Ⅲ. Shooting!

第21話

「冬夕に会いたいなあ」

 ベッドに寝転がり、つぶやく。

「は? 今の、なしなし!」

 あわててわたしは、両手をぶんぶんと振って、空気の泡のように浮かんだその言葉を、かき消す。

 明日になれば、会えるじゃん。


 泣きながら、冬夕と手を繋いで帰ったあの日以来、夏休みが終わる今日まで、わたしは冬夕に会ってない。何度か届いたメッセージを全て既読スルーしているわたしが、冬夕に会いたいなんて、どの口が言っているんだろう。

 手を繋ぎながらも、結局ムーン・コーンズに行かなかったわたしたちは、バイバイ、とかぼそく言い、別れた。


 その日から数える毎日は、残り少ない夏休みとはいえ、永遠のように長く感じた。

 会いたい。

 でも、わたしは、全然、冬夕の隣にふさわしくないのだ。ただのお荷物、いない方がきっとマシだ。

 でも、会いたい……。

 だったら、と心の奥でささやく声がある。 なんで、勉強をさぼっているの?

 とびきり賢い冬夕の、その隣にふさわしくないのを知っていながら、勉強をおろそかにするなんて、本当に愚かだ。

 やる気が出ない。冬夕に会えないからやる気が出ない。でも、冬夕の隣にふさわしいのは勉強のできる人。

 冬夕は、もう大学受験の準備に入っているだろう。追いつけないどころか、差が開く一方だ。

 スプスプを、ふたりでずっと続けていきたいけれど、わたし、冬夕と同じ大学に通える予感がまるでない。


 ベッドの上で、考えが堂々巡りする。

 しばらくして、スマートフォンに通知が入る。

 開けば、ロップイヤーのスタンプが泣いている。吹き出しのセリフは「さみしいよ」。

 なんて声をかけたらいいかわからない。

 わたしは、何度かためらったのち、眉の太いクマのスタンプを送る。吹き出しは「明日、天気になあれ!」

 即座にロップイヤーが、目をハートにして尻尾を振ってやって来る。

 逆だよ、と思う。

 わたしの方が尻尾を振りたいんだよ。

「会いたいのは、わたしなんだよ」

 空気の泡が天井にのぼる。


「おはよう、雪綺」

「おはよう、冬夕」

 わたしたちは、いつもの通学路でぎこちなくあいさつを交わす。

「ヒュー。朝から見せつけるじゃん!」

 陸上部の男子。きっと、手を繋いだわたしたちを見ていた。いいから、さっさと朝練に行きなよ。

 もし、冬夕がいつも通りなら、そんな男子をきっとにらんで、わたしの手を取っただろう。でも、それをしてはくれなかった。期待したわたし、でもそれは自分のせいなんだよ。

 わたしたちは、並んで学校までの道のりを歩く。

「雪綺、わたし、大学を決めた」

 わたしは、即座に涙が出そうになって、ぐっと歯を食いしばる。

「私立文系」

 わたしは、驚いて冬夕を見る。冬夕はまっすぐ前を見つめている。

「教養学部。アーツ・サイエンス学科」

 わたしは、あっ、と思う。そして、その選択は実に冬夕らしいと、なんだか少し得意な気分になる。

「雪綺は、どう?」

 こちらを向いた冬夕の瞳がめずらしく、泳ぐように揺らいでいる。

「どうって……。うん。その大学、冬夕にぴったりだと思うよ。なんだか、最初から決まっていたみたいだ」

「ううん。ここ数日で決めたの。

 それで、雪綺はどう?」

 それって、どういうこと。進路を決めたかということ? それともわたしもその大学を受験せよ、ってこと?

 歩き出して冬夕は続ける。

「私立だし、学費の問題もある。わたしたち、どちらもママはサバイバーだしね。万が一、再発したらってことを考えると、簡単にお願いできない。

 でもね、雪綺の言うように、わたしにぴったりの大学だと思うんだよね。

 それで、はっきり言うけれど、雪綺もいっしょに受験してほしい。ううん、いっしょに合格してほしい。英語のスキルはバカみたいにぐんとあげなくちゃいけないけれど、論理的な思考を育むには、理系でかえってよかった気がするんだよ。もちろん、最初の想定とは違っているんだけれど」

「冬夕とクラスメイトになりたいから理系にしたわたしとは違うよ」

 石ころを蹴飛ばす。

「わたしは雪綺とクラスメイト、キャンパスメイトになりたいから、いっしょに受験して、合格して。簡単とは言わないけれど、果てしなく難しいとも思わない。むしろ国公立の理系よりも、わたしたちにはくみしやすいと考えてもいる」

 すぐに答えを出して、とは言わない。そう言った冬夕の唇がかすかに震えている。

 わたしは、考えてみる、とだけ答える。それって勝手じゃない? しかもハードルが高すぎる。

 黙々とわたしたちは学校を目指した。誰かのおはようの声を、わたしたちは、すべて無視した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る