隣の席のヤンキー清水さんが髪を黒く染めてきた

底花

第1話 清水さんが髪を黒く染めてきた

大輝だいき、恋バナしようぜ」

「突然だね?」


 放課後、帰宅部の僕が学校に残る用事も今日は特になく帰ろうとしていると、友人である松岡俊也まつおかしゅんやに声をかけられた。


「いやさ、俺たち高一からの仲だけど恋愛方面の話ってあまりしたことなかったじゃん」


 確かに僕と俊也は高校一年のはじめに席が近かったことで話すようになり、次第に仲良くなった。高校二年生になった今も友達としての関係は変わらない。それに恋愛話をしたことがないことも事実だ。ただ僕にはいくつか言いたいことがあった。


「まあ確かにないけどさ。こういう話は修学旅行の夜とかに男子数人で集まってこっそりするものじゃない? というか今から俊也、部活でしょ」


 帰宅部の僕と違い俊也はサッカー部に所属している。だから僕と教室でしゃべっている暇はないと思うのだけど。


「今日は部活始まるまで時間に少し余裕あるから大丈夫。ということで、ただいまから俺と本堂ほんどう大輝による恋バナを始めていきたいと思います!」


 俊也の誰に向けてか分からない宣言を聞き、僕は意見することを諦めた。こうなった俊也はこれまでの経験上誰にも止められない。


 さっと辺りを見渡すが放課後の教室に残っている人は少なく、僕たちの話に興味を持つ人はいないようだ。


 ただ一つ懸念があるとすれば、僕の隣の席にまだ清水しみずさんが座っていることだろうか。


 清水けいさんはうちの高校で有名なヤンキーである。清水さんの腰の下まで伸びたその綺麗な髪は、校則で染髪が禁止されているにも関わらずどう見ても完全な金色だ。制服は当たり前のように着崩していて、ネックレスやピアスなどの装飾品も身に着けている。


その派手な髪色を先生から注意されても、逆にギロリと睨みつけられた先生の方が泣きそうになるなど清水さんの武勇伝はいくつもある。それらが原因なのか清水さんは同学年だけでなく後輩や先輩にも広く恐れられている。


 そんな清水さんと僕はなんの因果か高校生になってからずっと同じクラスだ。清水さんは普段授業が終わったらすぐ帰るから、まだ教室に残っているのは珍しい。机にうつ伏せになったまま動かないからきっと寝ているのだと思われる。寝ているなら横で話していても大丈夫か。


