第4話 清水さんと美術の授業③

「みんな準備できたみたいだな。それではスタート!」


 先生のそのかけ声と共に、僕を含めた最初に描く方の生徒たちは一斉に手を動かし始めた。


僕はまず大雑把な全体像を描いていくことにした。ジッと清水さんを見つめる。ツヤのある綺麗な黒いロングヘアにスラリと伸びた手足、背丈も女の子の中では高い方で、改めて見るとモデルさんと言われても納得してしまうスタイルの良さだ。足を組んでいることもあり、その健康的な脚部に自然と目が行く。


「おい本堂、手が止まってるぞ」

「あ、ごめん」


 声をかけられハッとする。清水さんを眺めることに夢中で手を動かしていなかった。刺すような視線を感じる。僕が清水さんの足をじっと見つめていたことに気づいていたのかもしれない。


急いでスケッチを描き進める。制限時間の半分も経たないうちに大まかな全体像を描き上げることができた。ただ、早さを優先したために細かい部分は省略してしまっていた。その省略した箇所の一つである顔を描くために僕は清水さんの顔に視線を移した。


(やっぱり綺麗だな清水さん……)


 眼はつり目でその上にあるまつ毛は長い。鼻や唇など他の顔のパーツ一つ一つも整っていてその顔を見た人は全員が綺麗とか美しいと感じるのではないだろうか。実際、俊也曰く容姿は良いから、あの性格でさえなければ付き合いたいと考えている男子は意外と多いのだという。


 詳しく描くために清水さんの顔を見ていると、清水さんが突然顔を横に向けた。


「清水さん? 今ちょっと顔を描いているから動かないでほしいな」

「だって……お前が……」


 唇の動きから清水さんが何か言っていることは分かるが声が小さくて何を言っているかまでは分からない。


「ごめん、清水さん。もう一度言ってもらえるかな?」

「むぅ」


 清水さんが顔をこちらに向け視線で抗議してくる。僕の方に顔を向けてくれている今が描くチャンスかと思ったが、今の不機嫌そうな顔を描くと後で清水さんに怒られる気がする。


「と、とにかく顔は最後にしろ。こっちにも色々あるんだよ」

「分かった。別のところを先に描くね」


 本当はあまりよく分かってないが清水さんにも何か事情があるらしい。仕方がないので、僕は首から下を先に描くことにした。視線を少し下に向ける。人の頭よりも少し下には首、更にもう少し下には胸部がある。僕の視線は自然と清水さんのその胸に移動した。清水さんは現在腕組みをしていて、その存在感のある胸部が余計に存在感を放っている。


「お、おい本堂。お前、そんな真剣な目でどこを見てんだ!」


 僕の見ている部分に気づいた清水さんが声を上げる。


「どこって……首の少し下を」


 あなたの胸を見ていましたと正直に言う度胸を僕は持ち合わせていなかった。清水さんが自分の胸部を隠すように両腕を移動させる。


「なんでそんなところ見てんだ!」

「清水さんが顔以外を先に描いてっていうからその少し下を描こうと思って。他意はないんだよ。本当にごめん!」


 謝ると自分の非を認めることになる気がするけど、でも謝罪以外にこの場をうまく収める方法が思いつかない。僕は精一杯の誠意を込めて謝った。


「本当に他意はないのか」

「うん」

「一ミリもないって言いきれるか」

「うん。ないよ」

「そうか……」


 清水さんはなんで残念そうなのか。異性からのよこしまな視線って嫌だと感じるものではないのか。もう一度考える。僕は清水さんの胸を見た時に本当に何も感じなかったか。いや、正直なところ、不意打ちだったこともあって少しドキッとしてしまった気がする。


「ごめん清水さん。僕嘘ついた」

「えっ」

「他意はないって言ったけど、本当は一ミリ……いや二ミリくらいありました。ごめん」


 清水さんに向かって頭を下げる。このことで後悔したくないから、今のうちに清水さんに怒られてでも謝ってしまいたかった。ゆっくり頭を上げると清水さんが僕を見ていた。


「お前は私のその……そこを見てちょっと色々考えたと」

「う、うん」

「ま、まあ今回は許す。私もちょっと神経質だったし……。さっき見てたところも、そういう目で見ないなら描く時に見てもいい。ただ条件がある」

「何かな?」

「次から動かないようにするから私のことちゃんと描け……」


 清水さんは少しいつもより小さな声で僕にそう言った。


「分かった。任せて」


 僕は残り時間で、先ほどまでよりもっと頑張って清水さんを描こうと心に決めた。




「あと三分だ。まだ時間は残ってるけど遅れてると思う奴は少し急げよ」


 先生が残り時間を告げる。あの会話の後、僕は順調にスケッチを進めていた。清水さんも宣言通り動かずにいてくれた。いよいよあとしっかり描いていない箇所は顔だけになった。


