私達はもう夢をみない

 ずっと、長い長い悪夢を見ているようだった。何度眠ってもあの環状線の中で目を覚ます。そして必ず、大勢の人が死んだ。電車が脱線した。爆弾が爆発して乗客が燃えた。刃物を持って暴れる人間がいた。有毒ガスが発生して駅がパニックに陥った。どんなに眠っても、電車に乗る前の時間へ行けない。電車に乗らない世界に行けない。何度、何度眠っても、玲司と穂香が人を殺す。玲司と穂香が必ず死ぬ。


 どこかの世界の”先生”が、生贄を大勢捧げて私を殺せば、何十年と時間を巻き戻せると確信したらしい。実験を受ける中で私も自分の能力を知り、それを意図的に隠してはいた。それを差し引いたとしても、私の人生の半分にもなる時間を勝手に利用して実験していたくせに、こんなに下らない結論しか導きだせない奴らには反吐が出る。しかし、気づいたときには”先生”の術中にいた。

 何度も何度も、玲司が作戦実行の指示を出した。何度も何度も、インカム越しに穂香の最期の言葉を聞いた。その度に謝った。ごめんなさい。何度も巻き込んでごめんなさい。何度も何度も、死なせてしまってごめんなさい。何度も何度も何度も、殺させてしまってごめんなさい。平穏を奪ってしまって、日常を壊してしまって、責任を背負わせてしまってごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。耐えればいつか終わると思っていた。頭のおかしな実験が、さらに頭のおかしい方向に進んでいったとしても。見て見ぬふりをしていた。穂香が帰らない日が増えたことに。”施設”の子どもたちと接するときの玲司の表情が、どんどん険しくなっていくことに。 


 過去へと向かうこの電車から降りなければ。この電車から玲司と穂香を引きずりおろして、未来に進まなければ。毎回毎回、死ぬと思ったその寸前、祈りながら瞼を閉じた。どんな場所、どんな状況であろうと、私は眠らなきゃいけない。そのために日頃から訓練してきた。穂香に怒られても、玲司に小言をを言われても、「どこで寝ようと、私の勝手でしょ」と流して所構わず眠ってきたのは、今日、この日の為だ。



 目を覚ますと、太陽の光が瞳を直接突き刺した。思わず顔をそむけた先に、あぐらをかいた脚があり、その上から聞き馴染みのある声が聞こえた。

 「寝ながら食うなよ、喉つまらせて死ぬぞ」

 玲司だ。玲司がパンを食べている。昼間に、レジャーシートを芝生の上に敷いて。

 「で、どうよ。」

 パンをちぎりながら玲司がこちらに目をやる。

 「どうって……。」

 状況を確認したい。あたりを見渡してもピクニックする人ばかりで穂香の姿が見当たらない。

 「玲司、あの後どうなった?穂香は一緒に来てないのか?」

 「は?あいつなら便所だよ。まだ三月だってのに、アイス食い過ぎなんだよ。」

 玲司が後ろを振り返って、呆れた様子で少し離れたところにある売店を指差す。

 「違う、そうじゃない。玲司、私達はあの電車から降りられたのか?」

 電車という単語に玲司が大きく反応した。

 「お前、記憶が戻ったのか。いや、俺たち一ヶ月前にここに来たけど、お前が前の世界のこと何も覚えてないから、てっきり……。」

 そうか、そうかと口の中で繰り返して、玲司は手の中のパンを見つめたまま喋りだした。

 あの後、眠る私を連れて丸三日逃走したという。最初の一日目は車で、二日目も別の車で、三日目は移動はせずに、使われなくなった廃屋に身を潜めていたが、警察の捜査が公開捜査に切り替わったところでこれ以上の逃走は無理と判断したらしい。

 「穂香は最後まで迷ってた。でも、疲れの方が勝ってそのまま寝ちまって、俺も寝た。俺は、あいつだって一緒に来ていいと思ってたから。」

 「私も、最初からそのつもりだった。」

 「……なあ、元々いた世界がどうなったかって、本当に何もわかんねえもんなの?」

 穂香もそれを気にしていた。

 「私の力じゃわからない。でも、消えないんだと思う。あの世界で起こったことも、犯した罪も。」

 それでも私は、二人を失いたくなかった。何十という世界を捨てて、何百という人を犠牲にして、”施設”の子どもたちを置き去りにして、その罪に蓋をしてでも、ただ一つ、二人が生き延びる未来が欲しかった。

 そうだよな、とそう呟きながら、玲司がタッパーに入ったパンを一つ取って差し出してきた。

 「なに?」

 「食ってみて、いいから。」

 握りこぶしくらいのまるっとしたパン。表面は固く、かぶりつくと歯が折れそうだったので、ちぎって一口放り込む。

 「固くてパサパサしてる。正直あまり美味しくないな。」  

 「これ、俺が焼いた。」

 「え。」

 先に言ってくれれば、もう少し気の利いたことを言えたのに。

 「俺、高校卒業して専門学校に通うことになってんの。料理するかんじの。」

 「高校卒業って、そんな年齢なんだ。私達。」

 「そう、高校の同級生だったんだ。俺たち。」

 玲司は眩しそうに、遠くを見つめた。

 「穂香は医者になるって言って、すげえ勉強頑張って大学に合格したらしい。」

 「……そっか。」

 「お前も大学に、文学部に進学だって。」

 「……そう。」

 遠くを見つめたまま、玲司は両手を合わせて強く握りしめた。

 すると、前から小走りで穂香が戻ってきた。

 「ただいま。いや~、混んでて混んでて。」

 穂香は手のひらをパタパタと振り回して水滴を飛ばす。

 「ハンカチくらい持って行けよ」

 「ありがと〜、玲司やさし〜。」

 玲司からハンカチを受け取って、穂香がふにゃふにゃと笑った。

 かつての私は恐れていた。眠れば眠るほど、世界が私の知らない形に変わってしまうのを。眠るほどに、知らないことが増えていくことを。

 私は知らない。玲司がまずいパンを焼くことを。穂香が、こんなに柔らかい顔で笑うことを。


 ふわりと吹いた初春の風が、微かな花の香りを運んでいる。桜の蕾が少しずつ、開き始めている。

 

 知らないことばかりだ。


 私は額に手を押しあてて、目の奥が熱くなるのをどうにか堪えた。

 「小百合、どうかした?」

 心配そうに私を覗き込む穂香に、私は震える声でなんとか返事をする。

 「なんでもない。」

 知らない。知らないよ、こんな世界があったなんて。


 少し長く眠りすぎたようだった。

 


  

 

 

 

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ミンミンざいざい 蓮池キョウ @kon_371

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