012.霊の心

「おじいちゃんっ!」


 過去の記憶。


 身長100センチ前後の亜麻色の髪の少女は、今日も大好きな祖父の部屋へ遊びに来ていた。

 部屋にはロッキングチェアに深く腰掛け、資料に目を通している男性が一人。彼は自らを呼ぶ声にモノクルを外して笑みを浮かべる。


「――あぁ、花。いらっしゃい。今日も来たんだね」

「うん!おじいちゃんは何読んでるの?また難しいご本?」

「これかい?これは事業報告書といって……」

「じぎょーほーこく?」

「……まぁ、難しい本だね」


 幼い少女にはまだ早いと結論に至った男性は、柔和な笑みを浮かべて書類を置いた。

 机には積み重なった書類がたくさんあるが、少女はそれを見ても当然理解できず、早々に興味を失ってしまう。


「聞いて聞いておじいちゃん!今日ね、かけっこがあって、はな一位だったんだよ!」

「そうかい?すごいねぇ」

「おじいちゃんは?今日何してたの?」

「おじいちゃんはね、花みたいな子たちを助けるための準備をしていたんだよ」

「助ける?」


 まだ幼い少女にとっての世界は学校とこの家だけ。

 "助ける"という言葉の意味は物語などで理解しているものの、実際に言われても現実味がなく首をかしげる。


「そうだよ。運営理事……知り合いから、そろそろお家が危ないかもって言われてね」

「そんな!じゃあ早く助けなきゃ!」

「そうだね。助けなきゃね。どれだけ力になれるかわからないけど……」


 彼の会社は慈善団体ではなく立派な営利団体。

 助けたいと安易に口にしても簡単には動けない。思いつきや独断で行動するには巨大になり過ぎていた。

 男性は少女の純真さを羨ましく思いつつ、机の上の書類のうちいくつかをまとめ、机下に設置された金庫にしまい込んだ。


「……花」

「なぁに?」

「もし、もしもだよ。おじいちゃんに何かがあったら、この箱を頼めるかい?」


 彼が示したのは、様々な書類が収められた金庫。唐突なお願いに少女はまた首をかしげる。


「何かってなぁに?」

「そうだね、おじいちゃんが旅行に行ってる最中にこの箱の中身が必要になった時とか」

「えっ!?おじいちゃん旅行に行くの!?」

「ははは、いつかの話だよ。そう遠くないうちにね」


 目を輝かせる少女に今ではないと首を振る。

 旅行といっても目的地は随分と遠くの旅だが。


「うん!任せて!!」

「はは、ありがたいな。それじゃあ開け方を教えよう。パパにもママにも教えていない大事な箱だ。きっと使うのは花が大人になってからだろうけど、その時は花の大切な人と一緒に、この家を頼んだよ」

「大切な……? うんっ!!」


 少女はわからないなりに、わかる部分を元気よく頷いた。

 それは随分と過去の記憶。

 少女と祖父の、大事な約束の記憶である。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「あいた!開きました!マスター、手伝ってください!」


 花のスカート事件から仕切り直しをして数分。

 なんとか立ち直った彼女は再び机下の金庫の解錠に挑み、あまり苦戦することなく扉を開いてみせた。

 彼女の呼びかけに応えた零士も、机下に飛び込んでスマホのライトで照らしながら書類を確認する。


「どうです?手がかりになるものはここにあると思うのですが」

「どれどれ……これは土地の権利書。これは会社の契約書……。うわっ、重要書類のオンパレードだな」


 ザッと見るだけでもわかる、大切な書類の山。

 これらを全部精査するとなると日が暮れてしまう。どうしたものかと漁っていると、ふと異質な感触に触れた。


「……ん?これはクリアファイルか?」


 他の書類はチューブファイルに収められているのに、これだけクリアファイルに入っている異質さ。

 抜き出して光を当てると、今回の件と思しき施設名が記載されていた。


「もしかしてこれかも。神宮寺さん、ちょっとこれ外で見ていいか?……神宮寺さん?」


 ここで書類を調べるにはスペースも光量も足りない。

 すぐ隣にいる花へ呼びかけた零士だったが反応がなく、どうしたのだろうと視線を向けてみる。


「…………大切……な……」


 隣では花が零士と同じように潜り込んでいた。しかしその瞳は焦点が合っておらずボーッ書類に目を向けることなく零士を見つめていた。

 視線の先は零士に向けられているが、意識はここにない。小さく何かを呟いたような気がしたが零士の耳には届くことなく、文字通り心此処に有らずといった様子だ。

 まさか鈴に何かやられたのかと焦りかけたが、数度目の呼びかけに「えっ?」と意識を取り戻すようにうようやく焦点が合った。


「神宮寺さん、このファイルを明るいところで見たいんだけど、いいかな?」

「えっ……あ、はいっ!大丈夫……大丈夫です!何でもお読みくだ――――いったぁ!!」


 ガァンッ!!

