非才の公爵家長男、超重力鍛錬で未来を掴む

とれりか

修行の終わり

 生まれは人より遥かに恵まれた。


 王国守護を司る公爵家の長男としての出生は得難きものだろう。その上、その家柄にもかかわらず、暖かい家族にも囲まれた。


 だが、俺には魔法の才能がなかった。


 一般的に、魔法は呪文ごとに契約をして使える素地を手に入れる。そこから更に呪文を扱えるようになるかは本人の努力次第だ。


 しかし、俺はその素地を手に入れることすら叶わなかった、たった一つの呪文を除いて。


 自己重力強化呪文グラビライズ


 己のみを重くする魔法。使い出がないではないが、武門の後継としてはあまりに頼りない才を持って生まれたのが、俺だ。


 父もそんな俺を案じてくれたのだろう、幼い頃に問うてくれた。


「将来、ドラゴノート家当主の座を得るべく険しき道を往くか、あるいは弟妹に任せ別の道を往くか」


 そしてどちらの道を選ぼうとも、父として当主としてお前を立派に育て上げる、とも。


 その言葉に幼心ながら、いたく感動した俺は直ぐに答えた。


「どれだけ険しくともこの家を継ぎ、家と民をお守りいたします」


 その答えに父がどのような思いを巡らせたのか、俺にはわからない。

 けれど、俺の目をまっすぐに見て、ただ一言だけ「任せよ」と言ってくれた、父の暖かさは今でも覚えている。


 それから10年――。


 ◇


 人が魔力を練り上げ魔法を扱うように、動物の中にも魔力を本能的に使いこなせる個体がいる。


 王国の西方、大山脈に連なる山の奥深くで黒髪の青年が相対している動物もまた、その特異な個体であった。


「さて、依頼の対象というのは……お前だな」


 外見的な特徴で言えば猿であろう。しかし魔法力の影響で、その体長は5mに及ぶ。対して青年……もといカロッツ・ドラゴノートは1.6mほどで、そのフィジカル差は絶望的に思える。


 大猿は生まれ持ったその才覚で山々を荒らし回り、引いては人間社会にすら害をなそうとしていた。その話を聞きつけてカロッツが大猿退治にやってきたのだった。


「ヴルルルルル……」


 獰猛な唸り声をあげて、赤毛の大猿はカロッツを睨みつけている。


「縄張りにずけずけと入ってきた無礼者を許さない気持ちはわかる」


 群青色の武道着に身を包んだカロッツもまた大猿を見据え、拳を構え戦闘態勢をとる。


「だが、お前をほうっておくわけにはいかないんだ」


 怒りとともに振り下ろされる大猿の拳、これのみで彼は山の全てを服従させた。眼の前の不愉快な侵入者も、なんてことはなく排除できるだろう。


 しかし大猿の予想は現実とならなかった。あろうことか、この不届き者は絶対の自信たる拳を、同じように振るった片方の拳のみで受け止めていた。


「…ッ凄い力だな!」


 だが、と彼は続けると、身を屈めて素早く大猿の懐へ飛び込み、その勢いのままに魔法力を込めた左拳を敵の腹に叩き込んだ。


「付け入る隙はある!」


 衝撃に大猿は思わず後ずさる。彼にとっては理解の及ばぬことの連続だ、攻撃を防がれただけでなく、逆に自分が傷を負うなど。

 そう怯みかけた。が、しかし大猿は吼えた。


「ガ、アアアアアア!!!!」


 己こそは王者である。ならば、全力をあげて目の前の敵を排除しなければならない。その目には怯えではなく、闘志が宿っていた。


 カロッツもまた瑠璃色の目を見開き驚嘆していた、修行を重ねた自身の拳の威力には自信があった。だが大猿は傷こそ負ったものの、依然としてとしているではないか。


 両者ともに確信する、己の最も信頼の置ける技でしか目の前の敵は倒せないと。


 ずしん、と大地が揺れた。地震か、いや違う。あの大猿が渾身の力を込めて大地を鳴らしたのだ。


「ぐうっ」


 一瞬、カロッツがみじろぐ。その隙を見逃さずに大猿はその身を弾丸に変えてタックルをぶちかました。その威力は木々を突き破ってなお減衰せず、彼を大岩に叩きつけた。


「がはっ」


 大猿は油断することなく追撃を加えるべく右腕を振りかぶったが、岩から生じる異音から腕を止めてしまった。ビキビキと岩が鳴ったかとおもえば、磔にされたカロッツの周囲にヒビが走っていくではないか。


「お、おおおおおおおっっっ!!!!」


 気合を込めた咆哮と共に、大岩が砕け散った。


 埒外の光景に大猿は一瞬の迷いを生んでしまう。その瞬間をカロッツは見逃さずに大猿の腕を取ると、背負投げの形で天へ投げ飛ばした。


 瞬時に自身も跳躍し空中で大猿に追いつき、カロッツはまず大猿の両足首を自身の両腕でつかんだ。そしてえびぞりにする形で大猿の体を曲げていき、両足で首を締め上げ、空中で全身のクラッチをかけた。


自己重力強化呪文グラビライズ、オン!!」


 ずしり、と背中の感触がとてつもなく重くなった。大猿はなんとかこの固定を外そうともがくが、最も外しやすそうな首の固定すらガッチリと固まって解ける気配がない。


「喰らってもらうぞ、この技を!」


 迫る地面、極まる技。


 カロッツは幼少の頃からの修行の成果を今、大猿に向けて叩きつける。


山窮水尽さんきゅうすいじん落としー!!!」


 その威力は大猿のタフネスをもってすら耐えることは敵わなかった。衝撃が意識を刈り取り、その巨躯は大地に倒れ伏した。


「……勝った!!」


 カロッツは天高く腕を突き上げ、自らの勝利を宣言する。

 今ここに、闘いの決着はついたのだ。


 


