ノックして

田ノ倉 司

ノックして

 姉の部屋で、使われていない色鉛筆を見つけた。深い森のような色の缶ケースだ。

思いついて買ったはいいものの、急に絵を描けるようになる訳でもなくて、飽きて放置していたのだろう。

貰ってもいいかと聞いたら「それは良い物なのよ。大事に使ってね」と念押しはされたけど、あっさり譲ってくれた。


 姉と同じく僕も絵は描けないから、適当な色を手に取り、ぐるぐると塗ってみた。

芯が柔らかくて、するすると線が伸びる。高級な文具って、こんなにも違うものなのか。確かにこれは雑に扱うものではない。落書きでは道具に申し訳ない気分になった。

 初心者向けのスケッチの本を買ってきて、少しずつ練習している。続いているのは、この色鉛筆を使うのが心地良いからだな。「描きたい」というより「塗りたい」から、少しは形も描けるようにならなくちゃと思う。

 色鉛筆に刻まれている色の名前とか、「影」と「陰」の違いとかを知るのも楽しいし、葉っぱ一枚、どんぐり一つでも、なんとか描けると嬉しい。絵を描く人ってすごいな、と改めて思う。


   ◇ ◇ ◇

 

 ちょっと疲れてぼんやりしてる日に、形を描く気力がなくて、でも色鉛筆に触りたくて缶を開けた。並んでいる色鉛筆に手を滑らせて、適当に選んだ色を画用紙に塗っていく。

 いつもは使わないホワイトを何気なく見たら、芯が無い。

え、こんな高級品で芯が抜けるなんて事あるのかな。

手に取ってよく見た。木軸には傷も無いから、落として粉々になったわけでもなさそうだ。

芯があるはずのところを触ったら、他の鉛筆と同じように円錐の形がある。

明かりにかざしたり、角度を変えて先をよく見たら、澄んだ水のように透き通っていた。

 なんだろう。こういうものなのか。いや、ホワイトって書いてあるし、軸も白いから、白の鉛筆だよね。

姉さん、まだ起きてたよな。聞いてこよう。


「待って、それは止めて。あの方に聞かないで」


 え、誰?


「私です。あなたが持っているホワイトです。

こんばんは。驚かせてごめんなさい。少しお話しさせて頂いてもいいかしら」


 「えっと、この鉛筆なのですか」

うーん、本当に疲れてるのかな。休みを取ろうか、などと考えていると、鉛筆の先の輪郭が静かにゆらめいて話し始めた。


 「私達『色』には、たまに集会があるのです。

 会に出席している間は、本体である『物』からは色が抜けるのですが、その時に人間に気付かれると、このように元に戻れなくなってしまうのです。

 あなたのお姉様が、この色鉛筆の缶を開けなくなってから、随分と日が経ちましたので、今なら行けると思いまして、出席しておりました。

 缶の角を押さえる音が聞こえて、慌てて戻りましたが一瞬遅れてしまい、見られてしまったのです。

その時は、部屋の明かりは点けていなかったので、私を窓の光に当てて、透明な芯先を見ておられました。でも、どうやら少しお酒を召されていたようで、よく覚えていらっしゃらない様子です。

 実は木軸の白も一緒に出席しておりました。部屋が暗かったのと、芯先ばかりを見ていらしたので、木軸に色が無い事は気付かれませんでしたので、こちらは元に戻れました。

あなたがお尋ねになり、もし思い出してしまうと、軸の色も抜けてしまうかもしれません。

私は『ホワイト』であり『色鉛筆』なのです。せめて木軸だけでも白くありたいのです。

勝手なお願いではありますが、お姉様があの時の事を、忘れたままにしていただきたいのです」


 姉のことだから、たぶん覚えていないだろう。

安心してもらいたいと思い、姉とこの話はしないと約束した。

 その代わりと言ってはなんだが、もう少し話を聞かせてもらう事にした。

「色の集会って何? どこで集まるの?」

 

「集まりの連絡を受け取れたら、行きたい、行けると思えばその会に出席するのです。同系色の会が多いかしら。

 今回の会場は、白い壁の街でした。海も綺麗でしたから、あちらでは『青』が集まっていたかもしれませんね。

 集まって、他の色達と挨拶をするのよ。

仲良くなった他の『白』と、白い壁をどこまでも滑ったの。人間の『走る』ってこういう感覚かしら。夜になると、白い壁が月明かりに照らされて、昼間とは違う色達も集まってきて、楽しかったわ。


