080 天乃さんの過去と涙

「――私、孤児院で育ったのよ」


 そんなカミングアウトから、セキレイの話は始まった。

 驚きを隠せないイスカに、びっくりしたでしょ、と淡く微笑んで話を続ける。


「生まれてすぐ、空襲にあったの。父も母もその時に亡くなったって後から聞いたのだけど、正直あまり記憶がないのよ。私の記憶は、孤児院に入ってからのものしかないわ」


「――天乃さんも、親を――いや、両親を亡くしていたのか……」


 ええ、だからお母さまがいる下地くんのこと、ちょっと羨ましかったわ。

 セキレイはそう返してから、まあそれは置いておいて、と話を戻した。


「小さい頃はね、みんなと仲よしだったの。でも孤児院て小さい学校みたいな所なのよ。ある程度大きくなるとグループができてきて、みんな背伸びし始める。お姉さんやお兄さんになろうとする。私はそうしなかったから浮いちゃって、職員の人も扱いに困ってる感じで、それで気付いたの。……あぁ、この私じゃみんな嫌なんだ、って」


「それで素の自分を封印して、性格もお姉さんみたいに直して。それが正しかったみたいで、それからずっと今みたいな感じ。よかった、って思ったけれど、何だかしっくりこなくて」


 そんな時に下地くんが友達になって、素の性格も受け入れてくれて。

 私、すごく嬉しかった。

 心が軽くなって、お話するのが楽しかった。

 本当の私をさらけ出せる友達なんて、今までいなかったから。


 ……だから、怖かった。

 大事な人にも軽蔑されているのかもしれない、そう思ったから。

 

 セキレイはぽつりと言って、それから顔を横をに向ける。

 水面みなものような群青の瞳に、イスカの顔が大きく映った。


「――でも今日、そうじゃないって言ってくれて。本当にほっとして、私ね、えっと……」


 珍しくセキレイが言葉に詰まる。

 けれども、伝えたいことはするりと心に入ってくる。

 突っ張った手に自分のそれを重ねて、イスカはゆっくり微笑んだ。

 子どもをあやすような口調が、自然に漏れた。


「……がんばったね」


 一瞬、セキレイはぴたりと固まって。

 黙って大きく頷いた。

 さらりと流れる髪に、きらきらした何かが混じる。


「…………ごめんなさい下地くん。許してね」


 顔を上げずにそう言って、セキレイはすすとイスカに寄りかかる。

 イスカが反応する前にぎゅっとしがみついて、胸に顔を埋めて。


「……うわあ……うわああん!」


 盛大に泣き出した。






「…………どうしよう」


 静かなリビングで、イスカは悩んでいた。

 膝の上では、さらさらの髪がゆっくりと上下している。

 溜まっていたものを全て吐き出すかのように、激しく泣きじゃくったセキレイは、そのままころんと眠ってしまった。


 掛かっている時計を見れば、もう翌日が迫っていた。

 そろそろ……というかもう手遅れなほどに、帰るべき時間だ。


 しかしイスカは、そこから動けないでいた。

 膝越しに伝わってくる、穏やかな寝息。

 今まで相当辛かったのだろう。相当疲れていたのだろう。

 それが分かっているから、このまま眠らせてあげたいとイスカは思う。

 頭が載っている膝を動かせば、彼女を起こしてしまうに違いない。

 

 それに、もし起こさず抜け出せたとしても、鍵の場所を知らないのだ。

 施錠せずに帰るわけにもいかないし、かと言って安眠を妨げるのも忍びない……。


 そんなことを考えながら、イスカは欠伸をする。

 ――まぶたがやけに重かった。

 今日一日だけで、いろいろな事があったのだ。無理もない。

 だが寝てはだめだ。そう思いながら目線を落とす。

 膝掛けのような、心地よい暖かさの源に手を伸ばして――――。


 ふっと、イスカの意識は曖昧になった。

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