ゴブリン襲来

 半年が経過し、僕は七歳になった。成長はしているが、魔法の研究はほとんどそのまま。トラウトから得られる情報はもうないようだった。

 気になっているのは妖精と魔物だ。僕の中では幻想生物に類している二種だ。異世界において、魔法に関わる可能性がある生物といえば、魔物と妖精しかいない。一度調べてみたいところだ。

 しかし接触する機会は得られない。どうしたものかと考えながら日々を過ごしている。そんなある日のことだった。

 自室で魔力鍛錬をしていた僕は、右手に集まる魔力の塊を眺めていた。帯魔状態、集魔状態、そして最近では魔力維持の練習も行っている。大体は数秒が限界だが、少しずつその秒数も増やせている。今は十秒程度まで維持が可能になっていた。

 魔力の固着ができるようになっても、あまり感慨はない。魔力の操作自体に、何か意味があるわけではないからだ。最初は勝手がわからず、強い感情をもって、魔力を放出していた。

 でも、感情は意思でもあるという考えに至った僕は、比較的簡単に魔力を放出することに成功。完全に無機質な感情と意思では魔力は発生しないが、明確な感情は必要ないようだった。

 恐らくは慣れだ。何度も続けていた魔力放出により、感情の加減がわかり、意思に伴い、魔力が生まれるようになった。

 簡単に言えば、行動や意思の根底には感情がある。明確な感情ではなくともそこでは必ず、僕が何かを求めて何かをしようとしているはずだ。この場合の感情は欲求という表現の方が近いだろう。

 意識が混濁している状態、つまり混乱していたり、極度の疲労の状況では別だが、正常な時は前述の通りになるはず。つまり適度な感情と意思があれば魔力は放たれる。

 ひどく曖昧だが、恐らく感情、意思、欲求の割合によって魔力が放出されるということだ。そのあんばいがわかるまではかなり修練が必要だった。

 そこまでいくと、また壁にぶつかったわけだけど。今度こそ頭打ちだ。他に何も指針がない。

 ……と、突然、階下でバタバタとけたたましい足音と声が聞こえた。

 何事かと僕は階下へ下りる。外は大雨で、雨音がうるさかった。

 一階に下りて居間に向かうと、がいとうを羽織ったままの父さんが、ずぶれで立っていた。そのそばには数人の村人。大人の男性が同じような格好で、そろって表情を硬くしている。母さんと何やら話しているようだ。

 何か様子がおかしい。こんなことは今までなかった。不安に思っていると、二階からマリーが下りてきた。彼女も気になって来てみたのだろう。

 二人して、父さんたちのところへ移動すると、僕たちに気づいてくれた。

「あの、何かあったの?」

 どうしたものかと大人同士で視線を合わせていたけど、父さんが口を開いた。

「ゴブリンだ」

「ゴブリン? って、も、もしかして魔物!?」

「ああ、そうだ。この近辺でゴブリンを数体、見かけたという証言があってな。危険だが、討伐しなければならなくなった。家から絶対に出ないようにしなさい」

 ゴブリンといえば、魔物の代表的な存在。ゲームなどでは、多くは雑魚敵として描かれており、駆け出しの勇者や冒険者の獲物のはず。この世界も同じようなものなのだろうか。

 しかし、その割には全員の顔が真剣だし、青ざめている。父さんは母さんに向き直ると言った。

「村の女性、老人と子供たちは全員ここに集める。全部で三十人ほどだ。男たちでゴブリンの巣に行って討伐してくるから。決して外に出ないように」

「ええ、わかりました」

 いつも柔和な表情を浮かべている母さんだったが、今日に限っては表情が硬い。

 大人たちがろうばいしているだけで、こんなに不安に思うものか。僕も中身は大人だけど、何も知らない子供でもある。マリーも同じだったのか、僕の手をぎゅっと握った。

「だ、大丈夫。お父様たちがやっつけてくれるから。それに、あたしが守ってあげるからね」

 マリーは剣を腰に携えていた。確かに彼女の剣術は子供にしてはたいしたものなのだろう。でも実戦経験はないし、あくまで子供にしてはだ。魔物相手に通じるのだろうか。

 僕には漠然とした不安しかない。それに魔物と聞くと、どうしてもゲームのような印象が強く、実感が薄かった。その上、相手はゲームでは弱いとされることが多いゴブリン。こんなに狼狽うろたえるものなのだろうかという疑問は浮かぶ。

 しかしみんなの反応からして、かなり危険な生物であることは間違いないだろう。考えを改めた方がいいようだ。

「では、私たちは巣に向かう。なあに、二匹程度しかいないようだし、大丈夫。男たち全員でかかればなんとかなるだろう。別のゴブリンがいないか確認するためにも山狩りが必要だが問題ない。少し時間がかかりそうだが」

 恐らく、父さんは安心させるために言ったのだろう。母さんに向けての言葉だったが、明らかに僕たちにも聞こえるように言っていた。

 でも僕はその言葉で、現実を理解し始めてしまう。男たち全員で、と父さんは言ったのだ。村の大人の男性は十数人いる。その全員で二匹を倒す。

 そうしなければ倒せないのか。いや、もしかしたらそれでも簡単ではないのかもしれない。それほどに危険なのか。僕は瞬時に状況を把握し、そして反射的に父さんを呼び止めた。

「と、父さん」

「シオン、悪いが、時間がないんだ。話なら後にしなさい」

「す、すぐ終わるから。父さん、ゴブリンは外から二階に入るだけの知恵や身体能力はある?」

 げんそうにしていた父さんだったが、すぐに答えてくれた。

「いや、それはない。奴らは頭が悪いし、家の外壁には凹凸が少ないから登れないだろう」

「だったら、僕たちは二階で閉じこもっておくよ。一階の入り口は家具とかでできるだけ入れないようにしておく。そうすれば、仮にゴブリンたちが来ても入れないよね?」

 僕が言うと、父さんは指をあごに添えて、考えていた。

 隣にいた母さんや大人たちが驚いたように僕を見ていた。

 マリーは不安そうに動向を見守っている。

「確かに……では、そのようにしてくれ。私たちが戻ったら二階に聞こえるように合図を送る」

「うん、わかった。父さんたちが戻ってくるまでは部屋を出ないから」

 父さんはおうよううなずくと、僕の頭をでた。

「頼んだぞ、シオン」

 そしてすぐに離れると大人たちを引きつれて外に出た。

 マリーの手は僕の手をつかんだまま。その力が、少しだけ強くなった気がした。

「そ、それじゃ、みんなが来る前に窓に板を打ち付けましょう。く、くぎはグラストくんからもらったものがあるし、板はこういう時のために置いてあるから。え、えと、ど、どこにあったかしら」

