第12話
「人成、ねえ人成、聞いてる?」
僕の目の前からそう声がした。僕は寝不足なんだ、古文のあとくらい寝させてくれよ。
「ん?ああ、聞いてた聞いてた」
僕は眠い目をこすりながら頭をあげた。目の前には見慣れた顔があった。
「絶対聞いてなかった」
彼女はそう言ってため息をついた。
「今日は文化祭のリハーサルでしょ?」
「あ、そうか」
僕の眠気が一気に晴れた。今日は文化祭前の最後の練習だったな。それを忘れるなんて寝すぎたかな。
「ほら、早くいこ。球磨が待ってる」
「分かったよ。ツネちゃん先に球磨と部室いってて。俺まだ板書終わってない。」
「了解、なるたけ早く終わらせてね」
なるたけって、何でそんな言葉知ってるんだ。僕はリュックからノートを取り出すと黒板を見た。色付きの文字だけさっさと板書していく。ノートは提出物ではないので適当だ。大体写し終えると、ある言葉に目が止まった。なるたけ、と書かれている。古文でそんな言葉出てくるんだ。僕は謎が一つ解けた気がした。ふと黒板から目を離しその上の掛け時計を見た。そろそろ行った方がいいな。僕は今写したところで切り上げると、机の中にそのノートを突っ込み、リュックを担いだ。筆箱を入れ忘れていたが、めんどくさかったので手で持っていくことにした。
僕は大股で部室へと向かった。部室は1階の隅にある。そして3年生の教室は4階だった。僕は階段を三段飛ばしで駆け下りた。
「おわっ」
僕は思わず足を止めた。同級生が踊り場に上がってくるところだったからだ。
「人成君?」
そいつは踊り場で僕を見上げた。
「いや、ちょっと急いでて、ぶつかりそうだったから。」
僕はそう説明した。未だにちょっと緊張している自分が情けない。
「軽音部ならもう始まってるけど…」
遅かったか、僕は同級生を避けるように階段を三歩で飛び降りた。
「ありがとう、空。もう行くわ!」
「文化祭、楽しみにしてるね」
今度は僕の背中から声がした。空に背を向けていて正解だった。でなければ僕のにやけ面を目撃されていただろう。僕は軽やかなステップで一階に降りた。
僕はネクタイを緩めると、一旦息を整えた。中学生の時と比べてもう半分くらい体力が落ちた気がする。大学生になったときにはもっと衰えているのだろう。
小休憩を終え、理科室や美術室などが並ぶ長い廊下にたどり着いた。空の言う通り、すでに練習は始まっているようだ。微かに音が聞こえる。僕は小走りで廊下を渡り始めた。だんだん大きくなっていくメロディーに僕は高揚を覚えた。昔から音楽を聴くとテンションが上がってしまう。
それにしてもベースの音が微妙に大きいな。誰か俺のセッティングしたミキサーいじったな。ていうか、バショーだろ。僕は教室の引き戸を開けた。不意に演奏の音が止まった。ツネちゃんが腰に手を当ててこちらを見た。
「遅い!」
「ごめん」
僕はそう言って両手を合わせた。
「それじゃ誠意が足りないな、辺野」
僕はその言葉にムッとして言い返した。
「お前が一番言っちゃいけない言葉だろ、それ」
バショーはどこかから引っ張てきた椅子に座っている。そばの机にはミキサーが置かれていた。こいつ、やっぱりいじったな。
「まあまあ、ここは土下座で」
「お前もかよ!」
僕は球磨に向かってそう言った。いつもは僕のことをかばってくれるのに。リハの遅刻は保険適用外なのだろうか。
「ガクもなんか言ってやれよ」
バショーがそうおだてる。ガクは少し考えると、平和的解決策を提示してきた。
「飲み物おごりで」
そうしてバンドリバースの練習は一旦休憩となった。
「そうだ、バショー。お前俺のミキサーいじっただろ。ベースの音が1メモリ分他より大きかったぞ」
「何だよ、ばれてたのか。それにしても良くわかったな」
バショーは驚いた様子で僕を見た。
「別に驚くことじゃないでしょ」
球磨がバショーにそういった。
「こいつ、俺たちの中で一番あれを触ってきたからな」
ガクが言葉を継いだ。あれとはミキサーのことである。僕は一年生の時から進んでライブの音響係をしていたから確かにここにいる誰よりも経験はある。
「変態だな」
バショーがあきれたように言った。だから、お前には言われたくない。
「とにかく、音響機材は俺と後輩で管理する。むやみにいじるなよ」
僕はバショーを睨んだ。当の本人はまったく気にしていない様子である。相変わらず図太い奴だ。
「人成、そろそろ自分の準備したら?」
ふとツネちゃんが僕に言ってきた。確かにそうだ。
僕は壁に立てかけてあったギターケースから白いストラトキャスターを取り出した。相変わらず、隅々まで磨き上げられたきれいなボディーだ。もう5年弱使っているのに目立った汚れや傷がない。これも僕の日々の手入れの成果だ。このストラトは中学生の時からの僕の相棒なのだ。自分の息子のように、いや、彼女のように大事に扱ってきた。僕はストラップに右腕と頭を通すと、椅子に座った。そしてチューニングを始めた。
最近はチューナーを使っていない。別になくても音を聞き分けられるからだ。むしろ自分にあったチューニングが出来るのでもうめっきり使わなくなった。チューニングが終わると、今度はコードを弾く。
自分の知りうる全てのコードを弾くのが自分流だ。
「おい、辺野。それ本当に全部弾く必要あるのか?」
「ある。静かにしてろ」
