第8話

正直、失敗だと思った。一体何が失敗かと言うと、この気まずい空気だ。僕と空、そしてバショーは、昨日の約束通り、空の行きつけの喫茶店、喫茶東亜で集合した。よく晴れた土曜日のランチタイム、しかし、その和やかな店内の雰囲気とは裏腹に、僕たちの座る席は空気がどんより曇っていた。理由は、空とバショーだ。これに関しては主にバショーが悪いのだが、実はこの男、高校時代、全校に知れ渡るレベルのクズだったのだ。特に女性関係についてはいくつもよからぬうわさが流れていた。そんなことがあってかバショーは、一部の物好きな女子を除いて、大体の女子に嫌われていた。そして空は、当然というか何というか、その大多数の方だったため、彼女は今でもバショーを嫌っている。というか避けている。

 そして現在、バショーは僕の隣でズズッと、とっくに空になっているオレンジジュースを、ストローで啜っている。もうそれも3回目だ。向かいの席に座る空は、ブラックコーヒーのホットを頼んでいた。こちらは二杯目である。これは、ひょっとしなくても俺がどうにかしなくてはいけなのだろう。

「あのー、空?」

「何?人成君」

 空はにっこり微笑んで答えた。さて、ここからどうするか。

「次に会うのはクマだろ?あいつとはもう何かやりとりはしてるのか?」

 まずは今後のこと、つまり高校時代のバンド、バンドリバースの元メンバー集めのことから切り出していく。そのメンバー集め二人目、その名前はクマ、球磨六星だ。高校では、ドラムを担当していた。現在は警察官だ。

「それがね、昨日突然球磨君から電話がかかってきて話したんだけど。今は警察署で勤務してるらしくて、ここ1週間は少しくらいなら時間あるらしいよ」

「え、あいつ警察で働いてんの?」

 バショーは驚きを隠せないという感じで言った。だが今はやめておいた方がいいぞ、バショー。

「それでなんだけど、人成君。」

 ほら、無視された。バショーは横であっ、というような顔になってまたさっきのグラスの底をストローですする作業に戻った。これで4回目である。そんなバショーのことは気にも留めず空は続ける。

「明日は私外せない用事が入ってて、球磨君と会うのは月曜日以降にしない?」

「それは別に構わないけど、用事って言うのはどんな用事なんだ?」

「それはちょっと…」

 内容は教えてくれなさそうである。一昨日にも用事がどうとか言っていたから気になったのだが。出過ぎた質問だっただろうか。

「ああ、ごめんごめん、言いたくないならそれでいいから」

 僕はすぐに空をフォローした。

 そのあと僕たちは、というか主に僕と空は、1時間近く雑談した。その内容は大体が僕のことで、家で飼っているモクローと言う名の黒猫のことや、ギターの自主練は具体的に何をしているのかなどだった。あとは、僕と幸のなれそめだ。そういう話は恥ずかしいのであまり人には言いたくなかったのだが、どうしてもと空に言われて、最終的に僕の方が折れた。

「幸とは、高校生の時にでた軽音コンクールで初めて会った。その時はお互いなんとも思ってなかったんだけど、偶然大学が一緒で、それで仲良くなった。で、今に至る」

「え、もう終わり?」

 空は不満そうに僕を見た。

「そんな、これ以上話すことはないよ。今の話で全部だから。はい、この話終わり」

「ちょっとぉ」

 空はまだ聞きたそうだったが、強引に話を終わらせた。このまま続けたら僕が耐えられない。僕はふと隣のバショーを見た。寝てる、バショーは腕を組んで背もたれに寄りかかり眠っていた。大方、退屈だったのだろう。僕が具体的にどう自主練をしているのか話しているときは結構熱心に聞いている様子だったのだが。

「おい、バショー」

 僕はバショーの肩をゆすった。バショーはいかにも眠そうな顔で目を開けると、大きなあくびをした。

「ああ、話終わったか?」

 こいつ、僕と空の会話が終わるまで寝て過ごすつもりだったのか。まあやることもなかっただろうからそれが妥当ではあるが。それにしても空の視線が痛い。僕がバショーと話すのを嫌がっているのだろうか。前から思っていたが、意外に空は子供っぽいというか、幼いところがあるように思う。

