視線の正体

よし ひろし

視線の正体

「やあ、やあ、やあ、ようこそ我が生徒会室へ、酒井雅樹さかい まさきくん!」

 生徒会長――橘洸士郎たちばな こうしろうが、ややオーバーなリアクションで俺を迎えた。


 放課後、相談があるからと呼び出されたのだが――初めてだ、生徒会室に入るのは。もちろん存在は知っていたが、全く縁がなかったので気に留めたこともなかった場所だ。


 広さは普通の教室の半分程か。正面窓際に二人掛けの机――会長と副会長の席、左右に三人掛けの長机、残りの役員の席があり、向かって右の壁にホワイトボードと背の低いロッカーが置かれ、左には資料と思われる物の詰まったスチール製のキャビネットが四つ並んでいた。


 室内には会長のみで他の役員の姿はない。その会長は自分の席、ではなく、右側の机の真ん中の席で立ち上がり、俺を両手を広げて迎えていた。


「さ、さ、さ、さ、さ、こちらへどうぞ。膝を交えて、相談に乗ってもらおうじゃないか」

 右側の一番手前の椅子へと俺をいざなう。間になにも挟むことなく向かい合って話をしようということらしい。


「えっと、初めましてですよね、橘会長」

 会長の思惑通り向かい合って腰を下ろしたところで、そう切り出す。


「そうだね、こうして話すのは初めてかな。――しかし、私は我が東秋津ひがしあくつ高校全生徒の顔と名前を記憶しているので、当然、君のことも以前から見知っていたよ」

「はあ、それは凄いですね……」

 俺なんか二年になって二か月以上たつのに、まだクラスメイトの顔と名前が完全には一致しない。特に女子とは付き合いがほとんどないので、あれ誰だったかなぁ、となる時がしばしば……。それを考えると、全生徒の顔と名前を憶えているなど、神の御業、信じがたいことだ。


「生徒会長としては当然の事だよ、酒井雅樹くん。特に君に関しては、最近色々と面白い噂話を聴くものでね、印象に残っていたよ」

 会長が意味ありげな視線をこちらに向ける。


(なるほど、生徒会長の耳にまで届いているのか、あっちの話が……。となると、今日の相談とやらも――)


「今日来てもらったのも、その噂話の類の相談があってね――」

「そうですか、やっぱり、そうですよね」

 面識のない一般生徒に生徒会長が相談あるなんて、それしかないよね。


「時間を無駄にするのは嫌いなので、早速話をするが――、実は、を感じるのだ、ここ一週間ほど、から晩まで、いついかなる場所でも、こう、じーっと見られているというか、なんというか――」

 会長は身振り手振りを交えながら伝えようとするが、今一つ歯切れが悪い。


「視線って――会長、人気があるから、その、ファンとか、追っかけとか、片想いの生徒とかじゃないんですか。最悪、ストーカーとか?」

 生徒会長の選挙など所詮は人気投票。その会長に就いているということは、この高校で一番の人気者だといってもいい。当然、どこに行っても人の注目を浴びるだろう。


「いやいやいやいや、そういうのとは違うのだよ。ほら、私はハンサムだろ。幼いころから、人の視線、特に女性の熱い視線には晒されていてね、そういうのはごく普通のことで、気になったりなどしないのさ」

 うわ、この人、自分でハンサムと言い切ったよ。ま、確かにその通りだけど――羨ましい性格だな。


「いま私が感じているのは、もっと異質な、人のものとは違う視線なんだ。その――霊とか、その手のモノが憑いていたりしないだろうか?」


 やっと本題に入って来たな。

 そう、俺には霊感がある。普通の人には見えない何かが見える。

 現に今も、生徒会長のすぐ傍らに屈みこみ、顔のすぐ目の前で手をかざして振ってみたり、くるくるパーとか、アッカンベーとかして遊んでいる女生徒の幽霊の姿が見えている。


 阿井佳純あい かすみ――俺に取り憑いている女子高生幽霊で、不思議な事件を解決する際のパートナーでもある。


「ねぇねぇ、この人、全然霊感ないよ。すっごく鈍感。だから感じる視線って、霊関係じゃないんじゃないの?」

 阿井佳純が会長を指さしながら言う。その指先は会長の頬に突き刺さっているが、会長は何とも思っていないようだ。

 もちろん彼女の声も会長には聞こえていないだろう。


「ふむ……」

 確かに霊の気配は感じられない、目前の阿井佳純以外は。室内をぐるりと見回すが特に変なものはないな。動く日本人形とか、目が動く偉人の肖像画とか、そんな学校の七不思議的なものは見当たらない。