 母さんはおろおろとし始める。緊急事態には弱い性格のようだ。

「中庭の倉庫にあったはずだから、持ってくるよ。母さんは釘を集めておいて。姉さん、行こう」

 母さんもマリーもかなり狼狽している。少しでも冷静な僕が仕切った方がよさそうだ。そう思い、僕は中庭の倉庫から板を運び始めた。

 その後、すぐに村中の老人や女性、子供、そしてローズが家に集まり僕たちは事情を説明した。

 慌てて大人たちが作業を始める中、一人の女の子が駆け寄ってくる。

「わたくしも手伝いますわ」

「ありがとう。お願いするよ」

 ローズが表情をこわらせながらも申し出てくれた。こんな状況でも彼女は比較的に冷静なようだった。それでもやはり状況が状況だ。いつもと違ってかなり緊張している様子だった。

 大人を中心に板を運び、窓に打ち付ける。扉にも板をいくつか打ち付けて、これでもかというように家具でふさいで入れないようにした。これなら多少は障害になるはずだ。

 総勢三十人の戦えない人たちは不安そうに一階に集まっていた。最低限の補強を終えると、全員で二階に移動した。二階の部屋は五つ。僕とマリーの自室、夫婦の寝室、書斎と客間がある。

 マリーの部屋に僕、マリー、母さん、ローズ、他に男の子を連れた母親の六人で入ることになった。

 詳しくは知らないけど、ローズには家族がおらず、村長さんの世話になっているらしい。以前、迎えに来た人が村長さんなのだろうか。村長さんは戦えるので討伐に行っているようだ。

 マリーの部屋は飾りっ気が少ないけど、人形が少しだけあった。カーテンやシーツも淡い色合いだったりレースだったりで、女の子の部屋っぽくはある。

 僕たちは部屋に入ると、机を扉の前に動かして、ベッドや椅子に座った。外は大雨で、様子がよくわからない。それが余計に不安を大きくしているような気がした。

 魔物か。魔法の研究のため、調べたいと思っていたけど、これでは難しそうだ。僕も、さすがに死にたくはないし。

 母さんは僕とマリー、ローズの三人を抱き寄せてくれていた。

 村人の親子も部屋の隅で身を寄せ合っている。

 無言のまま時間が過ぎる。いつもと違う。こんなのは想像もしていなかった。でも現実なんてそんなものだ。備えもなく、いきなり不幸に見舞われたりする。僕も、そうやって死んだのだから。

 あんな思いは二度としたくない。そしてみんなにも味わわせたくない。

 僕は何も言わなかった。本当はゴブリンに関して聞きたかった。けど、今そんなことを話せば、みんなの不安をあおるだけだ。だから僕は黙し通した。それにゴブリンたちがもしも近くにいたら、話し声で場所を知らせてしまう。そんなことになれば危険だ。

 そういう思いがみんなにもあるのだろう。だからじっと我慢していた。

 どれくらい時間がったのか。恐らく一時間程度はそうしていた。

 ふと雨音に何かの音が混ざっているように感じた。その違和感はちょっとずつ大きくなり、近づいてきている。これは足音か? 途中で、何か甲高い音が混ざっている。ガラスを引っいた時のような不快な音だ。それが、徐々に迫っていた。

 マリーと母さんの震えが大きくなる。母親と子供も同様に恐怖に顔をゆがませていた。みんなも気づいているようだ。父さんたちではない。合図がなかった。

 そして音は玄関の方に移動して、そこから動かなかった。

 何かがそこにいる。連想はしている。だけどそれが現実だとは思いたくなかった。

 数分の空白。もしかしてどこかへ立ち去ったのかと思った時。

 ガンガンガンガンガンと扉が何かにたたかれていた。小さな悲鳴が辺りから聞こえる。みんなが震えて、耳を塞いでうずくまる中で僕は耳を澄ませた。数分間音は聞こえていたが、扉は破壊されなかったようだった。

 音は鳴りやむ。しかし足音がまた移動を始めた。

 家の脇に移動したそれは再び足を止めると、気持ちの悪い鳴き声と共にけたたましい音を鳴らす。

 パリンという音。それは間違いなく窓を叩き割った音だった。

 再び、ガンガンという音が響き渡る。途中できしむ音が混ざり、やがてもっとも聞きたくない音が響いた。明らかに木材が破壊される音と共に、何かが一階に入ってきた。

 間違いない。もう確実に、これは魔物だ。ゴブリンがやってきたのだ。

「ギィイイイイイギャアアッ!」

 金切り声。それは一階から二階に届き、僕たちの恐怖を増幅させた。みんな泣きながら震えて、縮こまっている。音を鳴らさずにじっとして、そうやって危機が去るのを待つことしかできない。

 しばらく一階で暴れるような物音が聞こえていた。そして変化が訪れてしまう。

 トントントン。階段を上る音が響き渡った。少しずつ、確実に何かの気配は近づいている。それは階段を上りきり、廊下を進むとやがて立ち止まった。

「ギイィ、ギギギィッ」

 近い。すぐそこにいる。恐怖が身体を縛る。震えが止まらず、僕はただ扉を見つめる。

 マリーは僕にすがり、ローズは僕の手をぎゅっと握り、母さんは僕たちを守ろうと抱きしめる。

 そんな状況は長くは続かず、一枚の薄い扉は激しく揺れた。

「ひっ……!?」

 男の子が悲鳴を上げた。その瞬間、ゴブリンは激しく扉を叩き始めた。

 こんな状況だ。誰も責められない。

 叩かれる度に扉は歪む。すぐに破壊されることは間違いなかった。でも僕たちには対処しようがない。扉と、その前にある机がなんとか耐えてくれることを祈るだけ。

 だがその願いはもろくも崩れ去る。破壊音と共に、扉の上部が壊れ、何かの手が部屋に伸びた。

 緑色の何か。うごめくそれには鋭い爪が生えており、明らかに何かを殺すためのものだった。

 すきから顔がのぞく。醜悪な。恐怖を体現したような顔。形はいびつで、不快感を催す。赤黒い目がぎょろっとこちらを覗き、そしてこうこうが歪んだ。笑ったのだ。

「ギイイギィギギッギギッギッ!」

 うれしそうに叫びながら、ゴブリンは扉を何度も殴った。扉の上部はほぼ破壊された。

 ゴブリンが入ってきた。猫背で腹は気持ち悪く膨らんでいる。ゴブリンというよりは日本の餓鬼のようだった。手には何も握られていない代わりに、太い爪がある。口腔には牙が伸びており、まれればひとたまりもないことがわかった。

