第二話 土下座男爵と愛娘
――よく聞けカインよ……、万が一私が――……。
だから――、その時は誰も信じるでないぞ? 最悪の場合――、皇帝陛下を……。
――カインよ、私のせいで――……、私が唯一心から信じる者よ――。
――いざとなったら……、逃げるのだぞ?
O.E.1786年6月――、ジェイムボルド伯爵領の外れの街道にて、男女の二人組が完全武装の騎士団に囲まれていた。
「カイン・ピースヘイゲン! ――貴様、よくも我が父上を……、許さぬ!!」
「待ってください! ――私ではありません! 貴方のお父上を――、ローラン伯爵閣下を私が殺すなど」
男女のうちの年配の男が、そう言って騎士団の長らしき青年に訴える。しかし青年は冷たい瞳で言い放った。
「ふん――、カインよ……。この私があの事を知らぬと思うのか?」
その青年の言葉に困惑に表情を向ける年配の男。
「お前には……、我が父を恨む理由がある。――恨むからこそお前は――、我が家の資産を勝手に浪費した挙げ句……、父を殺したのだ」
「アラン……様」
年配の男は悲しげな表情で青年を見る。ソレを自責か何かと受け取ったのか、青年はその手の剣を男へと向けた。
「――今更後悔しても遅い……、そこにいる貴様の娘の生命だけは助けてやる。大人しく我が刃を受けるがよい」
「――アラン様……」
年配の男は薄く涙を目に貯めながら、その腰にある剣の柄を手にする。
「――お父さん」
「アンナマリア……、すまない――。こんな事に付き合わせてしまって」
「いいのよ――。どうせお父さんが居なくなったら。私にはもう肉親は存在しないんだから」
年配の男――カイン・ピースヘイゲン男爵はその腰の剣を引き抜いて構える。その背後にいる娘――アンナマリア・ピースヘイゲンはその手の魔導杖を胸に抱いた。
――二人の……
◇◆◇
帝都ガニンガムの街門を十数騎からなる騎兵が進んでゆく。ソレを困惑の表情で見つめる街の人々。
その騎兵の集団は――、数日前にジェイムボルド伯爵領を出て逃走中の犯罪者二人を追跡中している、アラン・ジェイムボルド伯爵とその配下であった。
「これは――、アラン殿……、今は父上の跡を継いでジェイムボルド伯爵でしたかな?」
不意に騎兵団に声がかけられる。声をかけたのは帝都守備隊の軍服を身に着けた壮年の男であった。
「む? ――貴様は?」
「――アラン様! 失礼ですぞ!!」
不意にアランの傍に控えている壮年の騎兵――、ホーマー・ガンドルフ子爵が狼狽えた様子で言った。
「ふむ? 叔父上? この者が誰だか知っておるのか?」
「――はい、彼こそが剣聖と呼ばれる御方……。エトガル・バイゴッド鎮護将軍閣下です」
「む?! それは――」
その言葉にアランは狼狽た様子で馬を降りた。――そして頭を下げる。
「これは――、申し訳ない。エトガル将軍閣下」
「いや――、爵位は同じ伯爵……。そう畏まることではない。それで――この物々しい様子はどういうことですか?」
「――」
そのエトガルの言葉に、一瞬アランは言葉をつまらせた。
「実は――お恥ずかしい話だが……。我が父上を殺害した男が我が領地から逃走――、それを追ってここまで来た次第で……」
「ふむ――、ローラン殿が亡くなられたのは知ってはいたが……。暗殺ですか――」
「はい……。その男はこともあろうに、我が家の資産にも手を付けておりまして。こうして逮捕するべく追跡をしておりまして」
アランの言葉に困惑顔でエトガルが答える。
「しかし――、アラン殿自ら追跡とは――」
「それは……」
アランはそう口ごもって隣のホーマー・ガンドルフ子爵を見る。
こうしてアラン自ら動いているのは――、彼から――、
【悪党に父を殺されて黙っているなど伯爵家の恥――、仇が討てなければ伯爵家を次ぐ資格はないですぞ!】
――などと言われたからである。