 暗闇の中、肌を撫でる風を感じた。パチパチと何かが弾ける音が聞こえる。


 意識が覚醒していく内に、じんわりと体を暖める温もりを感じる。まなこを徐々に開けていけば、そこには焚き火の側に座り込むカロッツがいた。


「おお、起きたか」


 彼は先の死闘が嘘のように穏やかに語りかけた。大猿はまだダメージが残っているのか、あるいはカロッツの雰囲気に毒気を抜かれたのか、寝そべったまま動かない。

だがその表情にはありありと疑問が浮かんでいることがわかる。


「なんで殺さなかったか、わからないみたいだな」


 大猿がカロッツの言葉を理解しているかはわからない、だがそれでも彼は焚き火の方を見ながら続けた。


「もったいないからさ、お前の強さが。お前を殺してしまったらお前の強さも、そのために犠牲となった生命も無駄になってしまう」


 視線が焚き火から大猿に移った。両者は真っ直ぐと見つめ合っている。


「だから俺はお前を殺さない。だが、これからも同じように生きることは許さない」


 そう宣言し、そして彼は大猿に告げた。真剣勝負を制した勝者としての命令を。


「奪う以外の力の使い方を探せ」


 言いたいことは言ったとカロッツは立ち上がってその場を後にし、残された大猿は、ただ一匹静かに焚き火を見つめていた。





 大猿と戦った山からほど近い場所にある辺境の田舎町にて、カロッツは明け方、酒場の門をくぐった。中には酔いつぶれた客が転がっていたり、まだちびちびと酒を飲んでいる者がいたりといった様子である。


「マスター、帰ったぞ」

「おお、帰ったか坊主」


 筋骨隆々の、酒場の店主にしてはいささか筋肉過剰な見た目の男が、カロッツを出迎えた。カロッツは渋い顔を作って、坊主はやめてくれと彼に返した。


「つってもまだ成人の儀も迎えてねぇんだろ?坊主だよ、坊主」


 全く改める気のない店主に訂正する意欲も失せ、カロッツは貼り紙でいっぱいの掲示板を見てこぼした。


「依頼の数は減ってないみたいだな」


 この酒場は飯や酒を供するだけではなく、日雇いの仕事を集めて公開するという業務も行っている。今回の大猿の件も、街からの依頼として酒場を通してカロッツに紹介されたのだ。


「まあな。別に掃除を手伝ってくれだの薪割りやってくれだのくらいしかねぇからいいんだけどよ」


 カロッツが受けたような依頼は、この西方地域にあってはほとんど無い。

 昨今の国内情勢の都合で各領主に最低限の軍備しか残されていない状況と、大猿の出現が重なってしまい、今回の依頼につながったのである。


「じゃ、そろそろ大猿の件について話してくれよ。どうにかしてくれたんだろ?」


 少し急かすような店主の言葉に、カロッツは一つ頷いてことのあらましを説明しだした。


「――と、言うわけで大猿は大人しくなったはずだ」

「……生かしたってのはちと甘すぎる処置なんじゃねぇか?」


 やはり仕事として紹介した身としては気になるところだったようで、店主は軽く顔をしかめた。カロッツもそれは織り込み済みだったようで、まあまあと手で制した。


「知性を感じたというか、なんとなくこっちの言う事聞いてくれそうだったからな。駄目だったら改めて成敗にいくさ」


 戦闘中、かの大猿は力任せの攻撃だけでなく、工夫をこらして戦っていた。そして焚き火を囲んでいた時も、彼の目は理性的に見えた。


「まあそこはお前さんの言葉を信じるけどよ」


 ひとまずカロッツを信じてくれたようで、店主は少しの沈黙の後に「少し話は変わるが」と切り出した。カロッツも黒髪を揺らしてうなずき、続きを促した。


「ここんところドラゴノートの方で妙な噂を聞いてるぜ」

「妙な噂?」

「なんでも怪しげな教えが広まってるだとかなんとかってな」


 その噂の出所はとカロッツは問うが、店主は肩をすくめることしかできなかった。


「客が話してた酒の肴みたいなもんだからなぁ」


 自身も知る由がない、と答えたところで店主は別の方向性のアプローチがあることに気づいた。


「ただまあ教えってんなら、どんな形であれ教会が首突っ込んできそうだけどな」


 店主の言う教会とは、ハレウス教会という組織である。神の教えを説く機関であり、ドラゴノート家を抱えるフェリクス王国では国教にもされている。


「我が家に探られて痛い腹などないと思うが……武闘大会前に帰ったほうがいいかもしれないな」


 15で成人とするフェリクス王国において、カロッツは一年ほど前より武者修行と称して一人で旅をしてきた。


 本来であれば、その総仕上げとして王都で開かれる武闘大会に出てから帰参する予定だったが、それが前後する形になる。


「そうか、短い付き合いだったが楽しかったぜ、坊主」

「だから坊主は…」


 言いかけたところで、カロッツは止めた。旅が終われば、この気安い店主とも「ただのカロッツ」としては会えなくなる。改めて店主の目を見て、礼を告げた。


「ありがとう。俺も同じ気持ちだ、本当に世話になった。大猿の件については何かあればすぐ連絡してくれ」

「へっへっ、武運を祈ってますぜ次期将軍殿」


 おどけた口調で、しかしこの酒場で面倒な依頼をこなしてくれた青年へ、確かな敬意を持って、店主はカロッツ・ドラゴノートを見送った。

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