十九本の煙草

有くつろ

十九本の煙草

 馬鹿のように騒いで、遊んで、叫んで。俺はそれが正しい生き方だと信じて、今までそれを疑うことはなかった。

 だって、人生楽しんだもん勝ちじゃないか。

将来とか進路とか、漢字で構成された頭が痛くなるような話を教師に聞かれても、俺はいつだって俺より馬鹿な友達と、酒と、女のことしか考えられなかった。


 部屋に充満した酒の匂いで吐きそうになる。

電気をつければ、部屋の汚さを自覚しないわけにはいかなかった。

だから俺は暗いこの部屋で、窓から差し込む月明かりだけを頼りにテレビのリモコンを探す。

 テレビから、馬鹿みたいな笑い声が漏れ出た。

机を叩いて笑う芸人達が、ひどく滑稽に俺の目に映る。

そんなに笑えること、言ってないだろ。

妙に冷めた思考を巡らせながら、ビールを一口啜った。

大して、美味くもなかった。


 カラスが窓の外で鳴いていた。

無意識に舌打ちを打つ。

カラスは夕方に鳴くもんだろ。

カラスはもう一声鳴く。

大してうるさくはないけれど、その鳴き声が不快だった。

このショボいテレビから流れる音と、俺の息遣い以外に、音を立てるな。

そんな理不尽なことを考えて、立ち上がった。


 ソファがギシギシと音を立てると同時に、よろめいて足が絡みそうになる。

飲みすぎた。分かりきったことを、再び実感する。

缶をぐしゃりと握りつぶして床に投げ捨てた。まだ残ってたかもな、と後から思う。

 窓を開けた瞬間、気持ちが悪くなるくらいに透き通った空気が肺に流れ込んだ。

咳き込みながらベランダに出た。タンクトップで過ごすには寒すぎる気温に、背筋を震わせる。

夜風に吹かれて、頭が冴えていく。ビールの空き缶と吸い殻で溢れかえったこの部屋が、唐突にとても汚らしいものに思えた。

両親がこれを見たらどう思うだろうか、なんて、馬鹿みたいなことを考えた。

ここで罪悪感を覚えてしまうんだから、俺は馬鹿になりきれない。


 「こんばんは」

不意にそんな声が聞こえ、勢いよく声の主の方を振り向いた。

 「そんなに驚かなくても」

左隣のベランダの手摺に頬杖をついたのは、気味の悪い男だった。

黒いワイシャツに、重々しい黒色のコート。あとは何を着ているかよく分からなかったけれど、闇に溶け込んでしまいそうなくらいに、彼の身体は黒に包まれていた。

「お酒、飲まれるんですね」

「.......あ、すんませ」

遠回しに酒臭いと言われていることに気づき、反射的に謝る。


 「一本要ります?」

男はそう言ってコートのポケットを漁り、慣れた手つきで箱から一本の煙草を取り出した。

「......あ、え......あざす」

 笑顔で差し出された煙草を受け取る。

変な人間に絡まれていることは分かっていた。

けれど、酒を飲みすぎたせいか身体が上手く動かない。頭がぼうっとして、断る口実を考えられない。

流れるようにポケットからライターを取り出して、煙草に火を付けた。

 いつもは呼吸をするように吸っていた煙草だが、これは、美味い。

 「それ、気に入ってまして」

男は楽しそうに微笑んだ。

「美味いす、これ。」

「ですよね。やっぱり煙草は良いですよ、ロマンがある」

夜空を見て、恍惚とした表情を浮かべる男。

「俺、電子タバコばっか吸うんすけど、これは美味かった、です」

「そうですか?紙タバコが美味しいというより、これが美味しいんだと思いますよ。値は張りますが、余裕があったら。買ってみてください」

俺は小さく頷いた。


 「テレビ、付けっぱなしで良いんですか?」

部屋から漏れ出る笑い声に、彼は気付いたらしい。

「ああ......まぁ、別に良いっす。しょうもないことしかやってませんし、付いてても消えてても変わらんじゃないすか」

「そうですか?私は小説や漫画を嗜むのですが、ニュースで取り上げている、本の売上ランキングを見るのを、毎週末楽しみにしていますよ」

「......小説は読まんすけど。最近の漫画って、全部同じじゃないすか」

 彼はおかしそうに笑った。

「面白いことを仰りますね。どこが同じだと思われるのですか?」

「なんつーか。敵のことを悪として描いてるくせに、敵が負けそうになると暗い過去の長いくだりが始まるじゃないすか。だからってそいつがしたことが消えるわけでも、なんでもないのに。悪い人なんて一人もいないんだよ、みたいな、あり得ない結末に持ってこうとしてるとこが、全部同じ。俺には面白さが分かんないっす」

