世界アップデートでモンスターが溢れました~ベータテスターのユニークスキルで俺の家だけ魔物が侵入できないようです~
芦屋
01 日常はカス
誰かが言っていた――労働はカスであると。
労働、大いにカスである。限りある人生と人間性を生きるために切り売りするなんてカスだ。
だが俺はさらに言おう。
日常そのものがカスなのだ。
そこから生まれる全てのものが良いものであるなんてことはあり得ない。
思えばこの俺
社会人になって労働で身を粉にしても得られる対価は雀の涙。消費社会の現世でなにかをやろうと思ってもカネカネカネととにかく銭を要求される。
金がなくて大学を諦めた身としては噴飯ものである。
労働で人間性を売り渡していたころ、ふと思ったのだ。
――このままでは不味い、と。
社会の話をしたいわけではない。なにをしようにも先立つものがいるから困るよね、くらいの話だ。
すっかり身も心も社畜となって休日は散らかった部屋で寝るくらいのことしかできなかったその時、あるモノを見つけたのだ。
名前を〈セブンス・コンクエスト〉――非日常体験アプリである。
どっかのサイトから飛んでこいつのダウンロードページが表示されたとき、九割九分九厘のしょうもなさと……一厘の期待が心にわき上がっていた。
路地裏のビルのガラスがパーカー姿の茶髪の青年を映す。俺の十人並みの風貌はいつ見てもどこかに諦観を抱かせていた。
だが、今は違う。
日常はクソだ。だけど……非日常は最高に『生きてる』って気分になれる。
歩を進めるごとに、この先に居るなにかの気配に肌がひりついていく。
〈7CQ〉が示した場所――廃商店街の路地裏に到着すると、そこには中学生の男くらいの体長の、二足で立つオオカミが二匹。
そのオオカミの化物は宝石を飲み込んでは銀白色の鉱石を吐き出していた。
こちらに気付くとやつらは、じり、とわずかに後ずさる。
「コボルト二匹か。……タフなやり合いになりそうだな」
背負ったバットケースの中から刀を取りだし――さらに鞘を抜く。
部活で剣道をやった人間くらいにはサマになっているだろう構えをとり――踏み込む!
「グルルルァ!」
コボルトたちが左右に分かれて飛びかかってくる。俺は勢いのまま向かって左のコボルトAの腹を斬る。獲ったな、これは。
しかしその間にコボルト二匹の爪が俺の胸と太ももを割き、綺麗に肉が削げた。
路地裏の壁に背中を預けて俺は叫ぶ。
「〈アイテム〉!」
虚空に手を伸ばし、紫色の宝石をつかみ取る。
コボルトBはその隙をすかさずついて、噛み殺さんと大口を開けて駆け寄ってきた。
俺の方はと言えば、回復をしたばかりでとてもカウンターに出られる状態ではない。
眼前に近づく化物の牙。
ぞっと全身の毛が粟立つなか、死を覚悟する。
結果から言うと――コボルトBはこちらを噛むことはなく、顔をぶつけ合っただけだった。
理由は俺が片手で持っていた刀が運良く敵の身体に突き刺さっていったからだ。
ずるり、と力なく崩れていくコボルトB。その両眼は死んでいくことが理解できていないと言わんばかりで。
パーカーにべったりとついた黒い血を残して、その化物は命尽きた。
「……ギリギリ、勝ったな」
自分がおぼろげながらにも勝利を実感した瞬間、どっと脂汗が体中から吹き出してくる。そして目頭が勝手に熱くなっては涙をぽろぽろとこぼしてしまう。
――生き残った。生き残った。……生き残った!
心臓が破裂しかねないほどに鼓動し、口からは悲鳴とも笑いともとれぬ気持ちの悪い声が漏れる。
ああ……最高だ!
つまらない日常では味わえぬ切った張ったのスリル。
そして――
「……でっけえ宝石。口に入れてたモンは……多分コバルトか」
――苦難を勝ち抜いた者にしか得られる戦利品。
厚手のナイフを取り出してコボルトたちの身体を捌いていく。解体もはじめからできたわけではない、特殊な手段を使って覚えたのだ。
これら宝石などの戦利品は〈7CQ〉内で換金できるのだ。
どういうルートかは分からないが〈非日常〉なりのツテがあるのだろう。
「これならしばらく楽できるし、家にも仕送りできるな」
労働はクソだがカネに罪はない。せいぜい有効に活用させていただこうか。
もっとも、最後のこれにはどんなものも魅力で負けてしまうけれども。
スマホをほくほく顔で眺めると、
「……レベルアップ。そろそろジョブと交換してもいいな。いつまでも〈ノービス〉のままだと、ね」
このわざとらしいまでの初級職のノービスには隠されたなにかが絶対にあると思っていたのだが……。その他の成長要素の兼ね合いもあってそろそろ厳しいかもしれない。
なんかボーナス要素あるといいなー!