 花が意識を取り戻した途端、心地よい音が頭上に響き渡った。


「神宮寺さん!?」

「花っ!?」


 突然の覚醒に辺りの警戒を疎かに、勢いよく身体を起こそうとしたのだろう。

 しかし残念ながら二人とも机下に潜り込んでいる状態。そのまま立ち上がろうとしたらどうなるかは火を見るより明らか。

 見事頭上に頭をぶつけた花は頭を抑えながらヘナヘナと倒れ込む。


「花!?大丈夫!?なにがあったの!?」

「だ、大丈夫……。ただちょっと、ビックリしちゃって」

「ビックリ……?またマスターが変なことしたんですか?」

「い、いや!俺は何もしてないぞ!無罪だ!!」


 助けに入った来実が睨むのを零士は必死に否定する。

 突然飛び上がられたのだから彼にとっても何がなんだかわからない。それでも信じてもらえていないのか来実の視線は鋭いまま。


「本当ですか?さっき花のパンツ凝視してましたし、欲情していたんじゃ……」

「してないからな!?」


 痛そうに頭を抑える花をギュッと抱きしめる来実。


「そういうのは花じゃなく私に………じゃなくって!花は私の親友なんですから渡しませんからね!!」


 来実まで混乱し始めたかと謎なことをいい出した。

 もはや濡れ衣も甚だしい。誤解を加速させる二人になんて言おうかと立ち尽くしていると、ふと何者かが近寄ってきた気配が隣で立ち止まる。


「――――それがあなた達の言ってた調べたいもの?」

「……鈴か」


 近寄ってきたのはさっきまで部屋の隅で様子を伺っていた少女、鈴。

 彼女の視線は零士の手にあるクリアファイルに向けられており、彼の言葉に顔を上げるとムッとした表情を見せる。


「勝手に名前で呼ばないで。それよりこれがそうなの?」

「わからん。でも可能性はある」

「……へぇ」


 少しだけ口角を上げて感嘆の声を上げる鈴。

 早く見せろと言わんばかりの視線に零士はその場で中の書類を取り出し幾つかを精査する。


「『陽だまりの里』……これは所属していた孤児院か?」

「そうね。私がいた孤児院よ」


 どうやらこのファイルで正解のようだ。

 鈴のお墨付きを得て、零士は来実と花を呼び寄せる。


「これが神宮寺さんの求めてた書類……かもしれない」

「ホント!?見ていい!?」

「あぁ。そもそも俺のじゃないしな」


 ファイルを受け取った花は、そのまま中身をめくりながら目を滑らせる。

 しかし中身は小難しい契約書や謎の数字が書かれたものばかり。今の彼女には理解できず段々と険しい表情に変わっていく。


「んん……これはちょっと、私には難しい――――あれっ?」

「どうしたの?花。なにか見つけた?」

「うん……。これって……手紙?……おじいちゃん宛かも!」


 彼女が取り出した一枚の紙。

 それは三つ折りにされた便箋、誰かからの手紙のようだった。


 「――陽だまりの里、施設長、榊原さんからだ」


 施設長の名前を聞き、鈴がピクリと反応を示す。

 来実も零士もその手紙の内容に期待して耳を傾けた。花は慎重に手紙を広げ、文字を追いながら声に出して読み上げる。


『神宮寺様


 お世話になっております。陽だまりの里、施設長の榊原です。


 貴殿のご支援により、当施設は子どもたちが安心して暮らせる環境を提供できております。


 しかしこの度、我々の孤児院『陽だまりの里』につきまして経営が非常に厳しくなっており、資金繰りが困難な状況に陥っております。運営するための寄付金はもとより、スタッフが集まらない状況です。このままでは子どもたちの生活を支えることができません。つきましては神宮寺家のさらなるご協力を――――』


