第七話 勘違いしたメイン・ヒロインと結婚&子作りの約束をするハメになった


 臭い物に蓋をしたとて、なんの意味もない。


 それは重々、理解している。


 どのように逃げ惑おうとも、現実という名の怪物は、いずれ我が眼前に立ちはだかるだろう。


 だが、それでも。

 今はただ舌鼓を打ち、理解不能な事柄の全てを忘れていたかった。


「なかなか美味しいですね、兄様っ!」


「あぁ」


 学生寮の食堂にて。


 こちらのすぐ隣の席に腰を落ち着けながら、純粋無垢な笑顔を見せるルミエール。


 まるで兄との食事を楽しむ愛らしい妹といった様相であるが……俺は騙されない。


 きっと隙を見計らって毒を盛ろうという魂胆であろう。


 ゆえに俺は皿から一切目を離さずにいたのだが。


「ア、アルヴァート・ゼスフィリアっ! 対面、失礼するっ!」


 ……聞きたくもない声が耳に入ったことで、視線を前方へ向けざるを得なくなった。


 エリーゼ・ルシフォル。

 そして、セシル・イミテーション。


 前者はなぜだか赤面した状態でこちらを見つめながら、


「も、申し訳なかった、な。君のことを誤解して、酷いことを、言った」


「本当に反省してるんだよ、彼女。許してやってくれないかな?」


 穏やかな微笑を浮かべたセシルに、俺は即応する。


「誤解が解けたのであれば、何より」


 それだけを告げて、食事を続行する。


 会話などする気はないし、あちら側もこれで用が済んだことだろう。


 ゆえに我々は今後、一切の関与を――


「そ、それで、だな。アルヴァート」


 まだ、何かあるのか。


「……なんでしょう、ミス・エリーゼ」


「う、うむ。その、えっとぉ………………きょ、挙式は、いつにする?」


 挙式。


 ……虚式ではなく?


 いや、仮に虚式であったとしても、意味が分からん。


「……何を、おっしゃっているのです?」


「むっ……! き、君は、いけずな男だなっ!」


「そうだね。ここは、はぐらかすような場面じゃないと思うよ、アルヴァート君」


 セシルの笑顔が、怖い。


 しかし俺には、なんのことだか、さっぱり――


「君は誓約と求愛を行ったんだから。それに対して、責任を取らなくちゃ、ね」


「…………は?」


 何を言ってるんだ、コイツは。


 求愛? 求愛だと?

 俺がいつ、そんな……


 いや、待て。

 まさか、絶対服従の誓約を、指しているのか?


「……あの口づけが、求愛であった、と」


「な、何を今さらな! 君は迷うことなく、その……わ、わたしに愛を、告げたではないか!」


 ……たまげたなぁ。


 いや、もう、本当に。


 どうしてこうなった?