ああ、と男は同情するように声を漏らした。

彼は少し考えた後、余裕のある笑みを崩さないまま、俺の方を向く。

 「それも一理ありますね。でも、私はそのような展開も好きです。実際に、育った環境が悪かったために犯罪に手を染める人が、沢山いらっしゃるじゃないですか。ただ作者はそういった方達の暗い過去を描いているだけで、それをそのまま受け止めて彼等のことを許すか、または、罪は消えないからと言って彼等を許さないのか。それは読者の自由だと思いますよ。それに、最近はそんな作品ばかりではありません。もっともっと面白い漫画だって、沢山ありますから」


 へぇ、と呟いて煙草を吸う。

やっぱりこの男は変だ。

いきなりベランダ越しに話しかけてきて、煙草を押し付けて、漫画の話を始める。

変な人間だ。

「......何歳、なんすか」

男は少し驚いてから笑った。

「名前も聞かずに、年齢ですか。面白い。......ですがその質問には、答えないでおきますね」

さらりとそう言って、柔らかく微笑む。

なんだかこの質問を掘り下げてはいけないような気がした。


 「......俺は、ハタチです。」

男は何も言わなかった。

「最近なったばっかで。俺、高卒なんすよ」

何も、言わない。

沈黙が際立たせる夜の静けさが、心地よかった。

この人なら、話を聞いてくれる。


 「まあまあ遊びつつも、ちゃんと勉強はしてたんすけど。まぁ進路とか決まってなかったし、適当に受けた大学落ちてからどうでも良くなって。それからずっと、遊んでるんす。親は多分心配してるし、俺だって飲んで騒いだ後は、俺何やってんだよ、って思うんす。でも、いつ何からやめていいのか、分かんないじゃないすか。でも、俺の周りはバカばっかで。誰に何を相談してこれからどうすればいいのか、俺には分かんなくて」

男は俺の顔を見開かれた目で見つめながら、「ハタチ」と呟いた。

「ハタチ......ですか。面白い。ははっ、ハタチですか」

初めておかしくてたまらないというように男は笑った。

真面目な話を笑われ、ショックを受けるよりも先に面食らう。

何がそんなに面白いのか、理解できなかった。

「まだ生まれたばかりじゃないですか。右と左が分かってるだけ、素晴らしいと思いますよ」

「......や、それはハードル低すぎないっすか」

「物理的な話じゃ、なくてですね」と笑う。


 「自分の中で正しいことと間違っていることがハッキリ分かっているなら、あとは簡単じゃないですか、って話です。やるべきことは分かってるはずなのに、きっと一歩が踏み出せないんですね。お酒や煙草にまみれた今を抜け出す、一歩が。......まぁ、抜け出さなくても良いとは思います。人生って結局は自分次第ですから。辛いことがあったら、お酒に溺れればいいと思いますよ」

いとも簡単に男は言った。

「例えば、予備校に行ったり。そこで頭の良い人に出会って、人生相談をしたり。頭の良い人というのは、偏差値や成績の話ではありません。まぁ、そういう人に出会えたら、分かるものなんでしょうね」

「......まあまあ適当、なんすね」

男はまた笑う。

「人生ですから。別に大学に行くのが人生のゴールではありませんし、現状が嫌なら、そのまま就職しても良いと思いますよ。就職まではいかなくても、バイトとか。人間には無数の選択肢が与えられますから」

人間、と大きい主語に頭がぼんやりとする。


 「......俺も、よく分かんないっす。でも、大学はもう懲り懲りっす。もうしばらくは考えたくもない。......まずはバイトとか、始めるべきっすかね」

「分かりません」

男は晴れやかに笑った。

「初対面の人間がアドバイス出来ることではないでしょう。もし初対面でないとしても、結局決めるのは自分自身です。ここからは、とにかく考えてみてください」


 沈黙が続いた。

車のクラクションや人々の笑い声、犬の遠吠え、虫の鳴き声が、夜の闇に吸い込まれていく。

夜にはこんな音が聞こえてくるなんて、知らなかった。

「......煙草、もう一本吸わせてくれませんか」

男は黙ったままだ。

「あの、すんません」

「そろそろですね」

虚空を見つめる男。

その顔は妙に吹っ切れていた。

「楽しい時間を、ありがとうございました。」

何を、と言いかけた。

ただ、その晴れやかで、なんの未練もないような笑顔を見て、言葉に詰まる。

「さて、これは私の夢でしょうか、それとも貴方の夢でしょうか。......先に起きた方が、負けと致しましょう」

男は手摺に手をかけ、身軽に飛び乗った。

「何、してんすか」

「いい夜を」

彼は微笑んで、夜空にダイブするように手摺から飛び降りた。


 息を飲んだその瞬間、彼の身体から無数の、黒い鋼のような翼が生えた。

瞬きをすると、彼は一瞬にしてカラスへと変貌を遂げていた。

強く輝く鋼の身体で、風を切るカラス。

いつしか鳴いていたカラスに呼応するように、鳴き声を上げる。

カラスの足から、何かが落ちた。

咄嗟に身を乗り出し、腕を伸ばして取る。


 煙草の箱だった。


 震える手で箱を開けると、ずっとその時を待っていたかのように、十九本の煙草が俺を見つめていた。

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