 魔物が目の前にいる。僕が研究したいと思っていた魔物が。そう思っていたはずなのに。今は、そんな考えはじんもなかった。ただただ怖かった。

 こんな相手を研究したいなんて思っていた過去の自分をさげすむ。こんな恐ろしい存在を軽視していた。魔物なんてたいしたことはない。そんな風に思っていたはずだ。

 ゴブリンならなおのこと。だって雑魚として扱われている魔物なのだ。弱いに決まっている。そう思っていたのに、目の前にいるその雑魚は絶望そのものだった。

 絶対にあらがえない。僕たちは殺されてしまう。それを全員が理解していた。

「こ、子供たちだけは、こ、殺さないで……!」

 母さんが叫ぶ。しかしゴブリンにそんな言葉が通じることはない。いや、通じていた。だからゴブリンは嬉しそうに笑ったのだ。

 おびえる獲物を見て、自身が圧倒的な強者であると自覚し、優越感に浸ったのだ。

 もう手段はない。殺されるしかない。そう僕が思った時、マリーが突如として立ち上がった。

 さやから剣を抜き、構えた。彼女は僕たちを守るように、背中を向けていた。ゴブリンとたいする、剣士。しかしその肩は異常なほどに震えていた。

「あ、あたしが、あ、相手に、な、なるわ」

 ああ、無理だ。絶対に勝てない。殺されてしまう。

 その勇気はとても尊く素晴らしいものだ。でも、現実は非情なのだ。この魔物を相手にしては、何もできはしない。

 不意に何の脈絡もなく、ゴブリンが手を振るとマリーの剣が宙を舞い、壁に刺さった。

「え?」

 マリーがとんきょうな声を上げる。

 ゴブリンが軽く腕を振るっただけで、武器を手放してしまったのだ。

 相手は魔物。知性はないだろうが、戦闘能力は圧倒的にあちらが上だ。背丈はマリーよりも多少高い程度。小柄だ。でもその身体には圧倒的な力が秘められている。

 ゴブリンが腕を掲げる。

「あ、あ……あ」

 マリーは恐怖から動けない。

 僕は反射的にマリーに向かい駆けだそうとした。だがその前に、僕の視界を誰かが覆った。

 何かの音が響いた。誰かが倒れている。マリーと……母さんだった。

 血が出ている。あふれている。母さんの背中には深い裂傷が走っていた。母さんがマリーをかばったのだ。

 マリーは母さんの下敷きになっているが無事のようだった。でも動揺から目を泳がせて、母さんを見ていた。

 母さんは半身を起こした。

「け、怪我は……ない……?」

「あ、あたしは、だ、大丈夫。お、お母様が」

「い、いいの。あなたが、無事なら、そ、それで」

 かなりの重傷であることは間違いなかった。

 出血の量が多い。身体中の熱が奪われていく気がした。

 母さんが死ぬかもしれない。そう思うと、怖くて怖くてしょうがなかった。

 ゴブリンが母さんたちの方へ歩く。悠然と。まるで状況をたのしんでいるかのように。

 母さんはマリーを抱きしめて、かばうようにゴブリンに背を向けた。

 ダメだ。ダメだダメだダメだ! 二人とも殺されてしまう。家族が、大事な人たちが殺されてしまう。絶対に嫌だ! そんなの絶対に受け入れられない!

 僕は衝動的に床を蹴る。無意識だった。ただ二人を助けないといけないと思った。

 ゴブリンも僕の行動は予測できなかっただろう。相手はただの子供。それが突然、襲いかかってくるなんて考えもしなかったようだ。だから、僕は簡単にゴブリンに触れることができた。

 目が合った。赤い目が僕を見ていた。なんておぞましい顔をしているのか。

 ゴブリンは僕を見るとニタァと笑う。当然だ。相手は子供。武器もない。何もない。何もできない無力な子供だ。それが腕を掴んだからといって何になるのか。

 僕もわかっていた。僕は何もできない。でも何もしないままではいられなかった。

 対策はない。何もない。なかったはずだった。

 ゴブリンの身体に淡い光が宿っていることに気づくまでは。

 近くで目を凝らして初めてその事実に気づいた。それは魔力の放出。

 急激に、僕の頭は冷静になる。今までのことをすべて思い出した。何がきっかけなのか自分でもわからない。でも確かに、すべてはつながっていた。僕が今まで培ったそのすべてが。

 そして僕は瞬時に結論を出す。魔力の性質。魔力の反応。そこから導き出される答え。

 僕は反射的に帯魔状態になり、集魔を行う。ゴブリンに触れている右手に魔力が集まった。

 ゴブリンが僕に向かって爪を伸ばす。

 魔力が一気に高まる。

 ゴブリンの爪が瞳に触れそうになる。

「ギャアアアアアアアアアアッ!!」

 ゴブリンが叫びだし、焼け焦げるような悪臭が部屋に充満する。

 ゴブリンの腕は蒸気を発しながら、焼け焦げる。火傷やけどが進行し、腕はえぐれていく。僕の手が触れている場所から、まるでウイルスが侵食するかのように、ゴブリンの身体が黒く変色していった。

 火は存在しない。だが火傷のような現象を起こしながら、ゴブリンの腕は削れて、やがて床に落ちた。

 あまりの激痛からか、ゴブリンは床をのた打ち回る。だが生きている。殺さなくては。でなければみんなが殺される。

 僕はすぐにゴブリンの頭に右手を当てて、再び魔力を放出した。

 頭部から蒸気が上がり、臭気と共に、ゴブリンは悲鳴を上げる。しかしそれも長くは続かなかった。十秒。それだけの時間でゴブリンは絶命し、動かなくなった。

「はっ、はぁ、はぁ……」

 僕は必死だった。だから自分がしたことを認識する暇もなかった。

 魔力を持つ者は魔力に反応する。魔力に触れると熱を感じ、感触を得る。それが弱い魔力であれば温かい程度。では練りに練った強い魔力ではどうか。僕はそこに賭けた。

 一年ほどの魔法の研究と魔力鍛錬により、僕の集魔はかなり濃密なものになっていたらしい。

 あくまで仮定。半ば実験的。でも成功した。僕の魔力で、ゴブリンは死んだのだ。

 ゴブリンが魔力を持っていなければ勝てなかった。魔力を与えても、体内魔力がなければ反応しないのだから。

 僕は荒い息をそのままに死体から後ずさる。

 気持ち悪い。吐きそうだ。ニオイと自分がしでかしたことに。仕方がなかった。でも人型の生物を殺したという事実を、僕は激しく嫌悪した。

 ローズとマリーは驚いたように僕を見ていた。

 親子からは奇異の視線が僕へと向けられていた。そして彼らは僕と目が合うと、小さく悲鳴を漏らし、僕から距離をとるように後ずさった。

 それじゃまるで僕が化け物みたいじゃないか。僕はただ魔物を倒さないとみんなが死ぬって、そう思ったから必死で抗っただけなのに。

 僕は自分がけがれた存在になってしまったように感じた。大型の生物を殺したことは初めてだ。嫌悪感がすさまじく、吐き気がした。たいの知れない罪悪感と、別の世界へ踏み入れたような、妙な後悔が僕をさいなんだ。

 僕は自分の手を見下ろす。この手で殺したのだと思うと、僕はどうしていいかわからなかった。

 ふと僕の手に誰かの手が重ねられた。

「……シオンのおかげで助かりましたわ。ありがとう」

 ローズだった。彼女の表情は決してすがすがしくはなく、あん感もそこにはなかった。それに彼女の手は震えていた。先ほどまでの出来事を考えれば当然だろう。

 もしかしたらその恐怖は、僕に対して抱いているのかもしれないとも思った。けれど、それを僕はすぐに否定した。ローズには僕に対する強い気遣いがあったからだ。だから僕は彼女の思いを素直に受け取れたし、少しだけ冷静になれた。