「それは終わったけど…、お前いつから寝てたんだよ」

「結構最初からだよ。それにしてもお前、彼女いんのにそんないちゃついてて大丈夫かよ。いつか彼女に見つかるぞ?」

 誰が誰に言ってんだよ。

「それは実体験か?」

「まあ、最悪後ろから刺されるよな」

「え、」

 刺されそうになったことあるのかよ、こいつ。一体どんな事したらそこまでになるんだ。

「…米素君」

 なんとここで空が口を開いた。

「そこで座ってるだけなら帰ってもらってもいい?」

「座ってるだけって、それは青井が俺のこと無視するからだろ?そもそも俺、お前たちから頼まれた側だし。なんでその立場で偉そうなんだよ。」

 バショーは流石に納得しかねるといった感じだ。僕も今の空の発言はいささか横暴だと思う。空、そんなこと言うような奴じゃなかったと思うんだが。

「それは…!。ごめん、言い過ぎた」

 空はすぐ自分の非を認めた。そう、普通であれば、例え怒っていてもあんなこと決して言わないだろうに。短い期間だったが、僕は空にそういった印象を受けていた。なんだろう、人には相性というのがあるし、空はそれがバショーと決定的に合わないのだろうか。多分違うが、いかんせん空との付き合いが(高校生の時を除いて)短いので詳しいことは分からない。

 バショーはというと、空があっさり引き下がったのを見て調子が狂ったのか、

「いや、俺も悪い」

 と、小学生の仲直りのようなことを言った。二人はこのことでお互いちょっと反省したのか、少しはしゃべるようになった。一歩前進だ、僕は何だか子供を見守る親のような気持ちになった。子供と言うにはいささか恐ろしすぎる二人だが。

「もうそろそろ解散にするか」

 そう言ったのはバショーだ。だが時間は4時過ぎ、お開きにするには早いと思うのだが。ここでバショーの口から驚きの話がでた。

「実は俺、彼女との予定入ってるんだよね」

 嘘だろ…

「いやお前、彼女と予定入ってたのにここにいんの?」

「そうだけど」

 バショーはさも当たり前のようにそう言った。まじか、こいつ。

「なんだよ、二人とも。て、おい辺野、ちょっと距離とるなよ。そんなに引くことか?」

 引くも何も、

「やっぱお前クズだよ…」

「…最低」

 空も僕と同意見のようだ。これはまたバショーと空の関係値が振出しに戻ったな。

「そうかなあ」

 バショーは尚もとぼける。こうやっていくつもの修羅場を乗り切ってきたのだろうか、精神の図太い奴だ。そこだけは僕も見習わなければ、そこだけはな。

「あ、そろそろ行かないとまずい時間だ。ここに俺の分のお代置いてあるから。じゃ、また」

 そのままバショーは流れるように帰り支度をして店を後にした。中々洗練された動きだった、ムカつくくらいに。

「空、俺たちも出ようか」

 やることもなくなってしまったので僕はそう提案した。

「もしかして、人成君も幸さんとの予定入ってたの?」

「いやいや、まさか」

 まさか、そんなことはしない。今日は幸と会う予定は入っていない。幸は今女友達と渋谷にいるはずだ。

「ただ、場所を変えないかなって」

 気分転換がてら。空はその意図を汲んでくれたらしく、

「そういうことなら、分かった」

 と椅子から立ち上がった。僕たちは店を出ると、とりあえず最寄りの駅に向かった。最寄り駅は新宿だ。

「ねえ、人成君。」

 駅に向かう途中、空は僕にそう話しかけてきた。

「どうしたの?」

「こうやって並んで歩いてるとさ、カップルみたいだね」

 もう驚かないぞ。最近渋谷に空と行った時の空の発言に、多少なりとも動揺してしまったが、二度も同じ手を食らう僕ではない。ここは華麗にスルーを、

「人成君はまた私が冗談言ったと思ってるかもしれないけど、私、結構本気だよ?」

「ぐう」

 僕は意表をつかれて変な声を出してしまった。結構本気って、それは本気でいってるのか?

「空、僕には彼女がいるんだ。冗談でもそうでなくてもそういうことは…」

「私じゃだめなの?」

 おいおいどうしたんだよ。なんで今そんなこと言うんだよ。こういう時、どうすれば…。

「あ、人成君」

 不意に僕の後ろから声がした。それは今考えうる最悪の遭遇だった。

「幸…」

 助けてくれバショー、僕は思った。修羅場の切り抜け方をいますぐ教えてもらわないといけない。

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