 日時はおよそ10年前。

 内容は施設の運営状況などが書かれていた。

 シンプルかつ明瞭な手紙。その全てを語るまでもなく意図は理解できた。


「花のおじいさん、色々と手助けしてきたんだね」

「うん……」

「でも足りなくて、資金援助か……」


 そもそも孤児院は昔から運営が危ぶまれていたというわけだ。そこで神宮寺家に助けを求めたと零士は理解する。


「それでこれらは収支報告書に財務諸表か。確かに大赤字だな」


 花から受け取ったファイル。中身の殆どは運営に関する書類だった。

 数年分の経営状況。それらにザッと目を通すも借入金の増大が止まらないことが見て取れる。これじゃ数年で破綻は免れない。まさに火の車だ。


「で、でも!花の家からお金が入ったのなら黒字になるはずじゃ……!?」

「あぁ、井上さんの言う通りある年度から急激に資金が増えてる。でもこれじゃ焼け石に水だな。延命程度にしかならなかっただろうよ」


 いくら金持ちで有名な神宮寺といってもやれることには限度があったのだろう。

 それでも数年は延命できている分、よくやったと言うべきか。


「――――そう。つまり私のやっていたことは全部無意味。逆恨みだったってわけね」


 ――――ふと、そんな声が、隣から聞こえた。

 凛とした冷静な声。そこに怒りの感情は一つもなく諦観。

 腕を組んでハァ、と息を吐いた彼女は真っ直ぐ正面の花を見つめる。


「ごめんなさい。私の勘違いで、あなた達の家に酷いことしてしまったわ」

「い、いやっ!気にしないで!私も……その、あなたに辛いことがあっただなんて理解してあげられなかったし」

「……そうね」


 突然鈴に頭を下げられて困惑する花。

 それさえも鈴にとっては想定通りのようで、頭を上げた彼女は零士の目の前で手を広げて見せた。


「マスター、って呼ばれてたわね。幽霊の私を押し潰せたのなら、消滅させることもできるんじゃなくて?」

「出来なくはないが……いいのか?」

「そんなっ!?マスターさん!?」


 それはまさしく降参のポーズだった。手を広げて諦めの表情を零士に見せつける。


「孤児院が無くなって別の施設に行って、虐められた末に死んだ私にはこの家への復讐しか頭になかったわ。それが勘違いだっていうならもうこの世に存在する意味なんてないもの」

「……そうか」


 様々な思いを呑み込んで短い返答のみに留めた零士は静かに手を掲げる。

 まるで断頭台の執行人のような気分だなと、他人事のように思えた。もう既にこの世にいない霊を完全に消滅させる。二度目の死を迎えさせる行為。

 少なくとも気持ちのいいものではないだろう。それでも誰かがやらなければならない。特に前回の未来とは違い、既に生者へ害をなしているのだ。もう少し遅ければ死者が出ていた可能性もあったのだから見過ごすことはできない。


「また来世では幸せになれるといいな」

「えぇ、そう願っているわ。最期に誤解を解いてくれてありがとう。誰も恨まず旅立つことができそうだわ」

「っ…………」


 グッと唇を噛んだ零士が挙げた手に力を込める。

 それはチートの合図・・・・・・。このまま振り下ろせば彼女が・・・消滅させてくれる。彼は心の中でわだかまる感情を押さえつけ、口の中で広がる血の味を感じながら腕を勢いよく振り下ろ――――


「待って!マスターさん!!」


 零士が腕を振り下ろそうとした瞬間、彼を静止させる声が部屋に響き渡った。

 彼の視線がゆっくりと視線を下げれば花が零士に抱きついて止めようとしている姿が目に入る。


「……神宮寺さん」

「ダメだよマスターさん……そんな、誰も幸せにならないこと」

「でも、鈴はさっきまで霊障振り撒いていて最悪死者だって……」

「それでもです!それでも、私はもっと他の方法があると思うんです」

「他のって……」


 何の手があるというのだ。

 そんな視線が零士から向けられる。花はその視線を受けながら彼から目を外し鈴へ向き直る。


「鈴……ちゃん」

「……なに?」

「鈴ちゃんはウチへの復讐の他になにがしたいの?」

「別になにもないわよ。復讐だけ。それだけを胸にこの世に留まったんだから」

「嘘。さっき来実ちゃんに聞いたの。お化けは未練が全部なくなったら成仏しちゃうって。つまり成仏してない今はまだ未練が残ってるんだよね?」

「…………」


 迷いない真っ直ぐの視線を受けた鈴は視線を逸らす。

 その行動は花の言うことが真実という証左。鈴の反応を見て自分の仮定が確信に変わった彼女はさらに言葉を続けていく。


「私たちに思いを教えて。そして手伝わさせて」

「……だめよ。私は加害者。被害者にそんな厚かましいこと言えるなんて」

「被害者とか加害者とか関係ない!私は鈴ちゃんと友達になりたいだけなんだから!」


 花の心からの叫びに鈴はハッとした。本当なのかと、本当にその言葉を信じていいのかと。


「とも、だち?」

「うんっ!!」


 裏表のない純粋な笑顔。

 そんな花の真っ直ぐな笑みに面食らっていた鈴はしばらく目を丸くした後、肩の力が抜けるように広げていた腕を下ろす。


「私、は……」

「うんっ!」

「私は、友達と遊びたい……!孤児院でできなかったことを!ショッピングを楽しみたいし海も行きたい!みんなと……友達と笑い合いたい!!」


「うん。叶えよう……私たちと一緒に……」


 思いの全てを吐き出すような慟哭に花は小さな体躯をそっと抱きしめる。

 胸の内から聞こえる鈴の小さな泣き声は、静かで、そして彼女が積み重ねた恨みを今度こそ全て洗い流すものだった――――










『――――ありがとう』


「えっ?」


 鈴を抱きしめる花。触れないのになんとか形だけでもと手を回す彼女の耳に、ふと何か小さな声が聞こえた気がした。

 聞き覚えのあるその声に顔を上げるも誰も気づいた気配はない。しかし間違いなく声は聞こえた。最初は驚いて目を丸くしたが、すぐに目を伏せギュッと鈴を強く抱きしめる。


「…………うん」


 小さく小さく頷いてみせる花。

 その声は周りはもとより鈴にすら届かない小さな声。

 それでも彼には――――自分の大好きだった祖父には聞こえていると信じて、まぶたの裏でかつての笑顔を思い出しながら何度も何度も頷くのであった



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