013.花の仕事
神宮寺家での騒動から2日。
少女たちは普段と変わらぬ日常を送っていた。
学校が始まる直前の通学路を二人の少女が歩いていく。その足取りは軽く、しかしどこか物足りなさを感じていた。
「な〜んか、あんなに濃密な時間だったのに、終わってみれば一日にもならない一瞬だったなんて今でも信じられないなぁ」
普段よりバッグを大きく振りながら歩く花。それを来実は苦笑しながら隣を歩く。
「もう家のみなさんが体調崩すことなくなったんだよね?」
「うん!私も家のみんなも絶好調!普段以上に働いてくれるようになって逆に抑えるのが大変だってママも笑ってたよ!」
「そっか、良かった」
来実は安堵の表情を浮かべる。以前忙しそうに歩き回っていたお手伝いさんたちを思い出し、多少なりとも余裕ができたのなら本当に良かったと思う。
しかし一方で花は振り子にしていたバッグを止め、「でも……」と口を開く。
「それでも一つ不思議なことがあってね」
「不思議なこと?」
「うん。おじいちゃんの遺した契約書や権利書なんだけどね。結局部屋の金庫にあったんだけど、ずっと無い無いって言って総出で一週間くらい探してたの。考えればすぐあの部屋にあるってわかるはずなのに、どうして一週間も思いつかなかったのかなって」
花が挙げた不思議なこと。それは祖父の遺した書類の行方。
あの家では一週間に渡って書類が見つからないと裏で騒ぎになっていた。あの事件の後、花が金庫の中身を両親と共有したことで事なきを得たが、そもそも祖父の部屋と金庫は真っ先に候補に上がるもの。それが一切出てこなかったことに彼女は首を傾げる。
「それは……鈴ちゃんが関係してたのかもね」
来実は自らの記憶を探りながら、一つの可能性を口にする。
「鈴ちゃんが?」
「うん。前にマスターから聞いたんだけど、人は悪意のある霊がいる部屋や物を無意識的に思い出さないようにしちゃうんだって。どんなに霊感がない人でも危機回避のためにほんの少しは感じ取れるみたいだから」
「それって第六感的な?」
「うんうん」
花の言葉に言い得て妙だと大きく頷く。
「そんなものなんだねぇ。あの時見えてたお化けも次の日には何にも見えなくなっちゃったし、また同じようなことがあったら困っちゃうなぁ」
「ううん、見えたままのはずだよ。幽霊ってあんまり数いないから、単に花の前に出てきてないだけだと思う」
「ほんとっ!?アレって一時的じゃなかったの!?」
来実の言葉に目を輝かせる花。そんな顔を見て霊への恐怖心が薄れていることを喜ばしく思うと同時に微笑ましく感じる。
「マスターが見えるようにしてくれたの、一時的じゃなくてずっとだから。ごめんね、勝手にやった上に事後報告で」
「ううん!嬉しい!そっかぁ……また鈴ちゃんにも会えるかなぁ?」
「うん、きっと会えるよ」
二人して見上げる雲ひとつない青空。
あの時花に抱きしめられた鈴は、間も無く無言で家を出ていってしまった。
その後は零士の号令により解散となり日常へと戻っていったが、心の中ではまだわだかまりが残ったまま。もう一度会いたいと思いつつも見えなくなったという思い込みから諦めていた分、希望が見えてきて花の心は軽くなる。
「……そうだ!来実ちゃん、今日ってバイトの日?」
「えっ?うん。今日もバイトだよ。もしかしてどこか遊びに行きたかった?」
「ううんっ!そうじゃなくって!えっと、私も用事があったから!遊べないなって!」
「? そう?」
なにやら普段とは違う挙動不審さに少しだけ違和感を覚える来実。
しかしそれ以上のことはいくら親友といえどもプライベートな時間。彼女は特に深掘りすることもなく自然と無言が生まれる。
「……その、ね。来実ちゃん」
「なぁに?」
「来実ちゃんは何があっても、ずっと私と親友でいてくれるよね?」
「えっ?うん」
「うん。そうだよね。良かった………」
ほうと息を吐く花に、来実は隣の彼女を見る。
真っ直ぐ前を見ている花。その顔は安堵とともに清々しく、なにやら不穏な物言いにほんの少しだけ不安な気持ちに襲われるのであった。