 となると、やはり犯人は人間なのでは――そう思った時、ふと視線の隅にあるスマホの存在が気になった。会長のすぐ横、机の上に置いてある。


「会長、そのスマホは――」


「ああ、すまない、言うのを忘れていた」

 会長がスマホに手を伸ばす。

「私は他人とのやり取りを常に録音していてね、今この会話も録音させてもらっていた。ここではいつもの事だったので、事前に説明するのを失念していたよ」


「録音を――」

「今更だが、構わないかな、このまま録音を続けて」

「ええ、まあ、ただ外に漏らしたりしないでくださいよ」

「もちろんだとも。これはあくまでも趣味でね。記録魔なのだよ。写真や映像も時折々に残している。――今も君さえよければ映像に切り替えるが?」

 言いながら会長がスマホのカメラをこちらに向ける。


「遠慮しておきます。――それより、それ、最新のAIスマホとかいうやつじゃないですか?」

 TVやネットで見た記憶がある。AI機能が強化され、まるで人間の秘書か執事のごとく生活をサポートしてくれるとかいう触れ込みだった。


「ああ、一週間前に手に入れたばかりなんだ。前のは中学入学時に親に買ってもらったものだったので、自分の力で手に入れた初めてのスマホなのだよ、これは」

 愛しそうにスマホに頬ずりする会長。物を大切にするタイプのようだ。ま、それはいいのだが、気になることが――


「一週間前ってことは、視線が気になりだしたのと同じ頃ではありませんか?」


「うん…? おお、確かにそうだな――」

「もしかして、そのスマホが原因じゃないですか? 最新のAI搭載とか言ってますから、常に持ち主の行動を見ているのかも……?」

 AIとかどうも胡散臭い。勝手に情報を取集するための仕組みじゃないかと疑ってしまう。ま、使ってみると凄く便利なんだけどね。


「ねえ、AIって、人工知能の事だよね。今はこんな小さな携帯電話に入ってるの?」

 阿井佳純が訊いてくる。彼女が死んだのは十年以上前なので、AIについてあまり知らないのも不思議ではない。

 AIについて色々話してあげたいが、今は目の前に会長がいるので、そういうわけにはいかない。


「最近は本当に進化していますからね、AI。思いもよらない行動をしているかもしれませんよ」


「うーん、確かに、感じる視線は人というより、こういうカメラのレンズを向けられているような、そんな感じがしなくもないのだが――」

 自分の手の中のスマホとにらめっこする会長。

「だけど、やっぱり違うと思う。確かにこのピーちゃんは、凄く賢いけど、こうして映している感じ――やっぱり違う」

 ピーちゃん……、物に名前を付けるタイプか。ま、それはこの際どうでもいいか。


「違いますか…」


「このピーちゃんんはね、凄いよ。ハンサムでかっこいい私を、より素晴らしく輝かせてくれるんだ。前のアーちゃんよりも高解像度だし、自動で色々画像処理してくれるし、もう凄い、凄いよ!」