〈7CQ〉の画面には自分のステータスが表示されている。レベルアップごとに自然に上がる項目もあるが、ボーナスとして貰ったポイントで好きな項目を伸ばすこともできる。俺好みの仕様だ。
これは単なるゲーム画面ではない。〈7CQ〉内に蓄積された経験値は現実の俺の肉体を弄っていて、その力はたしかに現実で発揮できるものなのだ。
知らない間に身体を弄られているのが怖い? その気持ちも分かるが、俺は自分が成長した実感が湧いた瞬間にどうでもよくなった。
日常の、自分では変えられないものたちとは違う、自分次第で全てが変わっていくこの快感は他では味わえないものだから。
現実に敗れ、死ぬまで自分を売り渡していく人生。
その無聊を少しだけ和らげてくれる――劇薬。
◆
「
「誠に申し訳ありません」
休日明けのオフィスでは直属の上司から早速叱られる。
その姿を見て周りの社員たちはヒソヒソとこちらの噂話を繰り広げていた。
「チーフもまた外崎くんにばかり仕事を押しつけてるよ……」
「あれチーフのお気に入りの子の仕事なのに」
「でもさ、外崎くん全く堪えてなくない? それに一年目の秋からずっとくたびれたスーツ着てたのに、ほら――」
「……彼女でも出来たんじゃない? 天涯孤独だと寂しいだろうし」
キッ、と声の方向をチーフが睨むと会話をしていた人たちはばつが悪そうに仕事に戻っていく。
残念だが彼女はできていない。恋人がつくるのも悪くはないけれど、今は〈セブンスコンクエスト〉があればいい。
一年目の頃はチーフのお気に入りに振り回されることはつらかった。
だが切った張ったを繰り広げていくうちに、ただの人間に圧されることはなくなった。相手が取るに足らないこと、そして自分の手札が豊かであることは精神的充足に大きく影響する。
どんなにすみませんと頭を下げさせてもへこたれないこちらに対して、チーフは最近やりづらさを覚えている節がある。
〈7CQ〉でのレベルアップで体力が上がった俺が、糠に釘とばかりにチーフの威圧を意に介していないのが効いているのだろう。あとは就業時間中に出されたものであれば多少の残業で解決できるようになったのも大きい。
たまにミスをしておけば相手に花を持たせられたのだろう。けれどもう俺にとって無事に過ごすということはそこまで重要ではなく、嫌がらせをしてくる相手をどう潰すかの方がはるかに興味が湧いてしまう。
〈7CQ〉で頑張ったため、しばらく無職でも暮らせるくらいの収入源は構築できている。
この仕事だって生きるためではなく、より良く生きるためにこなすようになった。
……と、話が長くなってしまった。
要するに、〈7CQ〉で戦い抜いたおかげで肉体的にも精神的にも金銭的にも上司の理不尽なご機嫌うかがいをする必要はなくなった。
それだけだ。
「……とにかく取引先に詫びを入れてこい。あとカナちゃ……高取さんに頼まれていたドアの立て付け修理もちゃんとやっておけ」
「承知しました。先方にお詫びを入れに行きますので、しばらく外回りに行ってまいります」
高取さん……。チーフのお気に入りの人か。……まあ、どうでもいいや。
訪問先の会社の人はチーフの大学同期だったらしい。
事情は言わずに菓子折を渡し謝罪をすると、相手の方はなにかを察したのか君も貧乏くじを引かされたねえと笑った。
どうやら以前からチーフはえこひいきが激しく大学の部活でも似たようなことを起こしていたのだとか。
先輩方からは「気にすることはないよ」と慰めとちょっとしたお菓子を貰ったが、一年目ならともかく現在は全く気にしていないので何も問題はない。それでも心配をしてくれるということはありがたいので痛み入る……といった感じである。
チーフは俺に仕事を押しつけて、意中の人である高取さんを食事に誘おうとしていたのだが、それもすげなく断られている。
俺はというと残業をしっかりと終わらせて、そのまま家に帰って寝るだけだった。
市の郊外にある家まで自転車で通うのは案外キツイが、〈セブンスコンクエスト〉によって強化された身体はそれをなんなくこなしてしまう。
自室でスマホに充電用のアダプタを繋げて、
そうしていくうちに次第に眠りついて……とある音声が夢のまどろみの中、はっきりと聞こえた。
『〈セブンスコンクエスト〉、ベータテスターの死亡者が一定を超えましたので、これより正式サービスを開始いたします。それでは――よい日常を』
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