本来なら部下に任せるところであるが、頭が硬すぎる頑固親父であるアランの叔父はそれを許さなかったのである。
アランは小さくため息を付いてからエトガルに向き直った。
「申し訳ないが――、我が騎兵をしばらく帝都に滞在させることになります」
「ふむ――、それは仕方がないですな……。犯罪者の追跡は許可いたしますが、なるべく大きな騒ぎにはなさらないようお願いします」
「了解致しました――」
アランはホッとした様子で、隣の叔父に向かって笑ったのである。
◇◆◇
その時、アンナマリアは苦しげな表情で、周囲を囲む男たちを見つめていた。
そこは帝都の貧民街――、そこにアンナマリアとカインの父娘はいたのである。
「お父さん――」
「――」
深い傷を受けて息も絶え絶えの父は、肩で息をしながら周囲を囲む男達を睨んでいる。
その二人を囲む男たちは、ニヤニヤ笑いながら手の短剣をチラつかせて言う。
「おっさん――、その娘をおいていけよ」
「――」
「……何だったら、その女をくれたら治療薬の一つぐらいやってもいいぜ?」
その言葉にカインは顔をさらに歪ませる。
「――渡すわけ無いだろう……、大事な娘を――」
「は――、そんな傷でどうしようって?」
「く――」
嘲る男たちの前でカインは苦しげな表情で膝をつく。傷が思いの外深く――、少ない体力を奪い尽くそうとしていた。
(――く、やはり私は――。逃げるべきではなかったのか? 逃げずに私が刑に服しておれば――娘は)
嘲笑する男たちを見て――、カインは決意する。その両膝をその場について地面に頭を擦り付けた。
「――すまない! ここは見逃してくれ!! この娘も君たちに渡すわけにはいかぬのだ!!」
「は――」
いきなりの全力土下座に、男たちは一瞬呆気にとられ――、そして爆笑し始めた。
「ははははははは!! 見ろよ! コイツ――頭を地面に擦り付けて土下座してるぜ!!」
「お偉いお貴族様が――、俺等貧民街の人間に頭を下げるとは……、情けなさ過ぎて涙が出てくるぜ!」
その言葉をアンナマリアは悔しげな表情で聞く。カインはそれでも頭を地面に擦り付けながら懇願した。
「――どうか……、どうか見逃してくれ! このとおりだ――」
「ははは!! それは仕方がない――、何ていうと思うか!」
そう言って男たちはその足でカインの頭を踏みつけた。さすがのアンナマリアも怒りの表情で男に食って掛かった。
「お父さんに何を――」
「うるせよ」
食って掛かったアンナマリアを男が羽交い締めにする。それを見たカインは慌てた様子で男の足にすがりついた。
「頼む――娘は見逃してくれ。私はどうなってもいい」
「はは貴族様が俺等に哀れに懇願してるぜ――。笑えるな」
そう言って嘲笑する笑いの声が貧民街の路地に響く。――と、
「見苦しいな――」
不意に透き通る音の女性らしき声が聞こえてくる。
男たちが嘲笑をやめて声のする方を見ると――、
「なんとも見苦しい姿よ――。少しは自らを省みたらどうなのだ?」
そこにいたのは美しい黒髪を頭の後ろで縛った、腰に長大な曲刀を差した女武者であった。
アンナマリアは、その女から見ても美しいと思える髪と容貌に言葉を失う。
その姿はまさしく、英雄譚を描いた絵画の登場人物――、黒髪の女騎士そのものと呼べるものであった。
「なんだ? テメエ――」
「お嬢さんも俺等の相手をしてくれるのか?」
口々に卑猥なことすら話し始める男たちに――、絶対零度の視線を向けたその女武者は、ゆっくりと歩いてくる。
ソレをみた男たちはヘラヘラ笑いながら女武者に手を出そうとするが――、
「触れるな――下郎……、触れれば手が落ちるぞ?」
そう言って冷たい視線を男たちに送った。男たちは構わず女武者の胸に手を伸ばす――、その瞬間、
トン……
地面になにか軽いものが落ちる音がする。それは――、
