男爵領にて
ここはベントン男爵領・ホーディア城。領主の寝室では今、寝たきりの男と、その者の看病に勤しむ男が居た。
「いつも世話をかけるな、イザークよ」
咳き込みながらベッドに臥せっている彼こそが、ベントン男爵である。既に病に罹って長いのか、顔はやつれ手足はやせ細っている。
「何をおっしゃいます。閣下のお支えをするのが臣の務めなれば」
イザークと呼ばれた男が応えた。彼は男爵が一番に信頼している腹心であり、現在は男爵領の運営を一手に担っている。
「ディアンベ閣下にも、マクシミリアン閣下にも、この1年お目通りすることが叶わなかったな……」
「ちゃんと手紙を通じて、貴方様の病状を伝えてありますので、先方もご理解いただけているはずですよ」
イザークの言葉を聞いて男爵は安心したのか、目をつむりそのまま眠ってしまった。その様子を確認した腹心は、ふうと一息ついたあと静かに部屋を出て、表情を一変させた。
「……病気の仔細など伝えているわけなかろう。なぜそんなことをせねばならんのだ、全く!」
そう、先ほど男爵に伝えたことは全て嘘だ。主を支えるのが臣の務めという言葉も、手紙を通してディアンベ伯爵たちに連絡をしたというのも、口から出たでまかせにすぎない。
「くそっドラゴノートの連中に放ったきり、刺客から連絡が来ぬぞ!」
彼の目下の悩みは、カロッツらが自身に近づきつつある、ということだ。自身の存在を隠蔽している以上、イザークの身元はまだ判明してないはずだが、着々と迫ってきている彼らの存在自体が不気味であった。
彼は「高い金を払ったというのに」とブツクサ文句を言いつつ、掃き清められた廊下を大きな足音を立てながら歩いていく。
「それもこれも、あの強盗団の馬鹿どもが仕事をしくじるからだっ!くそ!」
自室にたどり着いたイザークは、小声で叫ぶという器用な芸当を発揮しながら、自身を苦境に突き落とした元凶たる連中に恨み節を吐いた。
苛つきが収まらぬ中、ノックの音が響く。「誰だ!?」と語気荒く尋ねれば、ノックの主はただ一言「私です」とだけ応えた。
「お前か……入れ!」
「失礼いたします閣下」
入ってきたのは、雪のような白い髪に蒼氷の瞳を瞬かせる男だった。その表情からはろくに感情が読み取れず、無機物的な印象を人に与える。イザークが何用かと問えば、その男は現在の状況を説明し始めた。
「連中はヴァルメッドにまで到着した後、マクシミリアン公爵と謁見するために入城、以降の動向はつかめておりません」
「城から出てきてはおらんのか!」
首を振って男は答えた。それすらも分からない、ということだろう。ここからヴァルメッドまでは馬車で2,3日ほどの距離だ。ディエゴの同行からして、一行の進路がまず強盗団のアジトだと予想したイザークは男に命を下した。
「ええい、
「承知いたしました。私はそのままそこで防衛の指揮をとればよろしいので?」
「ああ、その通りだ!!」
男は委細承知しました、とだけ告げてそのまま部屋を出た。何を考えているかよく分からない男だが、使える手駒ではある。
「絶対に私までは辿り着かせてやらんぞ、ドラゴノートォ……!」
自身の悪事など省みることなく、イザークはこの苦境をもたらした青年に強い憎悪を燃やしていた。
◇
ヴァルメッド近郊、男爵領に向かう道の中で彼ら4人は馬車の中にいた。
「まさか公爵サマが馬車を貸してくれるなんてな、おかげで楽じゃねぇの」
豪奢な椅子に深く座りながらディエゴが言った。そう、この馬車は乗り合いや時間貸しなどの民間業者の物ではなく、マクシミリアン公爵が持つ馬車なのだ。
「公爵としてはもっと大々的な支援をしたいと仰ってくれたが、お気持ちだけ頂いたよ」
あの方の立場もあることだしな、とカロッツは遠ざかるヴァルメッドを車窓から眺めつつ呟いた。
「反中央主義の多い西方を取りまとめる立場ゆえ、あまり我々に手を貸しては公爵の立場が危うくなりかねませんからね」
レイナが揺れる馬車の中でも美しい姿勢を崩さず主の言を補足すると、ミリアリアは自身の知識を総合し、確かめるように質問した。
「ええと……では、マクシミリアン公爵は王都の政策に賛成してるのでしょうか」
「西方諸侯と王都側の間をどうにか取り持って下さってる方ですね。正直、立場関係なく我々は彼に頭が上がりません」
事実、彼がいなければ王国は二分されていただろう、だからこそ中央側の勢力は彼を厚く遇し、西方は彼を敬うのだ。
ぼんやりと話を聞いていたディエゴも「上には上の苦労があるもんだな」としみじみと感想を漏らした。
「しかしお陰で、男爵領に接近しても気付かれにくくなった」
「城からこの馬車に乗ったので、絶えず感じていた監視の視線も途切れましたね」
レイナのその発言に頷くカロッツ、その二人のやりとりを見て、ミリアリアが栗色の毛を揺らし「私たち監視されてたのですか!?」と驚愕の声を漏らした。
「ええ、相当な手練れでございました。流石に城内までは来れなかったようですが」
自身は全く気付かなかった存在を察知した二人に彼女は尊敬の眼差しを向けたあと「そういえば」とディエゴにもその存在について気付いていたかと問うてみると。
「……野盗の長ってのはそういうのに気付くのが仕事じゃねぇのよ」
と、渋い顔で苦しい言い訳をするのみだった。
さて、ヴァルメッドを発ってから2日、一行は男爵領の関所が遠目に見える位置まで到達していた。馬車を操る御者が不審そうに「妙ですね……」と漏らし、その一言にミリアリアが反応した。
「あの、どういうことなんでしょうか」
「男爵領の関所はかなり前に廃止されたはずなんです、なのにあの様に人の気配がある」
目を凝らしてみれば確かにぼんやりと人工的な光が見える。現在は日が暮れだした頃で、夕闇時も活動するなら明かりを灯しだすが、廃止された関所でそれが必要とも思えない。
「復活させたんでしょうね、男爵に成り代わる者が」
御者はカロッツの推測に首肯した後、馬車を関所から見えない位置に止めてから、一同を見渡して質問した。
「いかがしましょう、公爵の御旗を掲げている馬車なので、検閲を押し通ることもできましょうが」
「どの道いつまでも馬車に乗っているわけにはいかないから、俺はここで別れるのが良いと思う」
まず最初にカロッツが答えた、レイナは異論が無いようで目をつむり黙したままで、そこにディエゴが自分の意見を差し込んだ。
「俺も基本的にはそれでいいと思う。が、審問官の嬢ちゃんは大丈夫なのか?」
「こう見えて、体力はあるんです。大丈夫ですよ!」
ふんすと胸を張って、己も一行についていくと宣言するミリアリア。一同の同意を得たことで、カロッツは改めて御者に関所の前で別れると伝えた。
「承知いたしました。では、私はこのまま関所を通りましょう。男爵領に人を迎えに上がったと伝えれば、関所の者共もうるさく言いますまい」
それで追っ手の目を欺ければ皆様にも好都合でしょう、と御者は少々意地の悪い笑みを浮かべた。カロッツは彼の心遣いに深く感謝を告げ、再会を誓った。
「ありがとうございます。またお会いしましょう」
「ええ、吉報をお待ちしておりますよ」
かくして、カロッツら4人は無事に男爵領までたどり着き、そして強盗団のアジトを目指すこととなったのである。
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