変電所

深 夜

Ⅰ.

 空は球形をしている、と書いた作家がいる。

 わたしはそうは思わない。

 いまだ乱立する高層ビルの侵蝕を知らぬ故郷の青空はどこまでも真っ平らで、戦慄をおぼえるほどに巨大な絹雲や鰯雲いわしぐもははるか彼方まで連なり、ほんの気まぐれから地上の営みなど跡形もなく押しつぶしてしまいそうに見えた。


 街のハローワークに通うのに疲れ、マンションの裏手に広がる農村地帯に足を踏み入れたのは、夏もおわりのころだった。

 畦道に沿ってわたしはどこまでも歩いた。

 そこにあることをなんの理由もなく許されている野原や森が、わたしの心を物悲しい安らぎで満たした。

 やがてわたしは逍遙の果てに、谷間に建つ変電所の裏門にたどり着いた。

 門衛もおらず、いかなる意味や目的を持ってその門が造られたのかは想像もつかない。ともあれ門が面している村道にはバス停があり、『蟹沢変電所西門前』としるされた標識があった。

 いつかわたしはそこのベンチにすわって一日をすごすようになった。

 バスが来たことは一度としてなかった。

 門の裏側にも人の気配はなく、ただ分厚いコンクリートの表面を数え切れない乾いた風と光がすべって行くばかりだった。


 失業保険の給付が切れるころ、わたしはその女に気づいた。

 道は停留所からすこし山側に入ったところで大きく右折し、切り通しになっている。崖の上には土ぼこりにまみれた古い屋敷があり、大きなもの干し台の上からときおり彼女は、身じろぎもせず私を見つめていた。

 遠くてよく分からなかったが女は長くのばした髪をこどものような三つ編みにし、ジャージにヨットパーカーという典型的な若い農家の主婦の格好をしていた。

 とうのむかしにわたしは女性への関心など失っていた。


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