「そ、それで、だ! 先ほどの質問に、答えてもらおうかっ! つ、ついでに、そのぉ……こ、子供は何人、欲しいのか……こ、これも、答えてもらうぞっ!」


 頬をリンゴの様に赤らめて、もじもじと体をよじる。


 そんな姿は実に可愛らしく、魅力的に映ったのだが。

 だからといって夫婦になりたいというわけでは断じてない。


 現段階において、こちらが彼女へ感じているのは性的な魅力だけだ。


 見目麗しく、男好きする体。

 そこに対する欲望を、好意とイコールで結ぶべきではなかろう。


 そうした道徳的な問題に加え……そもそも、彼女との婚約はこちらの意図に反する。


 エリーゼは公爵家の御令嬢様だ。そんな超上位存在と縁を持ってしまったなら、その時点でモブキャラではなくなってしまう。


 だから俺としては、この話をなかったことにしたい、わけだが。


「こ、婚前の契りは、あまりよろしくないのだが……き、君がしたいというのなら、まぁ……ひ、一人目、ぐらいは、そのぉ~……ゆ、許されるのではないだろうかっ!」


 このエロゲヒロイン、ノリノリである。


 だからこそ、婚約の話を破棄することが、出来なくなっていた。


 今、ここで彼女に対し、思い違いを説明したのなら。

 きっとエリーゼは落ち込むだろう。


 そこに加え、勘違いをしていたことに対する羞恥心が、ことさら彼女を追い詰めるに違いない。


 ともすれば、この場で泣き出すやもしれぬ。


 もし、そうなったなら。


「アルヴァート君。ここは男らしく、ハッキリと応えてあげてほしいな」


 こいつが。

 セシル・イミテーションが、黙ってはいまい。


 原作におけるエリーゼ・ルートにて、なにゆえアルヴァートは惨殺されたのか。


 それはセシルを激怒させたからだ。


 ゆえに、エリーゼを傷付けるような行いは即ち、己が死に直結するものと心得ねばならない。


 さて。

 現状はまさに、八方塞がりの様相を呈しているものと思われたが、しかし。


「……兄様には時間がない。そうでしょう?」


 唐突に投げかけられた妹の言葉が、我が脳裏に妙案を運び込んできた。


 あぁ、そうだ。

 その手があったか。


 エリーゼを傷付けることなく。

 セシルの心証を悪化させることなく。


 両者が完璧に納得したうえで……

 この話を、実質的になかったことにする、ウルトラC。


 それは。


「ミス・エリーゼ。当方の将来設計について、ご静聴いただけますか?」


「む? あ、あぁ、それはかまわないが」


 相手方の問いを黙殺し、そのまま主導権を奪う。


 そうして俺は蕩々と語り始めた。


「当方が目指しているのは……階級なき社会です」


「か、階級なき、社会……!?」


「えぇ。我々が想い描く未来を実現するためには、それが必要不可欠かと」


「具体的に……君は、どのような絵を描いているのだ……!?」


 この問いに対して、俺は懇々と持論を述べていく。


 まずはエイブラハム・リンカーンによるゲティスバーグ演説の丸パクり。


 人民の人民による人民のための政治。

 そんなフレーズを交えつつ、こちらにとって都合のいい形に改変。


 それから、民主主義や選挙制度、社会福祉、福利厚生といった概念を説明していく。


 それらは現代社会に生きる者なら特別でもなんでもない一般常識、だが。


「な、なんという発想力っ……! 君は天才だ、アルヴァートっ!」


 こちらの世界の住人からしてみれば、あまりにも斬新な思想として映るのだろう。


 そんな彼女の隣で、セシルはなぜだか神妙な面持ちを見せながら、


「アルヴァート君……君なら……いや、でも……」


 迷いか、あるいは、当惑か。


 彼がなぜそんな反応を見せるのか、こちらには知る由もない。


「セシル? どうしたのだ?」


「……ははっ。いや、なんでもないよ、本当に」


 ここで一つ、俺はセシルに関するを得た。


 彼はになると、を見せるのだ。


 ……これはもしかすると、今後になんらかの影響を及ぼすかもしれないな。


「まぁ、とにかくさ。ボクもエリーゼと同じ考えだよ。アルヴァート君は将来、国政を担うべきだ。そうすればこの国は、より良い社会を構築出来るんじゃないかな」


 ……放っておくと大事になりそうなので、さっさと話を進めていこう。


「されど。いかに思想が美しく、また、正しいものであろうとも……その実現に至る道は、あまりにも困難なものかと」


 これについては二人も同感だったらしい。


「うむ。この国は古い慣習に囚われ過ぎている」


「アルヴァート君の発想は素晴らしいものだけど、実現するには大きな苦労を伴うだろうね」


 よし。

 後は、締めくくるだけだ。


「ミス・エリーゼ。当方は自らの人生を、国のため、そして民のために費やしたいと考えております。無論、その隣に貴女が立っていてくれるのなら、これに勝る幸福はない」


「お、おぉ……! もちろんだとも! わたしは君の伴侶として――」


「しかしながら。家族となり、子を成し、自分達の生き様を未来へと繋いでいくという幸せは……全てを成し遂げた後に享受すべきだと、そのように考えています」


「むっ……! そ、それは……!」


「我々が歩むは、まさに茨の道。常人が享受する幸福を楽しみながら進んでいけるほど、安穏としたものではありません。また、当方はその苦労を次世代に丸投げするつもりもない。我等の信念と正義は、我等の世代で成就すべきだ。……貴女は、どうお考えですか?」


 果たして、エリーゼの答えは。


「…………うむ。君の言う通りだ、アルヴァート。我が子にそのような苦難を、受け継がせたくはない」


 よっしゃ。


 こちらの思惑通り、乗ってくれたな。


 階級制度の破壊だの、民主主義の実現だの、そんなもの俺達の世代で達成出来るわけがない。


 よしんば成就したとしても、そんな頃、俺達は老後を迎えていることだろう。


 婚約は認める。

 しかしながら。

 対等な男女としてではなく、あくまでも主従としての夫婦関係だ。


 俺は常に彼女を立て、従者の如く動き、手柄を全て譲り渡す。

 そうしたなら、こちらの存在はエリーゼの影に隠れ、誰の目にも留まるまい。


 公爵家の御令嬢と縁を持ちつつも、モブキャラで居続ける。

 そんな無理難題が、この妙案によって実現するのだ。


 こちらの言動は総じて偽りであるが、しかし、エリーゼはそれでも幸福であろう。


 表面的には確実に、理想とする人生を過ごすことになるのだから。


 であれば。

 セシルがこちらに危害を加えようとする動機も、生じることはない。


「……では、当方はこれにて」


 食事を終え、さっさと退席する。


 そんなこちらの背後に、エリーゼが声を飛ばしてきた。


「ア、アルヴァートっ! だ、大事な質問に、答えてもらってないぞっ!」


「……大事な質問、とは?」


「そ、それは、その……こ、子供の、ことだ」


 あぁ、子供は何人欲しいのか、と、そういう話だったか。


 個人的には一人も欲しくない。


 己の分身が生まれるなどゾッとするし、それによって生じる責任を負う気にもなれない。


 だがそのような本音を述べて、エリーゼを傷付けてしまったなら。


「ははっ。君達の間に生まれた子供は、実に幸せ者だね」


 セシルが死神となって、俺の首を刎ねるだろう。


 だから、こう答えるしかなかった。


「……階級なき社会においては、跡目争いというものも希薄となりましょう。であれば」


「で、あれば……?」


「無遠慮に、満足するまで、子作りを行えばよろしいかと」


「っ……! そ、そうか……! き、君は、それほどまでに……! わ、わたしを、孕ませたいのだなっ……!」


 とんでもない誤解をしているが、まぁいいだろう。


 どうせそんな瞬間は、未来永劫、訪れないのだから。


「行くぞ、ルミエール」


「……はい、兄様」


 少々波乱の展開ではあったが、上手く修正が出来たのではなかろうか。

 俺は、そんなふうに満足していた。


 が――


 今思い返してみれば。

 俺はもっと、周囲に気を配るべきだったのだろう。


 特にルミエール。

 こちらの隣でなく、三歩後ろを歩く彼女が、そのとき。


「…………先んじた方が、いいかな」


 か細い声で、ぼそりと呟いた、その言葉の意図を。

 しっかりと、掴んでおくべきだったのだ。


 そうしなかったがために――


 俺はこの後、心臓を握られるような経験を、するハメになった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る