「うわあああああああああああ!!」
男の一人が悲鳴を上げた。その手の手首から先が失われ、地面に落ちていたのである。
女武者はいつの間に抜いたのか、長大な曲刀を片手に静かに立っている。
「――警告はしておいたはずだ……、触れるな――と」
「てめええ!!」
男たちは怒りの表情で女武者を囲む。女武者は小さくため息を付いて――、
「手首だけで許してやる」
そう言って静かにその手の刃を凪いだ。
それはまさしく一瞬の出来事――、囲む男たちの手首が次々に落ちていった。
(うそ――、太刀筋が早すぎて見えない)
アンナマリアは、その容赦の無さと鋭すぎる太刀筋を見て驚きの表情を向ける。と――、自分を羽交い締めにする男が叫んだ。
「動くな!! 動くとコイツを殺すぞ!!」
「――」
男がナイフをアンナマリアの首に突きつけながら叫ぶ。それを見て――、
「――」
黙って女武者は一歩を踏み出した。それを見て慌てる男。
「バカやろう――、本当に殺すぞ?!」
「殺す――か、やるなら早くやるがいい」
その女武者の言葉にその場の全員が固まった。
「おい――本当に、本気なんだぞ?!」
「何度も言わなくても判る――、やりたいならやれ」
「いいのか?!」
女武者は一息ため息を付いて言った。
「わかっていないようなので教えてやる。今のお前にとってそれは最悪の選択だ――。そして同時にその娘はお前の命綱でもある」
「え?」
「お前がもしその娘を殺すなら……、その瞬間、私は問答無用で貴様の首を飛ばす。問答無用で――だ」
「うえ?」
「必ず殺す――、が、しかし、その娘を解放するなら殺しはしない。お前のこれからの選択は二つに一つ――」
女武者は感情のない目で睨みながら言った。
「そこの娘とともに死ぬか――、そこの娘とともに生きるか? どちらか――だ、さあ選べ」
その言葉にさすがの男も絶句する。その時――不意に女性の笑い声が響いてきた。
「ははは……、流石に分が悪いぞお主――。そこの女は冗談が大嫌いじゃからのう」
そう言って女武者の背後から現れたのは、小柄な銀髪少女であった。
その身は革製だと思われる外套を纏い、テンガロンハット――、いわゆるカウボーイハットを被っている。
歳の頃は十代前半に見える少女ではあるが、その瞳は齢をへた者独自の意思の強さが感じられた。
「――ブリッツを追いかけて妙な事に巻き込まれた様子じゃの――エレイン」
「ついてきていたのなら手伝え――、アディ」
「いやいや――、この程度はお主だけでどうとでもなろう? 妾の出る幕ではないわ」
そう言ってコロコロ笑う銀髪少女。その姿を呆然と眺めていると。
「――おい、お前、女の子に何にしてやがる」
不意に自身の背後から放たれた言葉にビクリと身を震わせる男。その背後に――、
「あ――、ブリッツみっけ」
銀髪少女が楽しげに笑い、女武者は彼を怒り顔で睨みつけた。
――それはまさに一瞬であった。
背後のブリッツの拳が一閃されて、静かに男がその場に倒れたのである。
アンナマリアは自分が助かったことを理解してその場に座り込んだ。そしてその視線を父親に送る。
「お父さん」
その時、カインは安堵の表情で自分の娘を見つめていた。そして――、
「よか……た」
そのまま意識を闇に没したのである。
「お父さん!!」
慌ててカインに抱きつくアンナマリアを女武者が止める。
「大丈夫――気絶しただけだ。揺さぶれば傷が開く」
「――あ、ありがとう……ございます」
アンナマリアは涙ながらに女武者を見る。女武者は――、
「もう――大丈夫だ」
慈愛の籠もった優しげな瞳でアンナマリアの肩に手を置き、そして笑顔を浮かべながら頷いたのである。
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