第11話
翌朝、僕は目を覚ました。頭を起こして周りを見たが、幸はいなかった。僕はベッド横の小さな机から、スマホを手に取った。時間は5時半、昨日寝たのが確か7時だったから、あれから10時間半寝ていたことになる。よほどあの夢がこたえたのだろう。あの悪夢は…、内容を思い出すたび吐き気がする。
僕は起き上がると、ベッドから立ち上がった。
「うわっ」
突然起き上がったので、思わずよろけて、しりもちをついてしまった。片足だけで立つのは案外難しい。僕はベッドから慎重に立ち上がると、ふらつく体を支えるように、壁に立てかけられていた松葉杖をつかんだ。そのまま松葉杖を引き寄せると、しっかり両脇で固定した。カーテンに手をかけてゆっくり開くと、他の患者のベッドを遮るカーテンが見えた。僕は慣れない足取りで扉まで歩いていくと、音をたてないように静かに開けた。
なぜ出歩こうと思ったのか、これといった理由はなかったが、多分僕は焦っていた。最初は夏休みの内にメンバー全員見つけ出す、だったのが、今ではあと5日で音信不通のメンバー二人を見つけ出す、に代わっている。圧倒的に後者の方が難易度が高い。加えて僕は足を骨折している。まだ松葉杖が無ければ満足に歩くことすらできない。空に任せるにしても、僕だけこのまま病院で絶対安静なんて我慢できない。
僕はまだ暗い廊下を、不格好な三本足で徘徊していた。ここは中上大学の大学病院で、ここ恵比寿の近辺、いや渋谷区の中では最も大きい病院だ。僕はそんな大病院の中を案内もなしに一人さまよっているのだ、とても正気とは思えなかった。まるで夢遊病の患者みたいだ。
「あの」
突然後ろから声がした。看護師さんが、朝の五時に勝手に出歩いている迷惑なけが人を病室に連れ戻しにきたのだろう。僕は振り返りながらその親切な看護師に謝罪した。
「すいません、すぐ部屋に戻り…」
僕は思わず口をつぐんだ。振り返った先には、看護師などいなかった。一人の女の子が立っていたのだ。
「あの、ちょっといいですか」
女の子はそんな僕の様子など気にせずに話し始めた。
「私のお母さんを見ませんでしたか?」
そう女の子は尋ねてきた。
「いや見てない……です」
僕は答えた。この階を歩き回っているとき、つい先ほどまで人影すら見えなかったのに。僕はだんだん怖くなってきた。こんなところで幽霊なんてごめんだぞ。僕はもと来た道を戻ろうと松葉杖をごちゃごちゃと動かした。すると女の子は、
「まって」
などと言ってきた。僕は幽霊だけは無理なんだよ。怖すぎる。
「今看護師さんを呼んでくるから。そこでまってて」
僕は早口でそういうと、やっとのことで体を反転させ、さっきとは考えられないスピードで歩き始めた。どうか追ってこないでくれ。もし人間なら部屋に帰って安静にしていてくれ。僕はそう祈りながら先を急いだ。
「まって!じんせい!」
僕は立ち止まった。なぜ僕の名前を知っている?
「あなたしか頼れないの。お願い」
僕は歩き出せずにいた。すでに恐怖はない。僕はあの女の子が幽霊なんかじゃないと確信した。幽霊にあんな悲痛な声はだせない。僕はあの声を知っている。
「何で僕の名前を?」
僕はまずそう尋ねた。
「見かけたの、あなたがはここに運ばれてくるところ。横で女の人が心配そうに男の人とあなたのことを話してた。」
「じゃあ僕にしか頼れないことって?」
「それは、まずこっちに来て」
僕はもと来た道を引き返すと、女の子のもとに向かった。
「ここに座りましょう」
女の子は、待合室と書かれた扉の横に置かれた長椅子を指さした。背もたれはなかったが、壁と接しているので、僕はゆっくり座ると、一息つくことが出来た。松葉づえはどうも体力を使うらしい。
「話してもいい?」
女の子は僕が座るのを見届けるとそう言った。急いでいるような、そして緊張しているようなトーンだった。
「その前に、君の名前を教えてくれる?僕は何一つ君のことをしらない。それじゃ頼られても何もできないだろう?」
「そうだった。ごめんなさい。私の名前は阿殿、阿殿祭花。よろしく」
見た目は中学2年生ぐらいだが、どうも言動が見た目とかみ合っていない。中二病とはまた違うものを感じる。
「僕の名前は、いや、知ってるんだったか。」
「貴方の口からは聞いてない」
そういうものなのだろうか。
「じゃあ、改めて。僕の名前は辺野人成だ。よろしく」
祭花は僕の自己紹介が終わると、なにやらポケットから物をとりだした。それは茶色く変色した、一枚の紙きれだった。
「これは?」
「お母さんが持っていたもの」
祭花はそれを僕に渡してくれた。それはよく見ると半分に折りたたまれていた。なぜ折られているのか。
「それを開けないでね。危険だから」
僕が興味を持ったことに気づいたのか、そういって僕の手から紙を取り上げた。
「一体なんの紙切れなんだ?」
僕は尋ねた。当然の疑問である。祭花は一瞬ためらうような顔をした。そして言いにくそうに、
「これは…呪いのお札なの」
「呪いって、あの呪い?」
僕はその突拍子もない答えに戸惑った。
「信じてもらえないと思うけど、、これは人を呪うお札で、今は封印されているの」
人を呪うだって?まさか本気で言っているのか?