 会場になるのは、新緑の森や、洞窟の中の海、黄葉しているイチョウ並木とか、自然の中が多いみたい。すぐに色が変わってしまう自然の色達も、会場になれば出席できるからだそうよ。前に、一面の花畑での集まりに行ったことがあるわ」

 

「ターコイズとかバイオレットとか、境界の色はどうするの。そういう会が催されるまで待つの?」


「集まりにテーマはあるけど、行きたいと思えば、誰でも参加していいのよ。

 青の会に行きたいと思えば、黄色や赤が出席しても構わないのよ。会場になった場所を訪れる観光客の服に便乗したりしてね。

たまに『色とりどり』の時もあるけれど、集まりやすいようにテーマがあるみたい。


 出席するかどうかは、会のテーマよりも、各自が居るところの状況が大事ね。

出席中は、本来居るべき場所の色が抜けてしまうの。それを人間に見つかると、こんな風に戻れなくなってしまうから『見つからない』と確信を持てた色しか出席しないわ。

抜け出しても人に気付かれないか、と考えるとね、簡単に行けそうなのに、なかなか行けないものなの。

 『色が抜ける』って、色が褪せて、消えそうに薄くなることだと聞いていたけど、白は透明になってしまうのね」

と寂しそうに言った。

 

「あのさ、色って変わるものだと思うんだ。空の色はグラデーションだし、木の葉は季節が移ろえば色も変わっていくし。仮に変わらないとしても、見る時の光で違う色に見えるし」

最近得た、わずかな知識を絞り出して、思いつくままに言ってしまった。


「励ましてくれるのね。ありがとう。

そう、自然の色たちは、自分の色が移ろうことが当たり前なのでしょう。

 透明になったことを受け入れなくちゃと、わかってはいるのよ。でも私達、画材は変わらない色だと思っていたから、そうでなくなった自分に戸惑っているの。

 それに、私は色鉛筆。使われてこその画材だから、透明になってしまって、何ができるのかしら」


「描いてみてもいい?」


「ええ、どうぞ。色鉛筆として使ってほしいわ。短くなって、無くなるまで使ってもらえたら、色鉛筆として本望ね」


 画用紙に滑らせてみた。

わずかに紙に引っかかりを感じ、画用紙に芯が移っていく感触はあるが、紙の色はそのまま変わらない。

手近にあった色付きの付箋紙にも描いてみたが、やはり描いた線は見えない。

僕の落書きの上を滑らせてみたが、変化はない。絵を消してしまうわけでもないらしい。

「ほんとに透明なんだね」


「そのようね。試してくれて、ありがとう。

 あの、もう一つお願いしてもいいかしら。

この缶を開ける前にノックしてほしいの。

これから他の鉛筆達も、集会に行くことがあるでしょう。人に、あなたに見られると、色が抜けたままになってしまうから、戻る時間を作ってほしいの。

 私達はどこへでも、すぐに行けて、すぐに戻れるから、ノックしてから開けてもらえれば大丈夫よ。そうしたら他の鉛筆達は、安心して集まりを楽しめるわ。

どうか、よろしくお願いします」


「わかった。そうするよ」


「ありがとう」


それきり、白さんは喋らなくなった。


   ◇ ◇ ◇

 

 あまり上達はしないが、絵の練習を続けている。

 あの時の白さんは、もう終わりたがっているように感じた。でも、寿命は全うしないといけないと思うんだ。だから色鉛筆として、最後まで使おうと思い、描いた絵の余白や、空の部分に少しずつ塗っている。

見えないから、芯先を触って、丸くなってきたら少し削る。最後まで使ったら、色鉛筆として喜んでくれるかな。


 最近気がついたのだが、白さんを塗った絵は評判が良い。友人や姉が言うには「上手くないのに、そこで見ているように感じる」のだそうだ。

 空気感を表現するというのは、画家とか、本当に絵が上手な人にしかできないことだと思う。

僕の画力で、その場の光や空気感を表現できるはずはないのだ。

 白さんを塗ったからだ、としか思えない。

 

「白さん、すごいよ。透明になったのって、光に近づいたってことだよ。進化したんだよ」と話しかけたが、声は聞けなかった。

 透明に進化した今を受け入れて、楽しんでいるといいなと思う。


 白い壁と青い海の街へ、いつかスケッチをしに行こう。白さんを持って。

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ノックして 田ノ倉 司 @tanokura-fsg3189

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