第6話 清水さんと調理実習②
「くっそー。瀬戸さんと同じ班なら瀬戸さんの手料理食べられたのに」
「調理実習は班員で作業を分担するから、瀬戸さんの手料理って言えるか微妙なラインだけどね。というか俊也、自分の班に行きなよ」
調理実習当日、俊也は僕の隣でエプロンを着ながら己の不幸を嘆いていた。俊也の顔を見るに本気で悔しそうだ。
「大輝、少し冷たくないか。友が悲しんでいるんだから慰めてくれよ」
言葉を慎重に選ばなければ俊也のメンタルを容易に傷つけてしまいそうだ。エプロンを着ながら脳をフル回転させる。
「俊也は自分のために作ってもらいたかったんでしょ? だったら今回の調理実習の料理はちょっと違うんじゃない? 今は食べられなくても、後から俊也のために作ってもらった料理の方が意味あると僕は思うな」
「だ、大輝!」
俊也の表情がパッと明るくなる。
「そうだよな。俺のために作ってもらうからこそ意味があるんだよな! 元気出てきた!
ありがとな大輝!」
「元気になったらなによりだよ」
一件落着と思った次の瞬間、調理室のドアがガラッという音と共に勢いよく開いた。そこにいたのは紛れもなく清水さんだった。
「清水さんがどうしてここに?」
「バカ、清水さんに聞かれるぞ」
調理室中のクラスメイトがざわつく。なぜみんながこれほど驚いているのか。それは普段、清水さんが家庭科の授業に滅多に来ないからだ。特に調理実習など他の人と協力する作業がある授業では清水さんの姿を見たことがない。それなのになぜ清水さんが進級できたのかは、情報通の間でも意見が分かれているらしい。
「大輝、俺、自分の班行くわ」
横を向くと俊也は既におらず、代わりに清水さんが僕の近くに来ていた。俊也も他のクラスメイトと同様に清水さんを恐れているから、自分の班に逃げたのだろう。
調理実習の席は教室での席の位置と対応している。だから僕と清水さんは同じ班の班員同士なのだけど、今まで清水さんが家庭科の授業に来なかったので忘れてしまっていた。
僕は隣にいる清水さんに視線を向けた。
「清水さん」
「な、なんだよ」
エプロンを着終わった清水さんが僕の方を向いて睨む。
「同じ班だから今日は一緒に頑張ろう。それとそのエプロン似合ってるね」
「おう……」
よかった、いきなり調理実習に来たから少しびっくりしたけどいつもの清水さんだ。
僕が安心していると家庭科の先生が調理室に入ってきた。先生は清水さんがいることに一瞬驚いたように見えたけど、すぐに元の表情に戻った。
「はい、みんな着替えて待っていてくれたみたいですね。今日は前から言っていたように肉野菜炒めを作ってもらいます。班ごとに役割を分担して安全に調理を行ってくださいね」
「はーい」という声が調理室に響く。こうして僕たちは先生の指示に従って調理の準備を始めたのだった。
調理実習を開始してからしばらく経ち僕たちの班は食材を切る段階まで進んでいた。
「食材を切る係は誰と誰だっけ?」
「僕だけだよ」
教室では僕の前の席に座っている
「あれ、食材切る係は二人いなかったか?」
「僕たちの班は人が少ないから切る係は僕だけになったんだよ」
「ああ、そういえばそうだったな」
正確には本来の人数は他の班と変わらない。ただ班員の一人である清水さんがいないから、その分だけ少なくなっていたのだった。誰かと一緒に調理できると思っていたから、一人だけで食材を切ることになって少し残念だったことを思い出した。
「おい」
「し、清水さん? ど、どうかしましたか?」
清水さんの突然の発言に今野君は青ざめ、もうパニック寸前だ。
「どうしたの?」
「私もやる」
「はい?」
今野君は信じられないことを聞いたような表情をしている。
「だから私も食材を切るって言ったんだ。元は二人でする作業なら、担当する作業がない私がしたっていいだろ。それに何かしないとサボり扱いになりそうだし……」
やや早口だったが、要は清水さんが食材を切る作業を手伝ってくれるということだろう。ただそうなると一つ気になることがある。
「一緒にやってくれるのは嬉しいんだけど、清水さんって包丁使ったことある?」
「……問題ねえ」
今の間はなんだろう。言葉にできない不安を感じた。
「もう一度聞くけど清水さん包丁ちゃんと使える?」