 男の子の母親から向けられる視線には、明らかに警戒心や恐怖がにじんでいたけれど、なぜか少し気まずそうにしてもいた。

 さっきまでの心境がうそのように、僕は冷静さを取り戻しつつあった。きっとローズのおかげだ。

「お、お母様!?」

 マリーをかばうように抱いていた母さんが、地面に倒れてしまう。

 それでようやく僕は我に返った。今は僕のことなんてどうでもいい。母さんを助けないと。

 マリーは我を失い、母さんを揺さぶっていた。

「だ、だめだ、動かしたらいけないっ!」

 僕は急いでマリーの近くに移動した。マリーはかなり混乱している。それも仕方ないことだ。実の親が死にかけている状態で冷静になれるはずがない。

 僕は、どうして冷静なんだろうか。違う。怖いけど大人の自分がささやくのだ。冷静にならないと大事なものを失ってしまうと。だからゴブリンを倒せた。今も冷静でいられる。落ち着かないと、誰かが死んでしまうと思ったから。

 暴れるマリーを羽交い絞めにしていた僕だったけど、ローズが慌てて手伝ってくれた。

「わ、わたくしが代わりますわ」

「お、お願い」

「お、お母様! お母様ぁっ! 離して、離してよっ!」

 マリーを母さんから引きはがすローズ。彼女は比較的冷静になっているようで助かった。

 僕は母さんの顔色を確認する。血色が悪い。明らかに出血が多すぎる。脈拍はまだ大丈夫。でも安全なわけじゃない。

 背中には裂傷が走っている。まだ出血している。止血しないと。

 あまり動かさない方がいいけど、床で治療すると体調が悪化する。せめてベッドに移動させたい。

 しかしマリーは我を失っていて、ローズはそんなマリーを羽交い絞めにしている。

 僕は七歳で小柄。どちらにしても子供だけでは無理だろう。大人一人を運ぶことはかなり大変だ。

 すぐそこにいる親子は僕を恐れている状態だ。すぐに冷静になることなんて無理だろう。協力を求めても応えてくれるとは思えない。

 他にゴブリンはいないはずだ。物音はしない。だったら。

「誰か! こっちに来て手伝って!」

 叫ぶと、他の部屋から誰かが出てきた。女性や老人たちが部屋の様子を見て驚き、ゴブリンが死んでいるとわかると、駆け寄ってきた。

「い、一体、何が?」

「今は母さんをどうにかしないと! ベッドに運んで!」

 大人の女性たちが協力して母さんをベッドに運んでくれた。

 あんなに元気で優しかった母さんが、今はまったく動かない。呼吸はしている。大丈夫、きっと助かる。

 マリーも少しずつ落ち着いてきたのか、泣きながらも暴れることはなくなっていた。

 ローズが優しくマリーを抱きしめてくれていた。

「誰か医学や薬学に詳しい人はいますか!?」

 誰もが顔を見合わせるだけだった。小さな村だ。そんな知識のある人間はいないだろう。

 どうする。このままだと危険なのは間違いない。誰もできないなら、僕がするしかない。落ち着け、冷静にならないと母さんが死んでしまう。何をすべきか、きちんと考えれば、きっと大丈夫だ。

「じゃあ裁縫が得意な人、いますか!?」

 何人かが手を上げてくれた。その中で一番腕がいいと言われる人を選ぶ。若い女性。多分、十五、六歳程度。普通の女の子で髪は三つ編みにしていて、そばかすがあるのが特徴的だった。

「あ、あの、な、何をするんですか?」

「ちょっと待ってて。他の人、母さんの寝室に裁縫道具があるからとってきてください。それと台所にお酒があるから、濃度が高いやつを持ってきてほしいです。あとはろうそくを用意して火をつけてください。それと清潔な布をできるだけ持ってきてください! それぞれ分担して用意してください!」