――そしてその予感が的中するのは、放課後になってからのことである。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「はっ!はっ!はっ!」
多くの人々が行き交う街の大通りから何本か曲がった路地。
初めて通る者なら尻込みするような、人通りのない道を少女は急いで駆けていく。
「やっちゃった!もう大遅刻だよ!!」
水たまりが大きく跳ねることも気にせずに、来実は走り続けた。人生初の大遅刻という事態に直面しているのだ。
普段は品行方正で曲がったことを嫌う来実。時刻管理もバッチリでこれまで遅刻とは無縁の人生を送っていた。しかし放課後に先生から突然命じられた新たな仕事が思いの外手間取り、大遅刻となってしまった。
もちろん零士には連絡済みで「ゆっくりおいで」と言われてはいるものの、真面目な性格ゆえにあまり待たせるわけにはいかない。加えて、雇用主の零士は目を離すとすぐにサボるものだから、監督役の自分が一刻も早く着かなければならないと来実の足は更に速く動いた。
あと一つ曲がれば目的の店に着く。
この道も今ではすっかり慣れたものだ。最初は迷ったこともあったが、今は勝手知ったる裏路地。店の前にいつもいる猫は普段通り眠そうにしているのを見てホッとしながら扉を勢いよく開け放つ。
「マスター!ごめんなさい!ただいま到着しました!!」
「お帰りなさいませご主人様!お待ちしておりましたぁ!!」
「…………はえ?」
扉を開けた瞬間、聞き慣れない歓迎の声が耳に入る。
まるでメイド喫茶と居酒屋を合体させたかのようなハイブリット挨拶。別の飲食店に来たかのようなその声に、店を間違えたのかと呆然とする。
しかし店を間違えたわけでははない。間違いなく自分が勤める喫茶店だ。
そして目の前にいたのは黒いパンツに白いシャツ、そしてエプロンと、この店の制服を身に包んだ一人の少女。朝も目にした親友の――――
「花!?」
自分が働く店で出迎えてくれたのは親友の花だった。しかしその格好は………。
「神宮寺さん、そういう挨拶はいらないからね?普通でいいからね?」
「え〜?こっちの方が可愛くないですかぁ? それに私のことは“花“でいいですってばぁ」
「……神宮寺さん」
「花でいいですってばぁ!むぅ〜! ……って、誰かと思ったら来実ちゃんだぁ!いらっしゃい!」
「な、なんでここに!?」
間違いない。
零士と言い争っていた親友の見慣れない姿に目を大きく見開く。
「来実ちゃんもやってることだし、私もこの喫茶店でバイトしたいなって!マスターさんに言ったら快くオッケーしてくれたよ!」
「嘘つけ。10回は断った上に最後は泣き落としじゃないか」
「来実ちゃん!マスターさんってば酷いんだよ!せっかくのバイト初日だっていうのになにも教えないどころか一人サボってるんだもん!これってズルくない!?」
マシンガンの如く注ぎ込まれる情報量に来実の脳内は思考がフリーズする。
花が……バイト?いろいろと聞きたいことは山程あるが、何より来実が気になったのが……。
「花、その制服……大きくない?」
「あ、これ?マスターさんの借りたんだぁ。来実ちゃんのを借りようと思ったけど胸の辺りがキツくって」
「…………マスター?」
「いや、違うんだ。聞いてくれ。押し切られてどうしようもなかったんだ」
ギギギ……と壊れかけの人形のような挙動で零士へ視線を送ると慌てて弁解を始める姿が。
自分でも収拾がつかない謎の感情。なんとかその心を抑えつけていると後ろから花に抱きつかれる。
「えへへ。一緒にバイト、頑張ろうね!」
「う、うん……」
後ろから抱きついて満面の笑みを浮かべる花に複雑な感情を抱く来実。
どうやって発散するものかと思った次の瞬間、フワリと風が吹いたと思いきや、二人の近の机に何者かが降り立った。
「――――まぁ。相変わらず二人は百合百合してるわね」
「えっ……?」
その姿は先日も目にした少女。
つまらなそうにこちらを見つめ、机の上で足を組んでいる少女の名は……