「清水さんこれから顔を見るけどいいかな?」


 念のため確認をとる。一応顔も大まかには描いているから、残り時間を使って描けば清水さんの顔を直接見なくてもそれなりのクオリティにはなる。


「お、おう。来い!」


 どうやら清水さんも覚悟を決めたようだ。なぜそこまでの覚悟を必要とするのかはまだ分からないけど。


「それじゃあ描いていくね」


 清水さんの顔を見る。その表情は強張っていて、眼光は見る者を射殺さんばかりに鋭い。


「もう少しリラックスしようか清水さん」


 このままだと、すごい剣幕でこちらを睨みつける清水さんを描くことになってしまう。


「なんだよ。わ、私が緊張してるって言うのか?」

「そうだと思ってるんだけど……」


 逆に緊張でなければ、なんでそんなに表情が強張っているのか分からない。


「ちょっと待て」

「分かった」


 清水さんはゆっくり目をつぶり数秒ほどしたのち、目をカッと見開いた。


「どうだ?」

「あまり変わってないかな……」

「本気で言ってんのか?」

「ここで嘘はつかないよ」

「ぐぬぬ……」


 清水さんは悔しそうな表情をしている。


「ふふっ」

「何が面白いんだよ。こっちは真剣にやってんだぞ」


 思わず笑ってしまった。清水さんはまじめにやっていたのを笑われたと解釈したらしい。誤解は早いうちに解いておかなければ。


「いや、出会った頃は、こんなに清水さんが色々な表情をすると思わなかったからさ。清水さんと話すようになってよかったなと思って」

「なっ、お前」


 清水さんの顔がみるみるうちに赤くなっていく。そんな恥ずかしいことを言ったつもりはなかったのだけど。


「……お前、誰にでもそんなこと言ってるのか?」


 清水さんがジトッと僕を見つめてくる。僕はどういう人間だと思われているのだろう。


「こんなこと言ったのは清水さんが初めてだと思うよ」

「……ならいい。ほら、残り時間も少ないしとっとと描け」


 そう言った清水さんの表情からさっきまでの強張りはなくなっていた。僕はその表情が変わらないうちに、と大急ぎで鉛筆を走らせた。




「十分経ったぞ。まだ時間欲しい奴はいるか?」


 美術室を見回すが、手を挙げている人は見られない。


「みんな時間内に描けたみたいだな。そしたら少し休憩するか。先生が始めるって言うまで少し休んでていいぞ」


 その声と共に美術室が騒がしくなる。知り合い同士でペアを組んでいる生徒が多いからかいつもより近くの人と会話している人が多い。


「清水さんお疲れ様」

「おう」

「モデルしてくれてありがとね」


 途中何度かハプニングはあったけど、最終的にはスケッチを無事完成させることができた。これは清水さんが協力してくれたおかげだろう。


「……ああ」

「大丈夫?」


 清水さんは少し疲れているように見える。絵のモデルは思っていたより大変らしい。


「これくらいなんてことねえ。それより描いた絵見せろ」

「分かった。はい、どうぞ」


 持っていたスケッチブックを清水さんに手渡す。清水さんはスケッチブックを受け取ると先ほどまで描いていたページをまじまじと見た。


「どうかな?」


 美術部の人ほどではないと思うが、僕も絵を描くのは好きな方だ。十分間で精一杯描いたつもりだけど清水さんの目にはどう映っているのだろうか。


「……いいんじゃねえか。私から見ても私だってすぐに分かるし」


 その言葉を聞いて胸をなでおろす。これで全然似てないとか言われたら、頑張ってくれた清水さんに対して謝らないといけないところだった。


「良かった。そう言ってくれて嬉しいよ」

「ただ一つ聞いていいか?」

「何が気になるの?」

「なんで頬のところ薄く色塗ってるんだ?」


 何を聞かれるか不安だったけどそれなら答えられる。


「清水さんの顔を描いてる時ずっと赤かったから、軽く色つけたんだよ」

「なっ」


 清水さんは頬に両手で触る。どうやら自分では気づいてなかったようだ。


「……本堂、お前このこと人に言うなよ」

「えっ? うん、分かった」


 清水さんにとっては知られたくないことだったらしい。これは僕の記憶の中だけに封印しておこう。別に誰かに言うつもりもなかったけど。


「休憩終了だ。次は描く奴とモデルを逆にしてもう一回十分間で描くぞ。準備してくれ」


 先生のその声を聞き美術室にいる生徒たちが準備を始める。


「今度は僕がモデルの番だね。何かしてほしいポーズとかある?」

「別にどんな体勢でもいい」


 特に指定がなかったので、膝に手をつけ清水さんの方を向いて座る。


「準備できたか? それではスタート!」


 開始の宣言と共にまっすぐ清水さんの目に視線を合わせる。視線に気づいた清水さんはスケッチブックを盾にして顔を隠した。


「清水さん?」

「そんな真剣な目で見つめてくるんじゃねえ……」

「まだ視線に慣れてなかったの?」


 結局清水さんが僕の顔のスケッチを始めたのは、残り時間が半分を切ってからだった。

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