人外 ~雨の日に~

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事件

雨が本降りになってきた。ワイパーの速度を上げてやっと見える。


田端浩一は署で溜まっていた書類を整理すると、21時に署を出た。太陽に焼かれたアスファルトは蓄えた熱気を、まだまき散らせている。帰りにコンビニで晩飯を買うと、自分のアパートに帰った。すぐに風呂に入ろうとすると、明日着るワイシャツが無いことに気付いた。仕方なく、汗臭い体のままで飯をかき込むと、コインランドリーに向かった。


小雨が降っている。明日は雨だ。どのみち、コインランドリーには来ることになっていただろう。それが一日前倒しになっただけだ。


田端はうとうとしていると、消防のサイレンで起こされた。近い様だ。乾燥機は既に止まっている。外は土砂降りになっていた。乾燥機から乾いた服を取り出していると携帯が鳴った。上司からの呼び出しだ。田端は服をバッグに詰め込むと、後部座席に放り込み土砂降りの中、車を走らせた。


自宅からほど近い古い住宅街。そこにあるテナントビル。火災は鎮火。現場に変死体。上司はそう言っていた。サイレンが鳴っていたのはこれの事だ。


雨が強い。田端はワイパーのスピード上げた。駅の裏から近道をしようと小さな交差点を曲がると、急に人影が現れてブレーキを踏み込んだ。


やったか!


急いで外に出ると、女がヘッドライトに照らされて立っている。どうやら無事の様だ。信号を見ると歩行者の信号は赤だ。


「大丈夫か?怪我はないか?」


土砂降りの中、傘もささずに立っている。高校生くらいだろうか。ワンピースの白が暗闇に浮かび上がる。


「飛び出しちゃ危ないじゃないか。君は未成年か?こんな時間に何をしているんだ。」


「すいません。塾の帰りです。急いでいたので。本当にごめんなさい。」


田端は怪我がないことに安堵した。田端は濡れながら、その少女に気を付けるように注意した。田端はそのまま車に乗り込むと、深呼吸して自分を落ち着かせて走り始めた。


現場ではすでに消防が仕事を終え、鑑識が中に入っていた。規制線の中に同僚の石井の姿が見えた。建物は三階の窓から煙が出ているが、外観に異常は見られない。石井がこちらに気付いて張り寄ってくる。


「遅かったな。第一発見者と近隣住民の聞き込みは、一通り終わっている。」

「中に入ってみな。なかなかの現場だぞ。」


石井は意味深な笑みを浮かべて言った。飄々した男だが、現場で軽口は叩かない奴だ。

状況は警備会社からの通報から始まった。火災警報器が鳴って警備員が駆け付けた。消防にも通報が行っていたが、先に到着した警備員が言うには煙は見当たらず、部屋に入ると薄い煙が充満した部屋の中に、黒こげの人間らしき物が転がっていた。警備員は慌てて警察に通報したそうだ。


近隣住民は火災警報器の音でたたき起こされて、テナントビルを取り巻いて見ていたそうだ。その前後に人の出入り無し。このテナントビルに興味すら感じていない。そこまで話すと、ビルへ入っていった。


石井を前に田端が階段を上がる、小さなテナントビルにしては監視カメラが多い。一階はガレージでセダンが二台あるそうだ。シャッターはリモコン式で開閉する。ナンバーは他の事件の関係車両でないか照会中。


二階のテナントに入ると、全体が焦げている。まるで表面をあぶったようだ。三人掛けのソアーに電子レンジと冷蔵庫。流しもある。あとは何もない。事務机もパソコンも。誰かが待機するだけのような、殺風景な部屋だ。


三階に上がると、まだ鑑識が写真を撮っている、鑑識の俣野またのと目が合った。鑑識歴十年ベテランだ、俣野は困った顔をして言った。これは難事件だと。


俣野の肩の向こうに黒い炭になった何か物が転がっている。顔らしきものは大きく口を開け、手は天井を掴もうとしている。だが、肘から先は崩れ落ち、散らばっている。


「炭化している。他の場所が焼けた形跡はない。」

「吹いただけで崩れ落ちる。気を付けてくれ。」

「そこ、右の端。鉄の塊みたいのがあるだろう。拳銃だ。断定は出来んがな。」


俣野によれば、最低でも八百度の熱で焼かれいるそうだ。そして、隣の部屋を見てくれと言って通された。炭化した男の個室の様だ。デスクにテーブル。洋酒が数本に冷蔵庫がある。そして、開けられた金庫があるが、ダイヤルが砕け落ち、開いている。中に書類束と印鑑がある。