 僕が言うと、理由はわからないだろうが、みんなが急いで行動を始める。

「残った人は……その、ゴブリンの死体を廊下に出してほしいです。嫌だろうけど……お願いします。終わったら廊下に出ていて。何かあったら呼びますから」

 みんな僕の指示通りに動いてくれた。誰も指揮をとらないから、余計に動きやすかったんだろう。

 死体の移動も思いのほか、円滑に進んだ。慣れてるのかな……。

 準備ができるまで僕たちにできることはない。母さんに声をかけて、手を握るくらいだ。

 部屋にはマリーとローズ、僕と三つ編みの女の子だけが残る。同室だった親子は僕から逃げるように出ていこうとしていたけど、男の子が僕の横で足を止める。

「あ、ありがとう、お兄ちゃん」

 そう言って、僕の手を恐る恐る握った後、すぐに走り去っていった。

 男の子の母親は戸惑いながらも頭を下げて、階下へと下りていった。

 少しだけ救われた気がした。僕は目を閉じて、さらに冷静さを取り戻す。まだすべてが終わったわけじゃない。

 僕はすぐにマリーの近くに移動し、話しかけた。

「姉さん、今から母さんの治療をする。だから落ち着いて。そうじゃないと母さんが助からないかもしれない」

「た、助からないって、イヤッ! し、死んじゃうなんて!」

「だから落ち着くんだ。姉さんが暴れると母さんが危なくなる。わかった?」

 僕はマリーの手を握り、じっと目を見つめる。それが彼女を少しは冷静にさせたらしい。マリーは何度も頷いた。

「わ、わかったわ」

「よし。それじゃ、そこで見ていてね」

 ローズがマリーの肩を抱いてくれていた。彼女がいればもう大丈夫だろう。

 僕はローズに視線を送ると、ローズは頷いてくれた。任せろということらしい。頼りになる子だ。

「それと姉さん、短剣か何かある?」

「え、ええ、そこに」

 棚にあるようだ。手のひらサイズのナイフがそこに入っていた。はさみなんて便利なものはない。

 僕はベッドに戻り、三つ編みの女の子に話しかけながら、母さんの様子を確かめる。

「名前を聞いてもいいかな?」

「リ、リアです」

「敬語はいらないよ。年下だし。普通に話して。僕はシオンっていうんだ」

「え、うん、わ、わかった。シオン、くん」

 緊張しているようだ。この状態はちょっとまずいな。彼女の役割はかなり重要だ。失敗は許されないが、それを彼女に言ったら余計にプレッシャーがかかりそうだ。

 僕は母さんの服をナイフで切断し、背中の傷を露出させる。どくどくと血が溢れていた。

「ひ、ひどい傷……」

「……でも思ったよりは傷は深くないみたいだ。肩から背中にかけて傷が伸びている。ゴブリンの爪に毒があったりはする?」

「な、ないと思う。聞いたことがないもん」

「よかった。毒に関してはどうしようもないし」

 しかし不衛生ではあるだろう。しっかりと消毒すれば大丈夫だと思いたいけど。それにこのまま放置していたら危険なのは間違いない。

 この世界には病院なんてないのだ。ちょっとした怪我でも命取りになる。

 毒はなくとも何かしらの感染病になる可能性だってある。昔の人は風邪で死亡したことも少なくないと聞く。

「も、持ってきましたよ! シオン坊ちゃん!」

 村の人たちは僕が言ったものを全部用意してくれた。

 リアと僕たち以外の人たちには外に出てもらった。

 一応、他のゴブリンがいるかもしれないので一階での見張りを頼み、もし現れたら、すぐに部屋に戻るように指示した。

「じゃあ、始めよう」

「あ、あの、何をするんです?」

「縫合だよ。傷を縫うの」

「は、はい!? ど、どうしてそんなことを?」

 参ったな。やっぱり、縫合術自体がないのか、浸透していないらしい。

 外科手術は、西洋医学が未熟だった時代ではかなり批判を浴びたり、迫害を受けたりとかしたらしいし。まあでも、縫合なら身体を傷つけるという印象は薄いだろうし、きっと大丈夫。メスを入れたりすれば、さすがに問題になるだろうけど。

「傷口を縫合しないと出血が止まらないし、傷が開いたままで危険だからだよ。だから縫って、疑似的に傷がない状態にする。そうしたら傷の治りも早いし、出血も抑えられる。感染を防ぎやすいし……と、とにかく僕の指示通りにして、いいね?」

 なぜそんなことを知っているの、という視線を受けて、僕は慌てて言い切った。自分がしていることの重大さに気づきかけていたが、今はそんな場合ではない。大事なのは母さんを助けること。それだけだ。

「よ、よくわかりませんけど……そ、その、でも奥様の身体を傷つけるわけには」

「傷つけて救うか、傷つけないで見捨てるか、どっちがいい?」

 僕は最低なことを言っている。でも必死だった。問答をしている間も、母さんの状況は悪化している。それに僕ではく縫えるかわからない。だから彼女に頼んでいるのだ。

 僕の言葉に、リアは迷っていたがローズが彼女の肩をぽんと叩いた。

「お願いしますわ」

 そう一言告げると、リアは意を決して大きく頷いた。

 ローズとリアは元々知り合いなのだろうか。

「わ、わかりました。やります」

「何かあったら、全部、僕の責任だから。じゃあ、まずは──」

 僕は指示を始めた。応急処置的なことだから、そんなに難しいことじゃない。

 まず両手をきちんと洗って、清潔な布で血をぬぐって、アルコールで消毒し、針を火であぶって、傷口を縫う。これだけだ。

 しかし、初めてのことだし、相手は領主の奥さん。リアからすればかなり緊張しただろう。それでもここまで抵抗なく、やってくれたのはありがたかった。

 ただの縫合だ。それほど難しくなく、十数分で完了した。傷口を縫うと出血は止まった。かなりれいな縫い目だ。皆が言うだけあって、裁縫技術はたいしたものらしい。

 見た目とは違い、度胸もあるようだった。

 慎重に包帯を巻くと母さんを上向きに寝かせる。

「ありがとう。助かったよ」

「う、ううん。でも、これで奥様は助かるの?」

「安静にしていれば、多分。出血量は多いけど、死に至るほどじゃないと思う」

 輸血できればいいんだけど、そんなものはない。注射器を作るなんて技術はこの世界にはないだろうし、それだけの腕がある人間がいても、まず作成に時間も費用もかかるだろう。

 そんなものができるまで待つ余裕はない。母さんの脈拍と顔色を見ると、ひとずは安定している。

「シ、シオン。お母様は?」

「もう大丈夫だよ。しばらくは様子を見ないとだけど、大丈夫。治るよ」

「う、ううっ、ああ、うわああん! シオンぅっ……お母様がぁ、お母様がぁ……っ」

 マリーはくしゃっと顔を歪ませて、僕に抱きついてきた。

 僕は何度も大丈夫大丈夫と背中をさすってあげる。彼女の気持ちはわかる。だって僕も同じ気持ちだったから。気づけば、僕も泣いていた。ずっと我慢していた感情が溢れ出る。

 怖かった。とても。怖くてしょうがなくて、そして安堵して、力が抜けた。

 すべてが終わったのだと実感したのは、それから数十分後。父さんたちが帰ってきた時だった。


   ●○●○


 翌日。父さんたちの寝室で母さんが寝ている。その横でお医者さんが椅子に座りながら、母さんの診察をしている。医者といっても、この世界では薬学療法が主らしく、いわゆる西洋医学の知識は乏しいようだ。それでも僕よりは圧倒的に知識が豊富だろうけど。

 ちなみに母さんはもう意識を取り戻している。顔色はあまりよくないが、話せるくらいには回復している。

「うんむ。問題ない。それなりに深い傷だったみたいだがね、幸いにも骨や内臓には到達していなかったようだね。傷口も綺麗に縫われている。誰か医学に精通している人間がいたのかね?」

 僕は答えに窮して、無言を通した。あの現場にいたのは僕とマリー、母さんとローズ、それとリアだけだ。母さんは気絶していたし、ローズとリアはここにはいない。

 知っているのは僕とマリーだけ。結局何も説明せずにいると、医者はさらに続けた。

「縫合自体は珍しくはない。医学をかじっていればね。ただ、医者にかかる人間自体多くはないし、医学書も高価だ。精通している人間はそう多くはないと思うがね。ふむ……まあよかろう。とにかく安静にして、しっかりご飯を食べなさい。では、わしは帰るでな」

「ありがとうございました」

 父さんが老人の医者に頭を下げると、僕たちも倣って頭を下げた。玄関まで医者を見送り、再び部屋に戻った。ベッドに寝ている母さんは優しく笑っている。かなり疲弊している様子だ。起きているのもつらいはず。

 隣を見ると、マリーが悲しそうな顔をしながらうつむいていた。しかし、すぐに顔を上げると、母さんに向かって口を開いた。

「あ、あの! お、お母様……ご、ごめんなさい。あたしのせいで……あ、あたしのせいで、こんなことに」

 マリーは今にも泣き出しそうだった。

 それはそうだろう。自分をかばって、母さんは怪我をしたんだ。僕を含め、誰もマリーを責めないし、そんなつもりは毛頭ない。けれどマリー自身は自分を責めるだろう。彼女はそういう子だからだ。

 しかし母さんは柔和な笑みを浮かべたまま、マリーの頭を撫でた。

「いいの。いいのよ。マリーのせいじゃないわ。マリーが戦おうとしてくれたから、少しだけ時間が稼げたんだもの。だから、自分を責めなくていいの。マリーは悪いことをしたんじゃないわ。勇気を出して、みんなを守ろうとしたんだもの。だから胸を張っていいのよぉ」