「最初の質問。大輝って好きな女の子いるか?」


 僕の意識が隣の清水さんの方に向いていると、俊也がいきなり核心をつく質問をしてきた。


「その質問って恋バナの中でも最後の最後に聞く内容じゃない?」

「俺はショートケーキのイチゴは最初に食べる派なんだよ。それでどうなんだ?」


 その例えはなんかちょっと違う気がするけど、聞かれたからには答えよう。


「いないよ」

「なんだつまんないの」


 こちらがまじめに答えたというのに、俊也の顔はどこか不満げだ。僕の口から気になる人がいるという言葉が出ることを期待していたのだろう。


「そういう俊也はどうなのさ」

 意趣返しというわけではないけど、僕も俊也に質問を返すことにした。まあいたとしても答えられないと思う……。


「俺は瀬戸せとさんが好きだ」

 即答だった。全く悩むそぶりがなかった。こんな形で俊也の想い人を知ることになるとは。


 再度周りを確認するが、幸い俊也の宣言を聞いていたのは僕だけのようだ。


 瀬戸さんは一年から僕たちとクラスが同じ女の子だ。ただクラスの中ではあまり目立つタイプでなく、僕は瀬戸さんのことをあまりよく知らない。


「こんなところでそんな重要なこと言って良かったの?」

「別に隠すようなことじゃないからな。それに知られたって困らないし」


 二年生でサッカー部のエースをしていて女子からの人気がある俊也に、好きな人がいると知られたら大ニュースになると思うけど。


「それより、大輝は気になる子がいないなら、こんな女の子が好きとかないのか?」


 僕の心配をよそに俊也はまだまだ恋バナを続けるつもりみたいだ。俊也はさっきの質問に答えてくれたのだから、今度は僕もちゃんと答えなければいけない。

ただ、いきなり異性の好きなところを聞かれてもすぐには思いつかない。


「うーん」

「そこまで難しく考えなくてもいいんだぞ。可愛い子がタイプとか綺麗な子がタイプとかそんな大雑把なやつでもいいから」


 そうか、内面ばかり考えていたけど異性を好きになる条件には外見もあるのか。もう一度考えてみると一つ思いついた要素があった。


「それなら清楚な子が好みかな」

「なるほど、大輝は清楚な女の子が好みなのか。それで具体的にはどんな感じだ?」

「具体的にというと?」

「清楚って言っても人によってイメージする姿が結構違うと思うんだよな。だから大輝が思う清楚な子がどんなイメージなのか知りたいわけ」


 確かに清楚という言葉だけでは少々抽象的かもしれない。


「僕が思う清楚な子は制服をきっちりと着ていて……」

「ふむふむ。他には?」

「髪はできれば黒髪で……」

「ふむふむ。話ちょっと逸れるけど、大輝って好きな髪の長さショート派? ロング派?」

「どちらかといえばロング派かな」

「ふむふむ。ちなみに俺は瀬戸さんがショートだから今はショート派だ」


 別に聞いてないけど。というか、俊也は瀬戸さんが何かの拍子に髪を伸ばしたらロング派に寝返りそうだ。


「話を戻すがアクセサリーはどう? うちだとあまり派手じゃないなら黙認されてるけど」

「目立ちすぎないような装飾ならいいと思う」

「まあ分かった。大輝の好みである清楚な女の子は、制服を着崩してなくてシンプルな装飾の黒髪ロングの子ってわけだ」

「そうだね」


 僕の中ではそこまで具体的な想像はしていなかったけど、間違ってはいない気がする。


「よしよし面白くなってきたな。次は何を聞こうか……」

「俊也、そういえば時間はまだ大丈夫なの?」

「今日は時間に少し余裕あるって言っただろ……ってもうこんな時間か!」


 俊也が慌てて席を立ち荷物を持つ。


「ごめん、そろそろ部活始めるから行くわ。また恋バナの続きしような大輝!」


 俊也はまた恋バナをする気なのか。僕は俊也の好きな人が知れてもう満足したのだけど。僕がそう告げる前に、俊也は足早に教室から出ていった。






 翌日、教室に着くと清水さんの席に誰かがうつ伏せになって寝ていた。

 誰かと表現したのは、その人が腰よりも下まで伸びる綺麗な黒髪の持ち主だったからだ。うちのクラスに清水さんを除いてここまで髪の長い人がいただろうか。もしかすると他のクラスの女の子がうっかり教室を間違ったのかもしれない。


 このままだと後から来る清水さんとこの子がお互いに困る可能性がある。僕は清水さんの席を占領している女の子を起こす決心をした。


「おーい」


寝ていると思われる誰かさんの肩をポンポンと叩く。


「あぁ?」


 清水さんだった。もう少し正確に言うと黒い髪の清水さんだった。


 なぜ髪を黒く染めたのか、なぜ今日は制服をあまり着崩さずに着ているのか、なぜいつも着けているネックレスがなくピアスはシンプルなデザインのものに変えたのか、疑問は尽きない。だが今は肩を叩いて起こしてしまった理由を考えなくてはいけない。


「お、おはよう」


 自分で起こしておいておはようも何もあったものではないけど、挨拶するために肩を叩く行為はそこまで不自然ではないと思いたい。それに普段から僕は清水さんに挨拶をしているからそこまで違和感はないはずだ。


「おう……」


 清水さんが挨拶を返してくれた。良かった、どうやらなんとかなったみたいだ。


「清水さん、髪黒く染めたんだね」

「ああ」

「どうして急に染めたの?」

「なんでって……それは昨日……」


 清水さんの声量が急激に落ちて全く聞き取れない。昨日清水さんに何があったというのだろうか。


「ま、まあいい、今からもう一回寝るから今度は起こすなよ」

「分かった。先生が来るまでは起こさないよ」

「別に起こさなくてもいい」


 それだけ僕に言うと清水さんは再び机にうつ伏せになった。


「おやすみ清水さん」




 今日は激動の一日だった。朝のホームルームに来た担任の湯浅ゆあさ先生は黒髪になった清水さんを見てひとしきり驚いた後に感動して泣き始め、他のクラスメイトたちも、本人には直接言わないけど、清水さんが黒髪に染めた理由について一日中考察していた。


 そんな本日の主役と言っていい清水さんは、クラスのみんなから注目されてずっと機嫌が悪そうだった。


「……こんな騒がれるなんて」


 放課後、清水さんは誰に言うわけでもなくそうぼやいていた。


「別にクラスのみんな、清水さんを悪く言ってるわけじゃないからそこまで気にしなくてもいいと思うよ」

「お、お前聞いてたのかよ」

「ごめん、席が近いから聞こえちゃって」

「……まあいい。でもクラスの奴らが私のことを悪く言ってないかなんて、お前には分かんないだろ」

「それはそうなんだけどさ。清水さんのその黒髪も今日の制服の着こなしもすごくいいと思うからそれを悪く言う人なんて僕はいないと思うんだよね」

「なっ……」


 清水さんの動きがピタッと止まる。僕、なんか変な事言っただろうか。清水さんはしばらく硬直していたが、少し時間が経つといきなりカバンを持って立ち上がった。


「帰る」

「え? また明日ね清水さん」

「ああ」


 清水さんはそれだけ言い残すと、無駄のない動きで教室を後にした。


「僕も帰ろうかな」


 今日は俊也が部活だから恋バナはお休みだ。僕はリュックを背負い、清水さんの後を追いかけるように教室を後にした。

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