エッセゐ。

@mo_numo

もう一度だって繰り返したくはないのだけど、それでも日は暮れるのだから、日々とは

無情なものだと思った。

幸せになるには、努力だとか勤勉さだとかも必要だった気がしたのだけれど、特になんの向上意欲のない自分は風波立てる事なく、それとなーくゆるゆると社会に在り方を捻じ曲げられ、かといって型にハマる事もなく、なんとなく馴染めない日常の外野から日々を傍観していた。しかし確かに心は疲弊していくようで、

一日一日が辛いものであった。

しかし、こんな私でもやはり幸せな毎日というのものに幾分かの憧れをもっていた。

私のような人間は多いだろう。

漠然と幸せになりたいがそれに見合った努力

などをする気になれない者たちが。

しかし、ご存知の通り幸せとはそう簡単に手に入る代物ではなかった。生半可な我々は、半生の大半を歯でも食い縛るか全てを諦めるかでもして辛い現実から耐え続ける事に割く事になるようであった。それらを幸せな毎日と呼ぶには、確かに、少々無理がある。けれどもそれを継続できている事を努力とも才能とも呼べるだろう。どんな生き方であろうと今もこの瞬間、辛い今日日を生き抜いている者たちが確かにいるのだ。強かで辛抱強くありつつもとても囁かな存在のように感じた、それがとても愛しく映った時、だから私も生きているのかもしれないと思った。この訳のわからないぐらい辛い事ばかりの現実に少しの救いを以て、しぶとく生永えて欲しいと思う、私もまた一日を重ねてみよう、それでもまた辛くなった時は、ここに何かしらを書き散らしに戻る

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