 優しさに溢れた言葉だった。僕も思わず、泣きそうになるくらいに。

 マリーはたまらず泣いてしまったけど、すぐに涙を拭った。そしてグッと唇を引き締めて、真剣な顔になる。母さんの前で泣いてはいけない、そう思ったんだろう。怪我で辛い思いをしているのにこれ以上、心配をかけないようにしたんだと思う。マリーはまだ幼いのに、人をおもんぱかることができる人だから。

 二人の会話が終わったと見ると、父さんが口火を切った。

「では、話はそれくらいにして、ゆっくり寝ていなさい。しばらくは私たちが身の回りのことをするから」

「ごめんなさい……迷惑をかけてしまったわね」

「迷惑なんかじゃないさ。君も子供たちも無事でよかった。本当に」

「ええ、記憶が曖昧だけど……もう安全なのよね?」

「ああ。安心しなさい。もう付近のゴブリンは全部駆除した」

「そう……よかった……ごめんなさい、もう、眠く……なって……」

 母さんは目を閉じた。すぐに寝息が聞こえる。父さんが母さんに毛布を掛けてあげた。

 僕たちは廊下に出ると、一階へと下り、居間に入る。

「二人に聞きたいことがある。座りなさい」

 きた。予想はしていたので、面食らったりしない。でも覚悟が必要ではあった。

 昨日の騒動後、父さんたちが帰ってきた時、すべては終わっていた。聞くと、父さんたちは近くの森にあったゴブリンの巣を見つけ、そこにんでいたゴブリンを二体倒したらしい。

 しかし、二体にしては巣に残された痕跡が多いことに気づいた父さんたちは、急いで村に戻ることにしたという。村には怪我人はいたけど、死人は出なかったとか。

 その後、再びの周辺の捜索と、ゴブリンの痕跡を再調査、家の修理とゴブリンの処理、それと母さんの状況確認と、街に医者を呼びに行くということが重なり、僕たちに事情を聞くことができなかったのだ。

 色々と疑問はあっただろう。逆の立場なら、僕も同じように思ったに違いない。

 テーブルについた僕たちは椅子に座る。僕とマリーが並び、正面には父さんが座った。

「では、事情を聞こう。何があった?」

 どう話したものかと悩んだが、嘘をついても、他に目撃者もいるし、だませないだろう。真実を話すしかない。信じてもらえなくとも。

 僕はゴブリンが突然襲いかかってきたことを話した。そして、マリーが襲われ、かばった母さんが傷を負ったこと。僕が研究していた魔力を使ってゴブリンを倒したこと。その後、僕の指示で応急処置をしたことを。

 話している最中、父さんはじっと目を閉じて、聞き入っていた。話し終えると静寂な空間が生まれる。そして、父さんがゆっくりと目を開いた。

「それを信じろと、私に言うんだな?」

「……嘘は言ってないよ。全部事実で……これ以上、説明のしようがない」

 そう言うしかなかった。あまりに非現実的だけど、でも事実なのだ。

 昨日から、どう説明したらいいのか悩んでいた。でも結局、嘘をつけないし、誤魔化しも利かないという結論を出した。目撃者が多い中で、どうしても嘘は言えなかったのだ。

 こうなることは想像できていた。でもそんなことよりも、母さんとマリーを救いたかった。

 沈黙が続く。父さんは顔をしかめて黙っていたが、やがて嘆息した。

「領民たちから事情は聞いている。確かにシオンの話と合致する。母さんの治療をしたという部分も聞いた。だが……どうしてそんなことができた? どうして医療の知識があった?」

 僕は前世では三十歳の男で、日本という国に住んでいて、そこはかなり技術が発達していて、色んな知識を得られるんだ、なんて言えるはずがない。ただ父さんを困らせるだけだ。

 だから曖昧なことを言うしかない。

「僕も、なぜかはわからないよ。でも知ってたんだ」

 父さんはため息を漏らし、頭を抱えた。

 僕とマリーはただ動向を見守ることしかできない。

「以前、マリーが湖で光が見えると言っていた。それと、魚の入ったおけの上に手をかざせと言っていたな。何を言っているのかと思ったが、先ほど話していた魔力というものに関係があるのか?」

「どうしてわかったの?」

「シオンは昔からおかしなことを言うことはなかったし、行動も理性的だった。子供らしくないくらいにな。それなのに、部分的に違和感のある言葉を言ったり、行動をしたりしている。それもごく一部だけ。だから変だとは思っていた」

「信じてくれるの……?」

「わからん。私は子供のことを信じたい。事実、おまえの説明通りのことは起きている。だが信じがたい。なぜ知識があったのか、この際それは置いておこう。問題はゴブリンを倒せたということだ。大人が複数人いてようやく倒せるくらいの魔物を、七歳の子供が殺してしまったということだ。それに魔力とやらの研究をしているとは。大人びているとは思っていたが、まさかそんなおかしなことをしているとは思わなかった」

 父さんは明らかに悩んでいた。自分の子供が魔物を殺し、母親の怪我を治療したなんて、受け入れるのは難しいだろう。しかも魔力なんてよくわからない力を使って。父さんからしたらあまりに信じられないことが連続で起こって、頭が混乱しているだろう。

 しばらく黙っていたが、父さんは俯いたまま言った。

「いいか、このことは口外無用だ。村人にも同じように言ってある。子供ができるようなことじゃない。外に知れたら……よくないことが起こるかもしれん」

 なぜそんなことを言うのか、すぐにはわからなかった。でも改めて考えるとなんとなくわかった。文明が進んでいない世界では、理解のはんちゅうを超えるものをすべてしきものと捉える人がいる。

 魔女、異教徒、外来語や西洋医学。

 様々な外の、常識外のものをすべて拒絶し、時として糾弾し、とうした。それが歴史にはまざまざと残り、その中で犠牲になった人も少なくない。

 もし、ただの子供が大人顔負けの知識があり、不可思議な力を使ったら。僕だけでなく、周りの人に迷惑をかけるかもしれない。

「何があっても、私はおまえの親だ。だから絶対にかばうし、味方でいる。だが世の中にはやってはならないこと、受け入れられないことがある。特に他人は簡単に人を虐げる。意味がわかるか?」

「特殊な存在は迫害されるってこと?」

「そうだ。私はおまえにそうなってほしくはない。だからこの件に関しては口外してはいけない。それと魔法の研究もやめなさい。それは危険な力だ」

 父さんが言うやいなや、マリーが立ち上がった。

「そ、それはダメよ! シオンがどれだけ頑張ったと思ってるの!? それに、シオンがいたからあたしもお母様も助かったのよ! それなのに、魔法の研究をやめろだなんて……!」