 おお、前のスマホはアーちゃんって言うんだね、と変な感心をした瞬間――


 ぞわぞわぞわ……


 全身の毛が逆立つような異様な寒気を感じた。


「なっ――」


「うわぁ、これ、これだよ、酒井くん! この感じ――いる、何かいるよね、ねぇ!」

 鈍感な会長も感じるほどの霊気。


 寸前まで何も感じなかったのに、これは一体――


 怯えながら室内をぐるぐると見回す会長を尻目にしながら、阿井佳純と共にその気配の元へと視線を向けた。


 窓際、会長と副会長の机の上――


「スマホ……」


 机上に置かれた一台のスマホから、のようなものが立ち昇り、メラメラと燃え上がる炎のように揺らめいていた。


「会長、あそこのスマホ、誰のものですか?」

 落ち着きを失ったままの会長に問題のスマホを指さし、尋ねる。


「え、なに? スマホ? どこ? どこにあるの?」

 指さした先、普段自分が座っている会長の席へと目を向けるが彼にはそこに置かれたスマホが見えてないらしい。


「な…、ってことは――」


 見ている間に、そのスマホが宙に浮き、画面がはっきりとこちらに見えてくる。


 そこに映し出されているのは、橘会長の画像――


 それも色々な場面がスライドのように次々と変わっていく。おそらく中学生の頃から、高校の入学式、そして会長になった時のこの部屋での写真――


 そのスマホが、くるりと反対を向き、外側のレンズをこちらに向ける。


『まだ、記録し続けるのよ。まだまだいけるわ。新しい女になんか負けない……』

 声、というより、想いが、脳内に伝わってくる。


「うっ……、会長、シャンパンゴールドのシャープのスマホ、前まで使っていたやつですか?」


「え、ああ、よく知っているね。そう、アーちゃんだよ」

 アーちゃんか、あれが……


「それで、そのスマホは今どこに?」

「部屋の机の引き出しに入っていると思うが――、それが何か?」


 てことは、本体ではないってことか……。まあ、そうだろうな。


「阿井さん、どうすればいい?」

 会長がいるがもう構わない。相棒の幽霊に声を掛ける。


「うーん、嫉妬ね。新しい女に寝取られても、依然として愛し続ける、その女の情念が――」

「えっと、そういうのはいいんで、解決策、何かありません?」

 一人で変に盛り上がっている阿井佳純を制し、冷静に尋ねる。

 すると彼女は可愛い顔を少ししかめて考えた後、


「うーん、あれを――」


 スマホの霊を指さし、続けて会長の持つ新しいスマホへと指を向ける。


「これに入れちゃえばいいんじゃない」


 そう言ってにっこりする阿井佳純。


「え、ええっ……。できるの、それ」


「さあ、多分、いけるんじゃない。まだこっちの新しい携帯には、魂みたいなものはないみたいだから」

「ああ、なるほどね」

 物に魂が宿る――いわゆる付喪神つくもがみ的なやつね。とにかくやるだけやるしかないか。


「会長、そのスマホ貸してください」

「え、なに、どうして?」

「後で詳しく説明しますが、いま目の前に、会長の前のスマホ、アーちゃんの魂がいます。それを、その新しいスマホに移します。いいですか?」

「え、え、ええ、えええ……? なんか、わからないけど、それで視線の問題は解決するのか?」

「ええ、おそらく」

「あ、ああ、なら、――はい、これ」


 会長がスマホを手渡す。それを受け取り、阿井佳純に目で合図をする。


「行くよ――」


 阿井佳純が右の掌を、スマホの霊体に向ける。直後、半透明のいくつもの糸が手のひらから放出され、スマホの霊体をからめとった。蜘蛛の霊を取り込み獲得した、スパイダーマン的スキルだ。


『あっ、何を――』


「落ち着いて、いま、あなたの大好きなご主人様の新しい携帯に、あなたを移してあげるから。それでまた一緒にいられるわ」


『え…、本当に……』


「任せておいて。――行くわよ!」


 阿井佳純が腕を引くとスマホの霊体は引き寄せられ、彼女の手の中で丸い光の球体へとなった。それを俺の持つ新しいスマホへとぐっと押し込む。

 瞬時、新しいスマホが眩いばかりの光を放つ。


「え、なんだ、眩しい!」

 その光は橘会長にも見えたようだ。


 一拍し、静まり返る室内。あれほど感じた強い異様な気配も消えている。


「……うまくいったのか?」


「大丈夫、成功よ!」

 ぐっとガッツポーズをとる阿井佳純。


 手の中のスマホを見ると、そこから、


『嬉しい、これでまた彼と一緒にいられる……』

 そんな感情が流れ込んできた。


「え、どうなったんだ? 酒井くん、私のスマホは――?」

 会長がおろおろしながら訊いてくる。

 この人、ハンサムでそれを自覚している嫌味な奴かと思ったが、どこか抜けていて愛嬌があって面白い。顔だけで生徒会長に選ばれたわけではなさそうだ。


「はい、会長。終わりましたよ。もう大丈夫です。すべて解決しました」

 魂入りのスマホを会長へと返す。


「え、ああ、そうなのか。うん、よくわからんが、ありがとう、うん、ありがとう」

 スマホを受け取りながら、頷き感謝の言葉を口にする会長。


 どうやら一件落着したようだ。


 その後、今起こったあらましを会長に説明し、生徒会室を後にした。


 ああ、そういえば、あの橘生徒会長のスマホ、アピーちゃんという名前になったそうだ。ま、どうでもいいことだけどね……


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