古ぼけたコインランドリー

アングル

生乾きのごちゃごちゃ

 


 

 家の洗濯機が壊れたので、僕はしばらくの間自宅からほど近いコインランドリーを使っている。そして、その日もいつもと同じようにコインランドリーに行くと、いつもと同じように先客がいた。



 「おはよう~」

 もう空も彩りある黒に変わりつつあるのに、そんな挨拶をする女性の名は新垣さん。近くに住む大学生で、僕より一学年上。僕たちはいつも似たような時間にコインランドリーを使用していたから、自然と軽い知り合いになっていた。


 「こんばんは」

 僕は同じように夜の挨拶を交わすと、新垣さんの座る椅子の横を抜け、洗濯機に服を投げ入れる。

 

 「愛って言うのはさ、結局、相手がなにか幸せであってほしいと真剣に思えるような感情なんじゃないかな」と新垣さんが僕の背に、何か妙にシリアスな声で語り掛けてきた。


 「はぁ、多分そうなんじゃないですか」

 洗濯機のドアを閉めながら僕は言った。そして新垣さんの座る椅子から二つほど隣に僕も座った。このやりとりが大体いつものパターンだった。


 「ね、家族愛とか動物愛とかさ、そんなイメージあるよね」

 「そうですね」

 「愛は真心、恋は下心とかさぁ」

 「はい」


 新垣さんは何か語るのが好きらしいので、僕はそれを聞くことにした。正直に言って、何か重要な話をする訳でもとても面白い話をする訳でもない。でも、ちょっと大事そうな感じだったりちょっと興味深いような話をする。


 そのミニマムな良さが、なんだかお互いの暇つぶしに丁度よかったのだと思う。


 「としたらさ、世間一般で使われる愛のニュアンスってなんかやな感じもあるよね」

 「そうですか?」

 「なんかさ、どっか私物化してる感じというか~」

 「……あー」

 「その愛は本当に相手のためのやつなのか~ってさ」


 新垣さんは、なんとなく言いたいことが分かるような分からないような、断片的にだけ理解できるような曖昧さのある言い方をよくするのだ。


 「利己的か利他的かって話ですか?」

 「あーそれだ。正解!」

 その度に僕は正解することにしている。




 「人生常に幸せにまみれていたいよね」


 別日、洗濯を待つ中で突然新垣さんはそう言った。その発言に僕は少しだけ考えて、こう返した。

 「幸せじゃない時間があってこそ幸せを認識できるという考えもありますよ」


 新垣さんは僕の言葉にうんうんと頷き、ゆっくりと口を開いた。 

「確かにね、スイカの塩みたいな苦しみがあってもいい。でもやっぱり、ずっと幸せでいたいなぁ」

 

 そのしみじみと繰り返す言葉が、僕は少し気になった。新垣さんはずっと穏やかな顔で、トーンで話していたけど、何か妙な不安が僕の胸に生まれた。それは自分自身にも分からない、虫の知らせのようなものだった。


 「何か辛いことでもありましたか」

 僕はそう尋ねた。僕と新垣さんとの関係にしては踏み込み過ぎた発言な気もしたけど、聞いたほうがいいと思った。


 「ん~そういう感じじゃないんだよね~」

 新垣さんはゆらゆらと揺れながら僕に向かって笑った。そして続けて言った。


 「ただ、なんとなくさぁ……いや、いいや」

 何かを言いかけて、それを断ち切るように少し大きな声を出す。その様子が、どの言葉よりも雄弁に新垣さんの状況について語っているのだと思う。


 「ごめんね」

 新垣さんは最後にそう言うと、後には沈黙だけがあった。

 僕達はコインランドリーで会う近所の人というつながりに過ぎないから、話を止めたんだろう。それは僕には解決できないことだからか、僕に迷惑をかけると思ったからか。





 そしてその日以来、新垣さんはコインランドリーに来ていない。

 僕も新しい洗濯機を買ったので、もう長らくあのコインランドリーには行っていない。久しぶりにその近くを通った時に、外観が妙に色褪せたように見えてその辺りを通るのはやめてしまった。

 




 日々を送る中で、大抵思い出すのは子供の頃の記憶だけど、たまにあの人と話していた時を思い出す。何もしていないときに本当にぼんやりと。


 コインランドリーで出会い、話をして、その他の多くのことを知らない。そんな相手だけど、あの最後になった会話を何度も思い出す。

 

 願わくば、何も悪いことが起きていませんように。そして、幸せでありますように。

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