「危ないことかもしれないのに認めるわけにはいかない!」

「危ないかどうかもわからないじゃない!」

「危ないとわかってからでは遅いと言っている! それに魔物を殺せる能力が危険でないわけがない!」

 父さんの言っていることはもっともだ。

 子供が魔物を殺したのだ。その能力を危険視するのは当然だ。もし、その力のおかげで助かったとしても、親の立場では容認できないだろう。

 必死で僕を擁護してくれようとする、マリーの気持ちは嬉しかった。

 だが、二人の会話は平行線だった。マリーは僕の味方をして魔法の研究を続けさせてあげてと主張している。対して父さんは魔法の研究をやめさせたい。

 心情的には父さんの指示に従いたくはない。でも魔法の研究を続ければ、ずっと父さんに心配をかけることになるし、何かおおごとになる可能性もある。

 もうバレてしまった。隠れてこそこそと研究するにも限界があるだろう。

 家族は大事だ。でも僕にとって魔法の研究は尊いものだ。そのためにずっと生きてきた。だから誰にも邪魔されたくはない。

 魔法の研究をやめても、生きてはいけるだろう。でもそれは死んだように生きるだけ。つまらないと思いながら生きるだけ。それは、僕に死ねと言っているようなものでもある。

 もしも魔法が存在せず、仕方なく諦めるならば受け入れられるかもしれない。でも可能性があるのに、自ら手放すなんてことはしたくない。だから僕は言った。

「父さん、僕は魔法の研究を続けるよ」

「シオン! 私の言うことが聞けないのか! なぜわからない!」

 父さんは明らかに憤っていた。当たり前だ。小さい子供のくせに、親にたてついているのだ。

 でもこれだけは譲りたくなかった。譲れば人生の目的を失うからだ。

「わかるよ。父さんの気持ちも、言っていることも理解できるし、その通りだと思う。でもね、もし研究をやめたら、僕は不幸になる。何があっても、ずっと引っかかったまま生きていかないといけない。父さんにとってはただの危険な力でも、僕にとっては夢の力なんだ。実現するためにずっと頑張ってきたし、これからもそうしたいんだ」

「……おまえはまだ子供だ。狭い世界でしか考えられない。だからそんな考えになっているだけだ。大人になれば考えも変わる」

「大人になっても変わらないよ、父さん。絶対にね」

 僕は迷いなく、父さんの目を見て言った。

 だってもう、一度目の人生で学んだんだ。僕は漫然と生きることに幸せを抱けないって。

 父さんは僕の視線を受けて、たじろいでいた。

「誰も巻き込まなければいいんだよね。だったら僕を隔離してくれていい」

「シ、シオン! あんた何を言ってるの!?」

「僕は本気だよ」

 マリーが何を言おうと、父さんが説得してきても、僕の考えは変わらない。父さんは正しい。でも、僕は普通の子供じゃない。大人になってからならいいというならばまだ我慢ができるが、今、ここで譲れば、父さんはいつまでも許してくれないだろう。だから引かない。

 父さんはあっにとられていた。でも怒ってはいないようだった。悲しげに、寂しげにしていた。

「……そこまで研究をしたいのか?」

「うん」

「危険なものなのかもしれない。実際、魔物を殺すほどの力だ。それが何なのか、私はまだわからないし、本当に存在するのかもわからない。もしかしたらおまえ自身の命を奪うかもしれない」

「うん。わかってる」

「誰にも認められないかもしれない。むしろ蔑まれるかもしれない。それでも、続けるのか?」

「うん、続ける。覚悟はあるよ。もしも僕の存在が邪魔で、みんなの迷惑になるっていうんなら、勘当してくれてもいい」

 マリーが何か言おうとした。でも僕の顔を見ると、言葉を失ってしまったようだった。

 僕には迷いがない。家族は大事だ。大切な人たちだ。でも、魔法は僕の人生に深く根付く、僕自身のようなものだ。それを捨てたら、僕は僕じゃなくなる。

 もし研究のせいでみんなに迷惑がかかるくらいなら、追い出された方がいい。それくらい、僕は覚悟している。

 みんなのことは好きだ。だからといって魔法を捨てたくはない。だから僕は迷わなかった。

 自分勝手だと思う。でも、僕のアイデンティティを捨てるようなことを、できるわけがない。

「…………そうか。そこまでの覚悟があるのか」

 父さんはじっと僕を見つめた。そうしてしばらくして、鷹揚に頷く。

「わかった。研究は続けるといい。ただし、今後は研究成果を私に報告しなさい。あまりに危険なことをするようであれば止めるぞ」

「え? そ、それだけ? 本当にいいの?」

「仕方がないだろう。男が覚悟をしていることに、親が口を挟めるはずがない。まさか七歳の子供にそこまでの覚悟ができるとは思わなかったがな。あんなにまっすぐな目をされたら、親としても男としても何も言えん」

 深いため息を漏らし、脱力して、苦笑を浮かべる父さん。

 僕はそんな父さんの姿を見ると、鼻の奥が痛んだ。理解してくれるとは思わなかった。関係は悪化して、勘当される未来も考えた。七歳で生きていくのは難しい。死ぬかもしれない。そんな不安もあった。それでも、僕は意志を貫いた。そして、父さんはそれを認めてくれた。

 ありがたくて、僕は思わず俯いてしまう。

「胸を張れ、シオン。おまえはおまえのやりたいことを見つけ、その道を進むと決めたんだろう。だったら進み続けろ。私はその手伝いをしよう。それが親の務めだからな」

 僕は顔を上げる。ほおを伝うものを感じつつも、顔をそむけなかった。

 不意に手を握られた。隣に座っていたマリーが、僕の手に自分の手を重ねていた。

「よかったわね、シオン」

 マリーは複雑そうな顔をしていた。でも、認められたことを喜んでいるようでもあった。

 よかった。これで心置きなく研究を続けられる。その事実に、僕は強く安堵した。

 最悪な出来事の連続だったけど、得るものもあった。また試してみるとしよう。

 その思いを胸に、僕は涙を拭った。


   ●○●○


 話を終えてしばらくしてから、僕は父さんに魔力を集めた手を見せた。

「やはりまったく見えないな」

 ちなみにマリーには経過を報告しているので、驚きはない。

「かなり光ってるから、これで見えないなら、どうやっても見えないかも」

「ふむ。マリーは見えるんだな?」

「ええ、見えるわ。右手に光が集まってる状態。でも、シオンと見え方は違うかもしれないけれど。ねえ、集魔状態の時の魔力に触ってみてもいい?」

 僕はしゅんじゅんした。ゴブリンを倒したのはこの魔力だ。もしもマリーが触って、同じようなことになったら、大変だ。しかし帯魔状態では温かい程度の熱しか発さないのだから、魔力放出量を抑えれば大丈夫かもしれない。

「ちょっと待って、もうちょっと魔力を抑えるから……はい、これなら大丈夫だと思う。熱かったらすぐに手を放してよ?」

「わかってるわよ」

 魔力量を抑えると、光量も少なくなる。その状態で、マリーは僕の手を触った。

「ちょっと熱いけど、火傷するほどじゃないわね。このまま魔力を増やすと、あの時のゴブリンみたいになるのかしら」

「恐らくそうなるんじゃないかな。でもあれは、魔力がある相手にしか起きない現象だと思う。だから父さんが触っても問題ないみたい。だけど相手に魔力があると、危険みたい」

