深夜の氷菓子に孤独をトッピングして

@kz_sasara

 

走りたい、理由よりも衝動が迸った。日付は既に変わっていて、階段を駆け降りた先には誰もいない信号機が孤独に色を変えていた。


 僕は青信号を待たずして走り出した。街灯だけが僕を見つめる中で、歓声を上げながら赤信号を渡った。


赤信号

  一人で渡れど

      怖くない


 そんなふざけた言葉が脳裏を過りながらも、両足は素直だった。大きく振り上げた右足が地面を蹴った、アスファルトの硬い感触が靴裏から足に伝わった瞬間、心は躍った。ずっと欲しかったものが手に入ったような、忘れていた探し物がふと見つかったような、不思議なのに懐かしい充足感が僕を満たした。


 走り出した。そのフォームはきっと拙かった。


 走り出した。その振り上げた手はきっと無駄が多かった。


 走り出した。その何も意識していない呼吸は荒かった。




 だけれども…!そうだけれども!!


 僕は走り出せた!狭いワンルームから飛び出して、窮屈だった毎日から解き放たれたんだ!誰もいない道路は淋しくて、広かった。世界の広さを思い出せた!人一人の小ささを思い出せた!


 街灯の下を横切って、点字ブロックを跨いだ。意味もなく曲がり角に飛び込んだ。


 行きたいどこかへ向かうんじゃない、向かった先が僕の行きたい場所だった。当ても目標も理由も何もかもがない状態で走った。冷たい雨が広げた両腕に当たって、夜風が顔を撫でた。


 突如として現実はのし掛かってきた。息が切れた…それは僅か数十歩の間のことだった。汗が服に張り付いた、それは僅か数分のことだった。運動不足の身体と脆弱な精神は直ぐに音を上げ、僕の走りは歩きに変わった。


 さっきまではどこまでも進んでいけると嘯く両足は悲鳴を上げて、さっきまで冴え渡ってた頭は弱音を吐いた。肺が必死に酸素を取り込んで、喉の奥から腥いものが込み上げてくる。苦しくて、苦しくて、悔しいのに身体は動かなくて、でも…


 でも、今までで一番生きていた気がしたんだ!もぬけの殻のような身体に本物の命が宿ったように、嫌なことばっかり考えていた頭に本当の目覚めが訪れたみたいに。


 満足した僕は、コンビニで氷菓子を買った。恐らくそれだけで今までの運動で消費した熱量の倍くらいは余裕で帰ってくるだろう。包装紙を振り回しながら、街灯の下で躍った。


 アイスの冷たさは口の中を麻痺させて、甘さなんて感じる余裕もないし、降っていた小雨と寒い夜風は容赦なく体温を奪っていく。それでもここ最近で一番美味しいアイスだった。小豆のまろやかな甘みがした、冷凍フルーツの自然物らしい香がした。


 きっと、僕らは自由だったことを忘れてしまっている。きっと、僕らは自分たちが幸せだったということを忘れてしまっている。


 成功体験だとか、社会的地位だとか、友人だとか家族だとか、全てがどうでも良かった。少なくともこの瞬間の僕は誰よりも自由で満たされている存在になれた気がしたんだ。言葉をかけれる相手はいない、喜びを分かち合える存在はいない、だけど幸せだった。


……綺麗な、夜だった。

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