「……問題ない」
再度聞いても回答までの間はなくならない。清水さんに目を合わせようとしてもそっぽを向いていて合わない。不安になるけど本人のやりたい気持ちは尊重したい。
「分かった。みんなもそれでいいかな?」
他の班員に確認すると全員こくりと頷いた。中にはほっとした表情の人もいる。おそらく清水さんと同じ係になりたくなかったのだろう。
「それじゃあ決まりだね。よろしく清水さん」
「お、おう」
こうして僕だけが担当だった食材を切る作業を、清水さんが手伝ってくれることになったのだった。
「清水さん、まずはキャベツをちょうどいい大きさに切ってくれる?」
「分かった」
今回切る食材はキャベツ、玉ねぎ、ニンジン、豚バラ肉の四種類だ。どれから清水さんに切ってもらうか少し悩んだけど、最初はキャベツを切ってもらうことにした。
僕は何から切ろうかな。豚バラ肉は最後に切るとして、硬くて切りにくいニンジンからにしようか。そんなことを考えながらふと清水さんの方を向くと、そこには逆手持ちで包丁を手にした清水さんがキャベツを眺めていた。
「清水さん? 一旦包丁置こうか」
「……え? おう」
清水さんは頭の上にクエスチョンマークを浮かべながらも素直に指示に従ってくれる。周囲を見回す。幸いクラスメイトは作業や話に夢中でこちらを見ていなかったようだ。危なかった、清水さんの包丁の持ち方を誰かが見ていたら悲鳴が上がっていたかもしれない。
「清水さんに聞きたいんだけど、さっきは何をしようとしてたのかな?」
「何ってキャベツ切れって言っただろ?」
清水さんは不思議そうな表情をしている。
「確かにそう言ったけど、なんで包丁をさっきみたいに持ってたのかな?」
「持ち方?」
「うん。キャベツとかを切る時って基本的にこう持つよね」
包丁を通常の持ち方で持ち、清水さんに見せる。清水さんは僕の包丁の持ち方をじっと見ると同時にその顔は急速に赤くなっていった。
「き、緊張してたんだ。いつもはそんな感じで持ってる」
「確かに人の前で料理するのは緊張するよね」
包丁を元の位置に置く。緊張して包丁を逆手持ちするのは初めて見たけど、きっと世の中にはそういう人もいるのだろう。
「そうだ、少し緊張しただけだ。それで持ち方は分かったからキャベツ切ってもいいか?」
「大丈夫だよ。分からないことがあったら聞いてね」
「分かった」
清水さんは包丁を今度は普通に持ち、キャベツ一玉をもう一方の手で鷲掴みにした。そして包丁の刃をキャベツの端に近づけた。
「清水さんストップ! ちょっと待って!」
「今度はなんだ?」
清水さんが、なんでという顔をしながら包丁を置く。
「色々言いたいけどまずキャベツをどんな風に切ろうとしたの?」
「キャベツっていったら千切りだろ」
その目は澄み切っていて、冗談で言っていないと一目で分かった。
「その認識も間違いじゃないけど、今回は肉野菜炒めに使うから千切りじゃないんだよ」
「そうなのか?」
僕が清水さんの方を見ていなかったら、うちの班は、肉野菜炒めキャベツの千切りを添えてになるところだったみたいだ。
「それならどれくらいの大きさに切るんだ?」
「キャベツを切る大きさは後で僕が実際に切って教えるね。次にキャベツの切り方だけど、そのままの状態で切ると丸くて不安定で危ないから最初に、半分に切るんだよ」
「……なるほど」
これも知らなかったみたいだ。本当にケガする前に見つけられてよかった。
「切り方は分かった。キャベツ切っていいか?」
「うん。気をつけて切ってね」
清水さんが三度包丁を握る。見ているこちらも緊張してくる。清水さんはキャベツを左手でしっかり固定しキャベツの真ん中に刃を入れ、難なく両断した。
「これでいいか?」
清水さんはどこか不安げだ。僕の二度にわたる指摘が原因かもしれない。
「うん、大丈夫。綺麗に切れたね」
「そうか……。ならいい」
清水さんはほっとしたように見える。心なしか顔も少し赤くなっている気がする。
「うん。この調子で切っていこうか」
「お、おう」
この後も何度かアドバイスはしたけど、清水さんはなんとかキャベツを切り終えることができたのだった。
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