ルーティーンを変える気はない。僕はすべて弾き終えると、そこでアップを切り上げた。細かいところは合わせの時に一緒に調整すればいい。
「よし、再開しよう」
僕の声で、待ってましたとばかりにバショーが立ち上がると、ベースを手に取った。バショーのベースは、ワーウィックという会社のstreamer stageⅠだ。滅茶苦茶かっこいいデザインをしているので、バショーは勿論、僕も気に入っている。何よりバショーに合っている。
ガクのギターはレスポールスタンダードの黒だ。僕はあんまりだが、ガクはレスポールの音が好きらしい。僕は椅子から立ち上がると、かごからシールドを一本取り出し、アンプに繋いだ。アンプのノブをいつも通りに調節すると準備完了だ。僕が体を上げると、ツネちゃんの方を向いた。不意に球磨の叩くスティックの乾いた音が聞こえた。いつになっても慣れないな、この始まり方。
一時間ほどして、最終下校時間を知らせるチャイムが鳴った。
「もうこんな時間か」
僕は額に浮かぶ汗をタオルで拭いた。この一時間ですでに5回は通しで三曲弾いている。もう腕と指が限界だ。
「どうする?このあとスタジオ寄る?」
ツネちゃんがそうみんなに提案した。反応は芳しくない。もう体力の限界だ。
「今日はもういいんじゃない?みんな安定してたし」
球磨が僕たちの言葉を代弁してくれた。
「はあ、ほんと体力ないよね。特に人成」
お前の体力がおかしいだけだろ。僕は心の中でツッコんだ。
「…まあ無理しすぎてもアレか。明日本番だし」
ツネちゃんは僕たちの提案を受け入れてくれたようだ。
「助かった、球磨」
バショーが球磨の肩を叩いた。
「これ以上は、死ぬ」
ガクもそう言って、すっかりぬるくなったペットボトルの水を一気に飲み干した。
僕らは一人を除いて満身創痍で学校を出た。
「腹減ったな」
バショーがそんなことを言い始めた。言われてみると、確かに空腹だ。さっきの練習で随分体力を消費したらしい。
「じゃあファミレス行くか」
「おごってくれ」
バショーはいつも金がない。なぜかは分からない。
「お前借りても返さないだろ」
僕はいつものようにそう言った。
都立中下高校は渋谷区の学校だ。渋谷でファミレスを探す。一つ行きつけのところがあったのだが生憎満席だったので他を当たることになった。
「ねえ、バショー。こっちでほんとに合ってるの?」
「任せろって、ここら辺は俺の庭だ」
バショーはスマホ片手にそんなことを言っている。結局渋谷を10分さまよって、やっと4人席の空いているファミレスを見つけた。
「あー、やっと座れる」
僕はギターケースをそばに立てかけると、どかっと椅子に腰を下ろした。もう足がぱんぱんだ。
「今度からはバショー以外に道案内頼むべきだね…」
球磨は背もたれに寄りかかって一息ついている。そんなバショーはというと、何やら店員さんと話して、他の席から椅子を拝借している。バショーはもってきた椅子に座るなり、
「いやあ、結構時間かかったな」
などと笑顔で言ってくるので、みな何も言えなくなってしまった。屈託のない笑顔というのはこういう顔のことをいうのだろうと思った。
一通り食べるものを頼んだ後、バショーがガクに話しかけた。
「ガクって昔から無口だよな」
「なんだよいきなり」
「ああいや、初対面の時から印象変わってないのガクだけだったから。俺じゃ絶対できないからな」
バショーは感心したように言った。
「ガクはそこがいいんだよ」
ツネちゃんがなんともないような感じでいった。
「ありがと」
ガクはうつむき気味に言った。顔を隠しているが耳が赤い。バショーはドリンクバーに行った。
「辺野、明日緊張する?」
不意に横にいた球磨がそう聞いてきた。
「多少はしてるけど。楽しみの方が大きいかな」
「俺なんてもう心臓バクバクだよ」
「それは緊張しすぎ」
ツネちゃんが球磨に言った。僕はそれが何故か面白くて、笑ってしまった。
「おいおい、何笑ってんだよ。気になるだろ」
ドリンクバーから帰ってきたバショーが、興味津々の様子で僕たちを見た。
「別に大したことじゃないけど、なぜか人成が一人で笑ってる。」
ツネちゃんがそう説明したが、バショーは腑に落ちない様子だった。
ファミレスからの帰り道、僕はツネちゃんと家の方向が同じなので、二人きりになった。最寄りから家に向かう途中、ツネちゃんは不意に、
「明日、成功すると思う?」
と聞いてきた。
「珍しいな、ツネちゃんがそんなこと言うなんて」
いつも気丈にふるまっているツネちゃんには珍しい言動だ。
「考えるんだよね、文化祭のあとのこと」
僕は黙って聞くことにした。
「私はさ、文化祭が終わって、高校が終わっても、またこのメンバーでバンドがしたんだよね」
ツネちゃんは恥ずかしそうに言った。
「私はこのバンドが、仲間が好きなの。だから終わってほしくない」
そう語るツネちゃんの目はうるんでいるように見えた。こんなとき、気の利いたことがいえないのが歯がゆい。でも一つ言えることがある。
「大丈夫だよ、文化祭は成功するし、バンドリバースもなくならない。きっとそうだ」
この言葉には僕の思いも入っていた。僕だってこのバンドが好きなのだ。
「大学生になっても、またみんなでバンドしようね」
「勿論だ、他の奴もそう思ってるよ」
僕たちはそれぞれの思いを抱えて家に帰った。
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