「しかし、そういうことなら、魔物相手ならば効果があるということだな?」

「それも一概には言えないかも。ゴブリンが魔力を持っていただけかもしれないし。あのゴブリンだけが持っていたのかも。人間だって魔力を持っている人と持ってない人がいるわけだし」

「つまり誰にでも有効なわけではないんだな」

 なるほど、と何度も頷く父さん。

 僕とマリーは目線を合わせた。互いに同じ疑問を抱いたようだ。

「あ、あのさ、父さん、さっきの話の後なのに順応するの早いよね」

「信じたからには、何かあるごとに疑ってはきりがないからな。これからは手伝うこともあるだろうし、きちんと知っておきたい。私には見えないし、感じられないが、そのうち、認識できるようになるかもしれないだろう? それに子供が興味のあることに関心を持たない親などいない」

 いや、それは違うと思うけれど。父さんが子煩悩なだけだと思う。言わないけど。でも僕としては、ここまで興味を持ってくれるのは嬉しい。僕、父さんのこういう考え方、好きだな。

「しかし、もし魔力の反応、だったか、それがあるのなら安易に放出すると危険だな」

「うん、もちろん、注意するよ。誰かを傷つけたいわけじゃないから」

「うむ。ならいい。それで今のところ、できるのはここまでなのか?」

「残念ながら。でも試してみたいことがあるんだ。ちょっと火を起こしたいんだけど」

「ならば井戸の近くで火を起こすか。すぐに消せるからな」

 父さんと二人して話し、外に向かう途中でマリーが僕に耳打ちした。

「なんかお父様、ノリノリじゃない? さっきまで反対してたのに」

「父さんも好きなのかもね。何というか浪漫ロマン?」

「あたしにはよくわからないけど……」

 こういうのは男同士でないとわからないこともあるのだ。父さんは魔法を危険だと言っていた。でもやっぱり非現実的なことに思いをせることもあるのだろう。それが男の子ってものだ。

 差別ではなく区別。女性にもわかるだろうけど、やっぱり同性だからこそわかる部分もあるだろう。逆に、僕は女性のことがわからないし。

「シオン! 行かないのか?」

 父さんが中庭から叫んだ。なんであなたの方がちょっとウキウキしているんですかね。まあ、僕も内心ではドキドキしているから、何も言えないけれど。

 僕とマリーが外に出ると、すでに父さんがまきを組んでいた。の準備は万端のようだ。

 中庭の隅に井戸がある。そこに移動すると、父さんが言った。

「さあ、火をつけるぞ。いいのか?」

 うちいしを手にして、目を輝かせている。なんか可愛かわいいなこの人。僕の父さんだけど。

「うん、お願い」

 何度か火打石を打ちつけると、火花が散り、火がともった。

 そのまま、ふーふーと息を吹きかけると、こうこうと火が上る。さすがに手慣れている。僕はこんな風にはできない。

「ありがと、父さん。じゃあ、ちょっと離れてて」

 二人は離れて動向を見守る。

 僕は焚き火の前で膝を曲げると、集魔する。右手に集まった魔力をそのままに、火に光を触れさせた。瞬間、手に火が燃え移った。

 一瞬の出来事だった。手には触れていない。魔力にしか炎は触れていない。だというのにガソリンに触れたかのように一気に火が移ってきた。手首から先には、青いほのおが燃えていた。

 熱い! 尋常じゃないほどに熱い! 熱いし、予想外のことにパニックになった。

「燃えてるぅううううううぅう──っ!!」

「シオンッ!」

「な、何してるのよ!?」

 父さんがとっに、桶に入っていた水を手にかけてくれた。

 幸いにも一度で火は消え、残ったのは焦げ臭いニオイだけだった。思ったよりは被害が少なかった。かなり熱かったけど。

「あ、危なかった……ありがとう、父さん」

「まったく、危ないだろう! 嫌な予感がしたから、桶に水を入れておいたが」

「い、いやほんと、面目ない。本当にありがとう」

 仕方ない奴だとばかりに嘆息する父さんとマリー。

 僕もさすがにこれには反省した。でも、まさかいきなり燃え移るとは思わなかったのだ。

「それで、今のは何だったの? 突然、手に火が移ったように見えたけれど。しかも火は青かったわよね?」

「それなんだけど、魔力って他者の魔力に反応するでしょ? それは魔力だけなのかなって疑問はあったんだ。それで二つ考えてたことがあって。一つは魔力を持っている相手に対して、高魔力を接触させるとどうなるか。これはゴブリン相手で結果は出た。そしてもう一つ、何かしらの現象に触れさせるとどうなるか、これが見たかったんだ。結果はさっきの通り。反応があった。赤い炎は青くなったし、明らかに魔力に燃え移った。これは間違いなく、魔力に触れたから起きた現象だと思う」

「なるほど……魔力は火のような現象に触れさせると何かしらの反応を起こすということか。もしかしたら他にも?」

「多分ね。だからこれから色々と試すことになると思う。ただ、あまり試すことは多くないかな。とりあえずは火の研究をしたいと思う。予想とは違ったけど、間違いなく魔力に反応したしね」

「実際、目にしたからな。信じるしかあるまい。シオンの言葉は真実だったな」

 父さんは嬉しそうにうなずいた。

 僕も嬉しくなって、笑顔を浮かべる。

「やっぱり、二人してわかりあってる。あたし、全然わかんないのに……」

「ほ、ほら、姉さんには姉さんの得意なことがあるから! それに今まですごい助けられたし、姉さんがいたから魔力の存在がわかったわけだから!」

「そ、そう? そうよね。うふふ、そう! あたしがいたからよね!?」

「そうだよ!」

 すぐに機嫌を直した、チョロい姉である。そこが可愛いんだけど。

 火に触れた魔力の過剰な反応。そして、その結果を考えると僕は瞬間的にひらめく。

 あれ、これって魔法みたいじゃない?

 何もない場所から生み出したわけじゃないけど、手のひらに放出した魔力に火が灯った。それはつまり火属性の魔法みたいなものなのでは。ファイアーボールを出す未来も、遠くないのかも。

「うへ、うへへっ、ファイアーボール撃てるぅ、うっへへへっへっへ」

「シ、シオンが気持ち悪い顔をしているぞ!? どういうことだ!?」

「シオンって、魔法で何か進展があるとあの顔するのよ。気にしたらダメよ、お父様」

「そ、そうか。息子の新たな一面を発見してしまったな。喜ぶべきか、悲しむべきか悩むな」

 そんな二人のやり取りを気にすることなく、僕は魔法が使えるという未来に思いを馳せ続けた。

 魔法。それが現実味を帯びてきたのかもしれない。

 嬉しくて嬉しくてしょうがなく、小躍りしそうなくらいだった。本当に転生できてよかった。大変なこともあるけれど、報われることもある。僕は、そんな世界を好きになり始めていた。

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