「「鈴ちゃん!?」」
「久しぶり……でもないわね。先日ぶり」
驚く二人の姿に片手を挙げて応えたのは、先日騒ぎを起こした幽霊、鈴だった。
前と全く変わらぬその姿見て、成仏したのではないかと心配していた二人は、目に喜びの光を浮かべる。
「鈴ちゃん!今日までなにしてたの!?心配してたんだよ!」
「ちょっとね。あのあと孤児院跡地に行って気持ちの整理をつけてたのよ。その後マスターとやらと今後について話をしたけど、聞いてない?」
バッと来実が零士に視線を向けるが、彼は片手を上げて応えるだけに留められた。きっとサプライズにしたかったのだろう。確信犯の彼には後で問い詰めることを心に決める。
「〜〜〜!もうこの際なんでもいいっ!戻ってきてくれて嬉しいっ!」
「あっ!花!そんなに勢いよく飛びついたら机に……!」
「ふにゃっ!!」
「あぁ……」
遅かったか。と、来実は顔を覆う。
喜びのあまり霊に飛びついてすり抜け、机に激突した花。それでもめげずにすぐに起き上がり、涙混じりの笑顔を見せる。
「……約束しちゃったから、ね」
「約束?」
「あなたが言い出したんでしょう?一緒に遊んでくれるって。それで成仏も思いとどまったんだから、忘れたとは言わせないわよ」
「〜〜!鈴ちゃ〜ん!」
「あぁ、それと――」
さっき机にぶつかったのに関わらず、またも飛びつこうとする花を鈴は制して止める。
「――それと、私は見た目は幼いけど享年16歳で生きてたら今は20歳。“ちゃん”付けって年齢でもないから覚えておいて?」
「うんっ!わかったよ!鈴ちゃん!」
「本当にわかってるの!?」
花の言葉に見事突っ込みを入れる鈴。
二人喜ぶ姿を横目に、来実はそっとカウンターへと足を向けた。
「……まさか花を雇うなんて思いもしませんでした」
「鬼のような押しと泣き落としにあってな。根負けしてしまった。悪いな」
「別に、いいですけど。やっぱりマスターは花みたいな女の子らしいスタイルの子が好きなんですか?」
「そういうわけじゃないんだが……。もしかして怒ってるのか?」
「別に。怒ってなんか……」
ぶぅ、と頬を膨らませた来実は零士の隣に腰掛けてフイっと顔を背ける。
それは小さな抵抗。自分がいるのに……というささやかな嫉妬心。
自身でも自覚するつまらない心に「はぁ」と息を吐くと不意に背中から「来実ちゃん!」との呼び声と共に再び花に抱きつかれる。
「ひゃっ!」
「来実ちゃん!またみんな一緒だね!一緒に遊ぼうね!」
「う、うん。そうだね……」
(……それとごめんね。私もマスターさんのこと好きになっちゃったみたい)
「へ?…………えっ!?」
耳元で囁かれた彼女の言葉に最初は意味を理解することができなかった。
ようやくその言葉を理解し、慌てて振り返ると花はいつの間にやら元の場所へ戻って鈴と話している。
「どうかしたのか?井上さん」
「……いえ。なんでもありません」
不幸中の幸い。どうやら声が小さかったおかげで零士には届いていないみたいだ。
その事実にホッとすると同時に、思わぬ人物がライバルとなったことに驚きと納得が広がった。
朝、"親友"と強調した理由はこれだったのか。親友だけど、だからこそ負けないという宣戦布告なのだと来実は理解する。
「マスター」
「うん?」
「マスターの……えっち」
「!? なんで!?」
来実から放たれる唐突な罵倒に零士は目を丸くする。
それは零士が花を落としたことによる小さな怒りの発散であり、完全なる八つ当たり。
「さ、私も着替えてきますから仕事しましょう。えっちなマスターもちゃんとサボらず働いてくださいね」
「働くのはわかったけど、俺何かした?やっぱり怒ってる?」
「ふふっ、なんででしょうね」
理由のわからない怒りにしょぼくれる零士と、背を向けて微笑む来実。
ここ街外にある小さな喫茶店。
今日もお客は誰も来ない。
けれど店内は暖かな笑顔に包まれた心地よい時間が流れていくのだった。
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