彼は攻撃を封じようと魔法力を増幅させるが、この間合いではカロッツのほうが圧倒的に疾い。
「俺は!この身でなお!父上をも超えて見せる!!」
大猿と比べればずいぶんと軽い体を、渾身の力で天井目掛け投げ飛ばした。
「ぐ、ぐうぅ……!」
クルエルの体は木壁やその上の土層をも突き抜け、森の上空にまで飛ばされた。
「やはり、先程の強大な魔法のせいで、咄嗟の反撃ができなかったようだな!」
同じく空中に追いついたカロッツが、この状況に陥った原因を看破した。クルエルがカロッツの奇襲に反射的に繰り出した攻撃は、本来十分な溜めが必要な魔法であった。
氷矢によって動きを封じられた相手に対して、万全なるトドメとして放つはずだったのだろう。だが、その予定は脆くも崩れ去り、溜めをせず放った超呪文は彼の魔法力を一時的に枯渇させた。
「喰らえ、俺が唯一使える魔法の、その威力をなぁ!」
右腕の負傷のせいで完璧なクラッチは掛けられないが、無理なサイズ差がある相手でない故に、彼の奥義は先の大猿戦に比べて、本来の形に近づいていた。
首のみの固定であった両足のクラッチは、相手の脇から脚を差し込むことで、肩部から上の締め上げを可能にし、左腕で捕らえたクルエルの左足と共に強烈な逆ブリッジを体現していた。
(これは、このままでは、まずいっ!)
天井をぶち抜かれたダメージと、このクラッチの威力の凄まじさたるや。彼は思わず吐血し、危機感など感じないと思わせる彼の顔には、はっきりと焦燥が滲み出ていた。だが、この状況に陥ってはどうすることもできない。
「
背に感じる膨大な質量こそが、この奥義の威力に直結するのだろう。クルエルは一つの覚悟を決めた。
「
必殺技の掛け声と共に、クルエルの体が腹部から強烈に叩きつけられる。
手応えは、あった。
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