「呪うったって、その紙におまじないでもかけるの?」
「それは古い方法。今は文様が主流になってる」
おまじないは古いのか。いやいや、そんな真面目に聞いていても意味がない。もうこの子は部屋に返そう。もういたずらにしか見えなくなってきた。
「祭花ちゃん、今は一旦部屋に戻ろう。お母さんの件は僕が伝えておくから」
僕はそう言って発馬杖に手をかけた。その時だった。
「青井空って知ってるよね」
この子は僕を引き留めるのが上手い。だがまあ少しぐらいは話に乗ってやらないとかわいそうか。
「知ってるけど、それがどうしたの?」
「私、妹なの」
そう来たか。段々嘘が雑になってるぜ。そもそも空に妹がいるなんて話、聞いたことが無い。
「そうか、妹か。空にはいつもお世話になってるよ」
「これを見て」
祭花は僕の発言をスルーして今度はスマホをとりだした。スマホを少しいじると、画面を見せてきた。
「これは…」
そこには祭花らしき女の子ともう一人、小学一年生くらいの女の子が映っていた。後ろにはハンサムな父親と、それに負けないくらいとてもきれいな母親が映っている。
「これが私、もう一人が空」
祭花は二人を交互に指さした。祭花が自分を指さすとき、小学生の方を指さした。当然隣が空だ。僕は写真を覗き込んだ。これが空?祭花そっくりじゃないか。いや、まだこの写真だけじゃ信用できないな。
「他に写真はないのか?最近の写真は」
「それは、無いの」
やはりか
「じんせい、これじゃわたしのこと信用できないよね」
「申し訳ないけど、そうだね」
祭花はため息をつくと、またスマホをいじり始めた。随分長い間画面をスクロールしていたが、ついに目当てのものを見つけたのか、僕に画面を見せてきた。その時の祭花の顔は何かにおびえているようで、僕はもやっとした。
「これなんだけど…」
目の前の画面を見て、僕は絶句した。それは写真だった。手振れがひどく、被写体と思われる人はぼやけて見えた。だが、その輪郭と背景には僕は見覚えがあった。あの男だ。昨日見た悪夢、夢の中で見た鏡に映る姿、僕は確信した。そして一気に僕の頭に昨日のあの最悪の記憶が流れ込んできた。
「うわああああ!」
僕は思わず叫んだ。そして椅子から滑り落ちた。尻に鈍い痛みが走る。僕が祭花の方を見ると、とても申し訳なさそうな顔で俯いている。
「ど、どこでこれを…!」
「そうだよね、知ってるよね。ごめんなさい、あんなことをしてしまって…」
あんなこととは一体何なのだ。
「昨日夢を見たでしょう?あれを見せたのは私なの。正確には、そう指示されたんだけど」
「そんな!君が昨日の夢を見せた?冗談だろ?」
「ごめんなさい……」
祭花は謝るばかりだ。もしかして本当にそんなことができるのか?それに、僕にあの夢を見せるよう指示されたって言っていたが、それは誰だ?
「…誰に指示されたんだ」
僕は心の内の動揺を隠して落ち着いた口調で尋ねた。
「……お姉ちゃん」
お姉ちゃんって、つまり空か?でもなんでそんなことを。
「どうして空は僕にあの夢を見せたんだ」
「それは言えないの」
「言えないって…」
つまり空から口止めされているということだろうか。疑問ばかりが湧いてくる。
「じんせい、私はあなたにとても重要なことを伝えるために会いに来たの」
「重要なこと?」
今度はなんなのだ。
「実は、お姉ちゃんが昨日じんせいのバンドメンバーを一人見つけて……」
「本当か!?」
思いもよらぬ朗報だった。まさか昨日の段階ですでに一人見つけたとは、いったいどっちだろう。
「誰が見つかったんだ?」
「…生内常世さん」
「おお、ツネちゃんか!」
僕はツネちゃんを思い浮かべた。バンドリバースのボーカル、俺たちのバンドの顔、可愛くて明るくて、いつも前向きだった。
「それでツネちゃんは、いや、生内は今どうしてるんだ?」
音信不通で心配していたのだ。一言言っておかねば。
「………」
なぜか祭花は黙ったままだった。どうしたのだろう。
「祭花?」
祭花は僕のことを見てまた目を逸らした。そして言った。
「生内さんは、2年前に死んでいたの」
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