「中の物は知らん。お前らの領分だろう。」

「問題は金庫だ。」


俣野は崩れたダイヤルの付近をボールペンで差した。赤茶けて錆びている様だ。


「錆びているんだよ。ここだけな。バールでこじ開けたんじゃない。錆びて自然にダイヤルが落ちたんだ。」

「百年前の金庫でも現役で開け閉め出来ているのにだ。こいつ自体は新品だ。分かるか。」

「二階を見ただろう。綺麗に火で薄く洗い流した様になっている。おかげで何も出ないだろうよ。薬品の匂いはしない。どうやったか見当もつかない。」


俣野は眉間に皺を寄せると、硬く目をつぶってしゃがみ込んだ。深いため息をつくと、「あっちに行け」と手を振った。

田端と石井はビルから出た。外の野次馬は、ほとんど消えていた。


「ご丁寧にパソコンとスマートフォン、監視カメラの記録デッキは一緒に溶けていた。」

「丁寧な仕事だ。物を確実に処分している。」

「相手が人間であることを祈るよ。」


石井は欠伸をすると、車から缶コーヒーを取り出すと、田端に投げて渡した。「警察官が事故るなよ」そう言って署に行くと言った。田端は缶コーヒーを持って車に乗った。生温い。田端は後部座席の洗濯物からタオルを取り出すと、折角、シャワーで洗い落とした汗を拭いた。外を見るとカッパを着ている者が殆どだ。この熱気にカッパは、さぞ大変だろうと思いながら、温い缶コーヒーを開け口を付けた。小雨になってきて、フードを脱ぐ警官。彼らの首筋も汗で濡れている。田端は雨の中、ヘッドライトに照らされた少女の事を思い出した。


あの少女は濡れていたか。


目をつぶって思い出す。濁った頭では思い出せない。田端は時計をみた。四時を指している。一時間でも寝よう。頭をはっきりさせて、もう一度、思い出そう。田端は缶コーヒーを一気に飲み干すと車を走らせた。




捜査会議は午後から始まった。集められた情報が書かれたレジュメ。ホワイトボードには鑑識が撮った写真が並ぶ。


会議が始まると、概要の説明が始まった。

黒こげの男は、ビルオーナーも岩井龍二と推定される。昨晩から連絡が取れなくなっている。年齢は四十七歳。岩井コーポレーションの社長で、飲食店を三店舗経営している。実質は副社長の里中圭吾が仕切っている。反社との関係はない。

岩井は高校を卒業後、大学で投資の勉強をして資金を稼ぎ、飲食店を買収して今の会社を作ったそうだ。


副社長の里中は、買収した飲食店の元オーナーで岩井の片腕となっている。里井は売上金を回収後、夜間金庫に預けて帰る。当日もそうだ。金庫の中身については、里井は知らない。現金を岩井にもっていくことは無かったそうだ。税理士に金庫の中身を確認してもらったが、通帳や契約書、税務書類に抜けはなかった。


交友関係について里中の証言では、交友関係は希薄で、金に群がる人間としか付き合いはなかったそうだ。里中もその一人で、三軒の飲食店を管理するのは大変だが、それに増していい給料を貰っている。恨みをかうようなトラブルはない。ガレージの一台は岩井の持ち物だが、もう一台は知らないと言った。そもそも、あのビルへ行くことは、ほとんどなかったそうだ。


会議はお開きとなり、聞き込みと周辺の防犯カメラの画像解析で当たりはなく、事件は不審な点を大量に残しつつ、約三か月後に火災による焼死と言う事で、強引な幕引きがされた。ちょうど、管轄区域内で連続強盗事件が発生して、耳目がそちらに傾いたのもある。


しかし、田端には引っかかるものがある。恐らく、この事件に従事した全員が、何らかの感情を抱いたに違いないが、田端のそれは違うものだ。


あの雨の日の少女。


西日に焼かれる、非常階段の下。田端は煙草に火を点けると、肺一杯に吸い込み吐き出した。


「お前は、どう思う。」


”あいつ”は口を噤んでいる。また松尾の声が聞こえる。「止めておけ」

田端は「うるさい」と呟くと、煙草を吸い殻入れに投げ込んだ。

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